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いのちみじかし 前編

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 無惨と遭遇した場所と聞けば、柱たちが浅草六区への危惧を深めるのは当然の成り行きだ。
「あの狡猾な鬼が、いまだにこの界隈をうろついているとは思えんがな」
 傍らを歩く煉獄は屈託のない太い声で言い、大きく口を開けて笑うが、目には消えぬ警戒が宿っている。それはべつにいい。義勇にとっては理解の範疇だ。
 だが。

「……なぜ、花屋敷へ?」

 わからないのはそこだ。
 浅草と一口に言っても、それなりに広い。浅草寺を有する浅草公園内のうち、演芸場やら活動写真が立ち並ぶ六区に、無惨は出没したと聞く。
 残念ながら、浅草六区は、義勇の担当地区ではない。煉獄も同様だ。
 たとえ自身の管轄でなくとも、無惨が出没したと聞けば落ち着かぬのも当然だ。わずかたりとでも情報を得られればと、ほかの柱たちも一度は足を運んでいるとも聞く。
 炭治郎と無惨が遭遇したことを、お館様から告げられたのは四月の末。今はもう端午の節句も過ぎた。
 義勇だって、任務が立て込まなければ、すぐにも向かいたかった。果たせず今日になったのは偶然だ。
 煉獄とたまたま任務帰りにかち合わせたのも、今日こそは浅草へ行ってみようと双方が思い定めていたのもまた、示し合わせた結果ではない。たまさかお互いに任務が早くに終わり、めずらしくも次の任務が控えていなかった。体力気力、時間にも余裕がある。多忙な柱同士、そんな日が重なるのはたいへん稀ではあるが、ありえないと言うほどのことでもない。
 だけれども、重ねて言うが無惨が現れたのは、浅草六区だ。煉獄が先に立ち迷わず足を進めた花屋敷は、五区にある。

 平日だというのに、周囲にはそれなりに観光客がおり、続々と花屋敷の門をくぐっていく。大看板を掲げた大仰な門を見上げ、内心の困惑を隠しきれずに聞いた義勇に、煉獄はカラリと笑った。
「六区からそう離れているわけでなし、くまなく探査するに越したことはないだろう?」
「それは、そうだが……」
 言わんとすることは理解できるが、それにしたって今は昼日中である。同じ歓楽地であっても暗がりが多い六区や凌雲閣(りょううんかく)周辺と違い、花屋敷に鬼が潜む場所など、そうそうあるとは思えない。
 義勇はふたたび門を見やった。刹那、陽炎のようにゆらりとよぎった記憶にドクリと鼓動が跳ねて、息を呑む。
 大看板の奥に見えるは奥山閣(おうざんかく)。左手を見れば五月の爽やかな青空を背に、凌雲閣がそびえている。昔より凝った造りに建て替えられた門をくぐっていく人々は、みな笑顔だ。
 賑やかな光景は昔とくらべ少し様変わりしたが、奥山閣と凌雲閣は変わらない。あのころのままだ。二度と戻れない、在りし日のまま。自分だけが、遠くへ来た。

「……と、いうのはじつは建前だ。すまん!」

 黙り込んだ義勇の変化に気づかなかったのか、煉獄が唐突に頭を下げた。
 いきなり謝罪され、無表情の裏側で義勇は困惑したが、それでも驚愕のおかげで息が軽くなったのは確かだ。遠い日の思い出はやさしすぎて、息が詰まる。煉獄にはそんな意図など微塵もなかっただろうが、空気が変わったことに義勇は安堵した。
「本当の理由は別にあるということか」
「ん、まぁ……そうだな」
 頭を上げ、少しだけ視線を泳がせながらも義勇を見やった煉獄は、すぐにパチリと大きな目をまばたかせた。
「冨岡? どうした、気分でも悪いのか?」
「なぜ、そんなことを?」
 動揺は一瞬だ。突然の謝罪に息苦しさも消えた。常と変わりなくいるはずだと義勇自身は思うのに、煉獄はいかにも心配そうに眉をひそめている。
「いつもより少し顔色が悪い。瞳も……君の瞳はいつでも凪いだ海を思わせるのに、先ほどは、雨に打たれ波立っているかのように見えた」
「……煉獄は詩人だな」
 揶揄したわけではなかったが、煉獄はサッと頬に朱を走らせた。悲しみとも苛立ちともつかぬ様子で、グッと口を引き結び、淡く染まった頬はそのままにじっと義勇を見据えてくる。
「茶化さないでくれ。体調が悪ければ遠慮しないでほしい。つらいのなら無理をさせたくはない」
 真摯な声音は、一切の裏表を感じない。煉獄は心の底から案じてくれている。少なくとも義勇には、煉獄の心根のまっすぐさを疑う理由などなかった。
「どこも悪くない」
「俺に気を使っているわけではないんだな? それならいいんだ! 君が健やかならそれにこしたことはない!」
 快活に笑う煉獄は、まるで真夏の晴天に輝く太陽のようだ。まぶしすぎて、義勇はいつも正視できない。つい目を伏せてしまう。
「では、もしかしたら花屋敷が嫌なのだろうか。どこかほかへ行くか?」
「調査するんだろう? ほかにも無惨が潜む場所に心当たりが?」
「いやっ、そうではないが……」
 そういえば建前と言っていたか。無惨の手がかりを探る以外にも、煉獄には花屋敷に入りたい理由があるのだろう。
 無言で答えを待てば、常にはない逡巡を見せた煉獄は、すぐに意を決した顔をして口早に言った。
「冨岡と入ってみたかったんだ。俺のわがままだ。君の意思を尊重すべきなのに、騙し討のような誘い方をしてすまなかった。不快な思いをさせて申し訳ない」
 まっすぐに義勇を見つめ言う煉獄の頬は、いまだ赤い。朱に染まった目元が、なんだか初々しくすら見える。
 そういえば、煉獄は年下だったな。ふとそんなことを思い、なんとはなし義勇はうつむいた。
 目が潰れそうにまぶしい笑みから逃れるいつもの仕草と違い、我ながらそれは、照れくささが勝る行動だった。けれども、なぜ気恥ずかしさを覚えたのかは、よくわからない。うれしいような、もどかしいような、不思議な心持ちがする。
「いや……少し、昔のことを思い出しただけだ。なぜ俺となのかはわからないが、煉獄が入りたいと言うのならそれなりにわけがあるんだろう。俺はかまわない」
 花屋敷が嫌だというわけではない。感傷にゆらぐ己の心こそが不甲斐ないと、義勇は内心の鬱屈を抑え、努めて冷静に言った。
 おかしな台詞ではないはずだ。だが、煉獄はなぜだか目を見開き、義勇をいっそう凝視してくる。呆然として見えたのは数瞬で、すぐに煉獄は泡を食った様子で義勇に詰め寄ってきた。
「むっ、昔とは、よもや冨岡は以前にもここに誰かと来ているのか!? どんな女性なんだ? その人とはどのような関係なのだろうかっ!」

 なぜ女性だとわかったのだろう。煉獄は千里眼か。

 驚きは、義勇にはめずらしく、はっきりと表情に出てしまったらしい。するとどうだろう。煉獄はさらにうろたえだした。
「すまん! 詮索するつもりは……いや、嘘だ。気になってしかたがない。君が言いたくないのなら、追求しないと誓うが……」
 オタオタと狼狽したと思えば、肩を落としてうなだれている。尻すぼみに消え入る声も、やけに力ない。てんで煉獄らしからぬ反応だ。
「姉だ」
 いつも威風堂々として自信に満ちて見える煉獄の、らしくない挙動に呆気に取られつつ、義勇はポツンと呟いた。たちまち威勢よく煉獄の顔があげられた。こぼれ落ちんばかりに目を丸くして、また義勇をまじまじと見つめてくる。
「姉?」
作品名:いのちみじかし 前編 作家名:オバ/OBA