迷子のヒーロー
義勇の心が迷子になっても、どんなに大変な場所にいても、がんばって絶対に迎えに行くから。
だから、いっぱい笑ってほしいと、炭治郎も義勇を見つめたまま、ふわりと笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暇を告げる鱗滝に倣うように、そろって頭を下げる義勇や錆兎たちに、禰豆子が笑いながらバイバイと手を振る。義勇に用意したパンは、さらに数を増やして袋に詰められ、今は錆兎の手にあった。
鱗滝の家は、竈門ベーカリーから見て、キメツ学園を真ん中にしたちょうど反対側らしい。学校から家に帰る道は真逆なのだから、義勇が来てくれることはないだろう。炭治郎が逢いに行くにしても、小学一年生の足では、キメツ学園までだってなかなかに遠い。
次はいつ逢えるんだろう。しょんぼりしたくなるけれど、みんながうれしそうにしているのに炭治郎だけが落ち込んだ顔を見せるわけにもいかない。なぜだかズキズキする胸をこらえて、炭治郎は「サヨナラ」と義勇に言うと、ぎこちなく笑ってみせた。
義勇の目は少し赤くなっていたけれど、もう涙はない。笑ってくれたのも一度きりで、泣きやんでからはまた、無表情のままだ。
と、突然義勇の手が伸びてきて、炭治郎の頬を摘まんだ。
「いひゃいっ、義勇さん?」
「……なんで笑わない?」
ぷにぷにと炭治郎の柔らかい頬を摘まみ、小首をかしげて言う義勇から、どこか不満そうな匂いがする。
「笑いました……」
「笑ってない」
うぅっ、と炭治郎は言葉に詰まる。サヨナラと笑ってみせたものの、たしかに作り笑いだ。
だって次の約束もなしにサヨナラなんて、笑って言えない。もしかしたらもう逢えないかもと思ったら、なんだか泣きたくすらなってしまう。
義勇の突然の行動に、鱗滝や錆兎たちはぽかんとしている。炭治郎の父や母も、おやまぁという顔で目をパチクリとさせていた。
なにか言わなければいけないのはわかるのだけれど、でも、どうしたらいいんだろう。
だって、炭治郎はわがままを言ったことがほとんどない。物心ついたころにはもう『お兄ちゃん』だったから、わがままを言われたり甘えられたりするのには慣れている。けれども、自分が甘えるのはとても下手だ。父さんや母さんを困らせてしまうから、わがままなんか言っちゃ駄目だとも思っている。
わがままなのは、義勇だって困るだろう。でも。
次はいつ逢えますか。いっぱい逢いたいです。今度は剣道してるとこを見せてもらってもいいですか。どうやってあんなに怖い犬をねじ伏せられたのか、俺にも教えてほしいです。義勇さんにギュッてしてもらえて、うれしかった。俺もまた義勇さんのことギュッてしてもいいですか。
もっと。もっともっと、義勇さんと一緒にいたいです。
そんな言葉を言っていいのだろうか。義勇は学校にさえ最近ようやく行けるようになったばかりだと聞いた。それなのに、逢いたいなんてわがままを言ってもいいんだろうか。
困ってしまってもじもじと、頬を摘ままれたまま上目遣いに義勇を見る。義勇は感情の読めぬ目で炭治郎を見つめていた。じっと見据える眼差しの意味がわからなくて、炭治郎はますます困ってしまう。
「……あの」
「自転車」
「え?」
「乗れるか?」
聞かれてこくりとうなずけば、やっと炭治郎の頬から指が離れた。
「今度の日曜日に迎えに来る。姉さんと……義兄さんに、逢いに行く」
「義勇さんのお姉さんとお兄さんに?」
こくりとする義勇に鱗滝がぎょっと目をむくのが見えた。
「義勇、お前……」
「先生、墓参りに行ってもいいですか?」
炭治郎と一緒に。
義勇が言った言葉に、炭治郎はぱぁっと顔を輝かせた。
「お墓参り行きます、俺! 義勇さんと一緒に! 母さんいいでしょ!?」
うんうんとうなずく鱗滝の目は、また涙が滲んでいる。きっと涙もろい人なんだろう。うれしそうな鱗滝とは反対に、錆兎と真菰はずるいと声を上げ頬をふくらませていた。それを見て、禰豆子も私も行くと手を上げるしで、なんだか一気に騒がしい。義勇が少し困ったように眉を寄せるのを、炭治郎もどうしようと見上げる。
錆兎や真菰とも仲良くなれたし、禰豆子を置いてひとりで出かけるのは気も咎める。でも、本当は。
「あら、それじゃみんなで行ったらどうかしら。ねぇ、お父さん。たまには臨時休業して、子供たちを連れてうちもお墓参りしましょうよ」
「いや、奥さん、それは申し訳ない。私が連れていきますから」
「いやいや、たまにはうちも、子供たちと出かけてやらなきゃなと思ってましたから」
父までが母と一緒になってそんなことを言い出したものだから、禰豆子や錆兎たちはやったと万歳している。
あれよという間にまとまった、二家族そろっての墓参り。大人たちの話を聞いていると、どうやら竈門家のお墓と義勇のお義兄さんのお墓は、偶然にも同じ霊園にあるようだ。義勇の姉の眠る霊園だけ別の場所だが、それほど離れているわけでもない。なんならみんなでお参りして、その後は一緒に食事でも。大人たちの会話に錆兎たちや禰豆子も大盛りあがりで、すっかり誰もがその気になっていた。
本当は、義勇さんと二人っきりがよかったんだけどな。義勇さんを独り占めしてみたかったんだけど……。
ちょっぴり残念だけれどしかたない。義勇さんとお出かけできるだけでもうれしいんだから、そんなわがままは言ったらいけない。
うん、禰豆子だけじゃなくて竹雄や花子も一緒に行けるんだから、きっとこのこうがいいんだ。そう思って笑った炭治郎の耳に、不意に屈み込んだ義勇が顔を寄せてきた。
「あの犬の家を聞いておいてくれ。二人で逢いに行こう」
小さい声で言われて、顔を離す義勇を茫然と見上げたら、無表情のまま義勇が人差し指を唇に当てた。
内緒、と、言うように。
義勇の瑠璃色の目が、ちょっとだけ悪戯っぽく輝いた。
はいっ! と、思わず大きく返事しそうになって、炭治郎は慌てて自分の口を手で塞いだ。
だって内緒なのだ。内緒でふたりでお出かけするのだ。
炭治郎のヒーローはやっぱりすごい。炭治郎が残念に思ってるのをちゃんとわかってくれた。
きっと、墓参りの日は晴れるだろう。みんなでお墓の掃除をして、お姉さんにもお義兄さんにも約束するのだ。義勇さんがいっぱい笑ってくれるようにがんばりますと。あの犬とも、次にあったらきっと仲良くなれるはずだ。
義勇さんと一緒に、散歩させてもらえるといいな。炭治郎は、ほわほわとあったかな義勇との約束を、胸の奥で抱きしめる。
うれしくてえへへと笑ったら、義勇の唇がほんの少し笑みの形を作った。