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迷子のヒーロー

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 互いに思いやり慈しみ合っている姉弟だった。誰の目にも微笑ましく映る姉弟だったのだ。儚げな風貌に似合わぬ気丈さで、幼かった義勇を守り続けてきたまだ若い姉。どれだけ苦労があっただろう。そんな苦労をちっとも表に見せぬ人だった。温かな笑みを思い出せば、今も鱗滝の胸は悲しみで満ちる。
 彼女の葬儀一切を取り計らったのも、鱗滝だ。
 義勇は一度も声を発することがなく、どれだけ鱗滝や錆兎たちが促しても、自ら食事をとり眠ることすらしなかった。
 三日もすれば立っていることすらできなくなり、しかたなしに病院の世話になることになったが、それらの手続きをおこなったのも鱗滝だ。
 放っておくことなどできようはずもない。義勇を慕う孫たちも、毎日義勇を見舞っては、こっそりと泣いていた。
 義勇が自分たちを見てくれないと。目は開いているのに自分たちを見ていないと。齢五歳の子供らが声を殺して泣くのだ。
 俺らは義勇のお兄ちゃんとお姉ちゃんだから、絶対に義勇を守ってやるのだと泣く孫たちの頭を、なでてやることしか鱗滝にはできなかった。
 身寄りのない義勇を引き取ると決めたのは、成り行きなどではない。孫たちの切望もあった。だが、なによりも鱗滝自身が、義勇に笑顔を取り戻させてやりたくてしょうがなかった。

 悲しみを表すことすらできなくなった義勇に、涙を流させてやりたかった。
 泣いて喚いて、胸に満ちて薄れぬ悲しみを吐き出してくれと、願っていた。

 だが、鱗滝たちが義勇を救うより早く、救われたのは鱗滝たちのほうだ。不安と焦燥から三人を救ってくれたのは、誰より傷ついていた義勇である。


 その日も義勇は、病院のベッドに横たわり、枯れ枝のようにやせ細ってしまった腕に点滴を繋がれ、かろうじて生かされているといった有り様だった。姉の葬儀からひと月近く経っていただろうか。いつものように錆兎と真菰が、泣きそうな声で水だけでも飲んでと懇願していたときだ。
 今までどれだけ声をかけてもなんの反応も見せず、浅く息をするだけで、瞳を虚空に向けるばかりだった義勇が、初めてぴくりとまぶたを震わせた。
 ゆるゆると錆兎たちに顔を向けた義勇の乾ききった唇が、うっすらと開かれる。真菰が慌てて吸い飲みの口を差し込むと、やがて喉が小さく動いた。
 そのときの孫たちの喜びようは激しかった。鱗滝も歓喜が胸に満ちて、人目をはばからず涙を流したくらいだ。
 だが、義勇が水を飲んだと飛び跳ねて喜ぶ孫たちとは裏腹に、鱗滝は、気づいてしまった。錆兎と真菰に向けられた義勇の瞳に浮かぶ、気遣う色に。

 あぁ、この子はやさしすぎる。

 心配する三人を思いやったのだと、鱗滝にはわかってしまった。傷つき絶望に沈んだ心で、それでも自分を案じる気配を感じ取り、戻りたくなどなかっただろう現実へと義勇は戻ってきてくれたのだと、悟らずにはいられなかった。
 義勇にとっては、心を閉ざしすべてから目を背けているほうが、楽だっただろう。なにも考えず、なにも感じず、ただ病室に横たわっているだけなら、わずらわしい好奇や哀れみの視線にも晒されまい。
 そしてきっと、義勇が一番に望んでいたものは、自分自身の死だ。心だけでなく生命としての死を、義勇はおそらく望んでいた。
 まだ中学生だ。齢十四にもならぬ子供だ。
 そんな子供である義勇が、誰よりもつらいはずの義勇が、自分たちを気遣い思いやり、一番楽な道から戻ってきてくれた。鱗滝は、歓喜とともに遣る瀬なさをおぼえずにはいられなかった。

 せめて、せめて泣いてくれ。泣いて泣いて泣き喚いて、悲しいと叫んでほしい。どうか、義勇自身のつらさや苦しさを、優先させてくれと、どれだけ願ったろう。
 心を占める絶望を、涙とともに吐き出せたのなら、いつかは立ち直れると強く信じることもできただろうに。なのに義勇は泣くことすら己に禁じているように見えた。

 鱗滝や、錆兎と真菰では、もう駄目だ。泣かせてやれない。どんなに苦しくとも義勇はまず、鱗滝だちを気遣ってしまう。義勇のなかで優先順位は決まってしまった。自身のことよりも、義勇は鱗滝たちを気遣い、思いやる。自身の悲しみには蓋をして、一切薄れさせることのないまま抱え込んで。
 実際、少しずつ日常を取り戻しだしてはいるが、義勇は今もなお、泣くことも笑うこともできない。

 そんな義勇が、大型犬から子供を救ったという。そのこと自体は驚くに値しない。どんな状態であれ、窮地にある者を見捨てることなどできぬ子だ。
 だが、道に迷ったとはいえ、そのまま子供の家に厄介になるというのは、義勇の現状を思えば信じきれぬところはあった。
 今の義勇は人と関わりあうのを拒む。その子がなにを言おうと、かまうことなく一人で歩き回る姿しか想像できない。
 なのに今、義勇はその子供と一緒にいるという。
 炭治郎と禰豆子という名の、七歳と六歳の幼い兄妹だ。もしかしたら、錆兎や真菰と重ね合わせたのかもしれない。思いはするが、慣れ親しんだ孫たちならばともかく、末っ子の義勇は小さい子の扱いに不慣れだ。そんな義勇が、幼子と手を繋ぎ訪れたというのは、青天の霹靂とも言うべき出来事である。

 目の前に座る善良を絵に描いたような若夫婦を、鱗滝はそっと見つめた。
 この夫婦の子供だ。きっと明るくやさしい子供たちなのだろう。けれど、それでも幼い子供であるには違いない。義勇の感情の読めぬ目や言動は、幼子には十分、嫌厭対象になり得る。いぶかしみ怯えたとしても、しかたのないことだろう。
 義勇と同年代の子であってもそうなのだ。いや、あの年頃だからこそ、異質な存在になった義勇を、同級生たちは許容できなかったに違いない。
 義勇の教科書に書きなぐられた、明らかに複数人の手による下卑て残酷な言葉を、鱗滝は苦々しく思い出す。上履きも同じ有り様だった。惨状に気づき、鱗滝が校務員を務めるキメツ学園へと義勇を転校させたのは、ほんのひと月ほど前のことだ。快く受け入れてくれた理事長には感謝しかない。
 義勇はなにも言わなかった。苛められていることにすら、なにも感じていないようにすら見えた。漂うようにただふわりとそこにいるだけで、自身の望みも反感も義勇は口にしない。そもそもそういった一切を感じることができないように思われた。
 まだ幼い子供が、そんな今の義勇に懐く様など、鱗滝の想像の範疇を超えている。

 一体どんな子供なのだろう。

 話をしてみたいものだと思ったそのとき。
「爺ちゃん!」
「鱗滝さん!」
 大声で自分を呼ばわりながら駆け込んできた孫たちに、鱗滝はつい眉をひそめた。
「おい、よそのお宅でそんな大声を出して走るな」
「それどころじゃないんだって! 義勇が!」

 義勇が泣いた!!

 声をそろえて言った二人に、鱗滝は目を見開き立ち上がった。
 きょとんとする若夫婦に声をかけるのももどかしく、鱗滝は「こっち! 早く!」と促し走る二人に続き、奥の部屋に駆け込んだ。

 そこに見た光景を、鱗滝は生涯忘れないだろうと思った。

作品名:迷子のヒーロー 作家名:オバ/OBA