年年歳歳番外編詰め
天元が天元らしくあることを、母だけは望んでくれると思っていたのに。
「そう。君は凄いね。まだ幼いのに、自分を抑えてまでも人を守ることを知っている。そのうえで、自分を殺さず保っている」
やさしく言う目の前の人を、どこか呆然として天元は見つめた。
この人は責めないのだろうか。誰も彼もが天元が自分らしくあることを責めたのに。天元の今の言葉を罪だとは思わないのか。
「お母さんのことを守ってきたんだろう? でもね、もういいと思うよ。君のお母さんは自分自身で選んだんだ。ああして君のお父さんの庇護下で生きる代価として、自身の心だけでなく君の心までもあの人に渡すことをね」
ザクリと音を立てて、心が切り裂かれたような気がした。
青ざめる天元を見ても、産屋敷は笑みを崩さない。
「君の心は君のものだ。たとえ親だからといって、勝手にしていい道理はない。けれど君のご両親はそんなことすらわからなくなってしまっているようだね。残念だけれど君のお母さんは、君に守られていることすらもうわかっていないらしい。わかろうとしない道を選んでしまった」
ふ、と。心に空気が送り込まれた気がした。切り裂かれたその傷から。いや、傷ではないのか。
「天元、つらいだろうけれど認めなければいけないよ。君の家族はもう、君の誠意だけでは変われない。変わることを彼らは望まない。君とはわかりあえない存在だということを、本当は君も理解しているんだろう?」
なぜだろう、むごいことを言われているはずなのに、息が少し楽になった気がする。心に通気口が作られたみたいだ。
本当はもうわかっていた。自分の家族はもう駄目なのだと。天元とは違う生き物になってしまったのだと。すべてを支配しようとする父も。父のコピーである弟も。父の所有物でいることを選んだ母も。自由を求めてやまない天元とは、あまりにも違う。天元だけが異質だ。
そんなこと、本当はもうわかっていたはずだ。ただ、認めたくなかっただけ。母だけはと思っていたかっただけ。
「でも、俺はまだあの家から出られない……自由になれない。認めたら余計みじめになるだけだっ」
そうだ、認めてしまったらもう戻れない。弟のように父のコピーになることもできず、母を守るという理由も失い、けれど自由になることは許されない。光を失ったより昏い水底で溺れ、朽ちていくしかないじゃないか。
また苦しくなって吐き出すように言えば、産屋敷は今のままならそうかもねと、にこやかに笑った。そして言ったのだ。
「高等部を卒業するまでの期限付きではあるけれど、自由に生きる場所が君には必要だと思うよ。そして私はその場所を君に提供できる立場にある。どうだい、天元、私の学園に来るかい?」
キメツ学園には中等部から寮がある。学校独自の奨学金もあるから、もしお父さんが金銭面で入学を阻もうとしても、君の力だけで入学は可能だ。まぁそんなことは私がさせないけれどね。
産屋敷は楽しげに言う。これでもそれぐらいの力はあるんだよ、と、悪戯っ子のように笑う。
「ねぇ、天元。私は君が自由に描いた絵が見てみたい。この素敵な光景そのままに、きっと私の心を弾ませてくれるだろうね。じつに楽しみだよ」
これは罪人に降ろされた蜘蛛の糸なんかじゃない。溺れる天元に投げられたレスキューロープ。きっと切れることはない。
微笑むこの人は、きっと天元を引き上げるそのロープを手放さない。
「でも、俺の絵って前衛アートなんですけど」
もう心は決まっているけれど、まずは自分らしく言ってみる。
生意気でいい。それが本当の俺だ。それでもきっと、産屋敷は笑ってくれるだろう。
そして。天元が想像したより楽しげに、産屋敷は笑った。
だからもう、天元は溺れたりしない。また誰かが水底に落とそうとしたって、派手に泳ぎ切ってみせようじゃないか。
そう、派手に、楽しく、おもしろく、自由に!
だってそれこそが俺、本当の宇髄天元さまってもんだろ?