彼方から 第四部 第五話
彼方から 第四部 第五話
夜が、静かに更けてゆく……
闇の蠢きを、邪なる欲望を助長するかのように、
夜が静かに、更けてゆく……
――…………
意識が騒めく。
――……ぅ……
深い眠りから、覚めようとしているのが分かる。
――……ぁ……
重く、冷たい――
暗い海の底を揺蕩うような眠り。
時を経て、薄く、淡く……次第に明るくなりゆく夜明けのような光が、意識に射し込んで来るのが分かる。
――……あぁ……
……呼ばれている。
『あちら側』から、『光の世界』から……もうすぐだと――
『向こう側』が、『闇』が……動き始めたと――
――……『闇』が……
『目覚めの時』が近いと――
……呼ばれている……
――……ぅ……
身の内に満ちゆく『光』……
内から外へと――指の先、足の先にまでゆっくりと、満ちてゆく。
身体が目覚めてゆく……
だが、まだ…………その『時』は来ない。
枝葉の合間から零れる月光が、微かに歪む面を照らす。
朝湯気の樹に凭れ黒いチモと共にエイジュはまだ……浅き眠りを貪っていた。
**********
荒涼とした地に降る、星の光。
冴えた月の輝きが、砂地に岩の影を落とす。
ドニヤ国、北の荒れ地。
聖地、エンナマルナの鎮座する地。
遥か太古から存在し続けているのであろう、巨大な岩山。
大きく円く在る様は、居を護る為の城壁のように思える。
反り立つ岩壁に穿たれた無数の穴。
円を描き、長く連なる居内。
岩を刳り貫き居としたとは思えぬほど広く、砂漠の夜の寒さ、荒れ地の昼の暑さをも意に介さぬほど、岩居の中は快適であり、そこから漏れる灯は、聖地で暮らす人々が在ることを――連綿と受け継がれてきた穏やかな営みがあることを、教えてくれている…………
「族長」
「――なにか」
静かな夜……
ノックの音、ドアの向こうから呼ばわる声に、執務の手を休め返答をする。
軽く、軋む音を立て、ゆっくりと開くドア……
ランタンを手にした男性が一人、
「お客人の占者の方が、何やら不吉な占いの結果が出たと言ってるらしくて……」
少し不安げな表情を浮かべ、そう、伝えに来ていた。
「なにっ!?」
殊の外、若い声が返ってくる。
思わず腰を上げ、
「敵の来襲かっ!?」
傍に置いてあるランタンを取り、即座に歩み寄ってくる『族長』は若く……
意志の強そうな、精気溢れる面立ちをした、三十代くらいと思われる男性だった。
「さ……さぁ――詳しくは……」
族長の勢いに押され、伝えに来た男性は思わず、道を譲るかのように脇へと退いていく。
民の反応にハッとし、己の挙動を省みる若き族長。
気を取り直し、『そうか』と軽く頷き……
「他の客人方には伝えたのか」
訊ね掛けながら、通路へと歩み出ていた。
「あ、はい」
男性も、問われたことに頷きを返しながら、
「皆さんも既に、向かわれていると思います」
足早に客人の元へと向かう族長と共に、歩を進めていた。
***
「……何しろ此処には、大物が揃ってるからな」
眉を顰め呟き……客人の占者が待つ部屋へと続く、通路を進む。
岩壁に等間隔に並び穿たれた窓穴からは、夜気が流れ込み、要所に焚かれた篝火を揺らめかせている。
炎に照らされ、揺れ伸びる影――
手にしたランタンの火もその身を照らし、通路の天井にぼやけた影を映し込んでいる。
……今、この聖地エンナマルナに滞在する『客人方』の顔が浮かぶ。
「グゼナ国――エンリ大臣、カイノワ大臣……」
いや、『滞在』という言葉は相応しくないかもしれない。
「我がドニヤ国――ナッシュ宰相……」
彼らは、何も好き好んでこの地に居るわけではないのだから。
「それに、ザーゴ国――ジェイダ左大公……」
自国に居ることを許されなかったが為に――
「いずれも現職勢力にとって、目の上のコブ……」
その身に、その命に、危険が及んだが為に――
「指名手配されている面々だ」
必死にこの地まで、追手から逃れて来たのだから。
生き延び、『国』を正しき方向へと、導き直す為に……
現今の世の情勢を鑑みるほどに、疑念が募る。
争いへと傾く『国』を憂い、正そうとする者たちが何故、『国』を追われなければならぬのか。
何故、国同士の争いを助長するような連中が、政治の中枢に蔓延るのか。
争いの皺寄せは全て――自国の国民へと……
力を持たぬ国民へ、向けられるというのに…………
ランタンを持つ手に、力が籠る。
『不吉な占いの結果』という言葉に、奥歯を噛み締める。
それが、『敵の来襲』を告げるものでなくとも、『良からぬこと』であるのに相違はない。
ざわつく胸に急かされる様に、族長は更に、歩調を速めていた。
**********
「不吉な占いの結果が出たと聞いたが……」
鏡の前に敷かれた、大きく、暖かそうな獣の皮。
その鏡に向かい、毛皮に座する『二人』の背中に、ジェイダはそう――声を掛けていた。
二人の占者、ゼーナとジーナに向けて……
背中を向けたまま……
ジェイダの言葉に頷きを返し、ゼーナはもう一度瞳を閉じた。
再び、精神を集中させる。
己の『能力』の導きのままに、エンナマルナの占鏡へと意識を向ける。
――…………やはり
――これは……
間違いようのない『予感』――
「ゼーナ……」
小さく呼びかけるジーナの声。
その声音からも分かる。
彼女が自分と同じ『予感』を、感じ取ったのであろうことが……
足音が聴こえる。
「失礼する」
入口に掛けられた幕を開き、若き族長が入ってくる。
その場に集まった『客人方』と視線を交わし、互いに頷き合い、族長は手にしたランタンを近くの台へと置いた。
占いの為の部屋だという、『鏡の間』。
その為の道具として、古来よりエンナマルナに伝わる大きな鏡は、砂岩を掘り出し作られた台の上に、丁重に据え置かれている。
鏡と共に、並び置かれた小さな二つの炎。
部屋に集った皆の影を揺らし、室内を温かな光で照らし出してくれている。
「ゼーナ殿、ジーナハース殿……」
数歩、歩み寄りながら……
掛ける声音に、焦燥が滲んでいる。
族長は、逸る気を落ち着かせるように歩を止め、声を静め、二人の名を呼んでいた。
***
名を呼ばれ、祈りを捧げるように垂れていた頭を、少し上げる。
自国の宰相を匿い、更に、他国から逃げ込んだ我々をも、快く受け入れてくれたエンナマルナの人々……
『客人』として扱い、持て成してくれるその懐の深さ、温かさに、感謝の念が絶えない。
そして、共にここまで、逃避行を続けてきた重臣方……
国を追われ、逃げている身なれど、卑屈になることなく――
また、『客人』として扱われていることに対し、高慢になることもなく――
今、自分たちが置かれている立場、状況から眼を逸らさず、希望を捨てずにいる……
作品名:彼方から 第四部 第五話 作家名:自分らしく