転変 2
水のせせらぎが優しく聴覚を撫でていく。
しかし煉獄の胸中はまるで穏やかなそれではなく、正面からこちらを見つめる鬼にすべての思考を持っていかれていた。
ーー俺のものになれ、杏寿郎。
温かな視線、優しい声音。
それが人であれば、好意を疑うことは相手を侮辱することに繋がるだろう。
しかし彼は鬼だ。上弦の参だ。
人間に……食糧に好意を持つなど、あり得るのか?
反応に窮するこちらに、猗窩座は微笑をもって続けた。
「まあ、だからといって俺とお前が連れ添うわけではない。俺がお前に惚れているということだけ認識していろ」
「……鬼に、人を愛する心があるというのか」
「そんなことは知らん。だが俺は杏寿郎がいい。杏寿郎の強さ、振る舞い、表情、肉体、言葉……すべてがいい。壊したくない」
まっすぐな物言いに、煉獄は立ち尽くす。
どくん、どくん、と。
心臓が胸を内側から殴りつけてくる。
「…仮に俺がその認識をもったところで、君への態度に変わりはないだろう。隙があれば斬る」
低い声音で、困惑を押し隠す。
そんなこちらに猗窩座は軽く頷き、笑みを深めた。
「それでいい。杏寿郎は誰にも媚びない」
「……」
嬉しそうな表情から、思わず煉獄は視線を逸らしてしまう。
胸中に渦巻くこの困惑は、彼から向けられた好意に対するものではない。
猗窩座の言葉により芽生えた、己の感情に対してだ。
これは…歓喜。
あわよくば友人のような関係として、とつい先程まで思っていた相手から放たれた告白に、この身は喜びを感じている。
何が友人だ。外から想いをぶつけられて自身の心を知るとは、男児として不甲斐ない。
俺は煉獄家の人間。鬼殺隊の柱だ。
自分一個の気持ちなどに囚われてはならない。
たとえ、それが恋と呼ばれるものだとしても、責務の前には取るに足らない瑣末なこと。
やるべきことは、変わらない。
「…恋などに現を抜かして、うっかり他の隊士に頸を斬られないようにすることだ」
それは、自分自身への戒めでもある。
思考を整理し挑むように煉獄が金色の双眸を見返すと、猗窩座はぱっと破顔した。
「俺は杏寿郎のものだ。万一斬られても再生してやる」
「君ならやりかねないな」
あり得ないことをさらりと言ってのける相手に、煉獄も笑みが零れる。
それを満足そうに目を細めて眺めていた猗窩座は、不意に何か思い出したように話題を変えた。
「そういえば、杏寿郎と初めて会ったあの列車に鬼がいただろう。鬼狩りと一緒に下弦の壱とやり合っていた奴だ」
「竈門妹のことか。彼女がどうした」
無限列車にて、鬼の身でありながら乗客を守ろうと奮闘していた少女の姿を思い出す。
確か名前は、竈門禰豆子といったか。
煉獄が頷くと、猗窩座の顔から感情がすっと消えていった。
「あいつはどうして鬼の支配から逃れている?」
「……。何故、そんなことを訊く?」
どれほど言葉を重ね、想いあっていたところで彼は上弦の参。
鬼舞辻無惨からの命令が第一であり、それがあの少女の身柄や存在に関するものである可能性は十分ある。
質問に質問を返し、夜でも輝きを放つ金の瞳を正面から捉える。
猗窩座は視線を足下に落とすと、無表情のまま小首を傾げた。
「……」
饒舌な彼に似つかわしくない、不自然な沈黙。
長い睫毛が、二度瞬きする。
急かすでもなく、相手の返答をじっと待っているとやがて猗窩座がぽつりと呟いた。
「…何故だろうな」
「ーー…、」
想定外の言葉に肩透かしをくらいつつも、煉獄は相手の様子を窺う。
猗窩座は、軽く腕組みをして己の思考を覗き込むように俯いた。
「…特に理由はない。ただの興味だ」
何か目的があってあの少女を探ろうとしているのやもと勘繰ってみたが、思い過ごしだろうか。
真剣に自身と向き合い、答えを探している様は演技ではあるまい。
彼が嘘を吐いているようには見えなかった。
しかし煉獄の胸中はまるで穏やかなそれではなく、正面からこちらを見つめる鬼にすべての思考を持っていかれていた。
ーー俺のものになれ、杏寿郎。
温かな視線、優しい声音。
それが人であれば、好意を疑うことは相手を侮辱することに繋がるだろう。
しかし彼は鬼だ。上弦の参だ。
人間に……食糧に好意を持つなど、あり得るのか?
反応に窮するこちらに、猗窩座は微笑をもって続けた。
「まあ、だからといって俺とお前が連れ添うわけではない。俺がお前に惚れているということだけ認識していろ」
「……鬼に、人を愛する心があるというのか」
「そんなことは知らん。だが俺は杏寿郎がいい。杏寿郎の強さ、振る舞い、表情、肉体、言葉……すべてがいい。壊したくない」
まっすぐな物言いに、煉獄は立ち尽くす。
どくん、どくん、と。
心臓が胸を内側から殴りつけてくる。
「…仮に俺がその認識をもったところで、君への態度に変わりはないだろう。隙があれば斬る」
低い声音で、困惑を押し隠す。
そんなこちらに猗窩座は軽く頷き、笑みを深めた。
「それでいい。杏寿郎は誰にも媚びない」
「……」
嬉しそうな表情から、思わず煉獄は視線を逸らしてしまう。
胸中に渦巻くこの困惑は、彼から向けられた好意に対するものではない。
猗窩座の言葉により芽生えた、己の感情に対してだ。
これは…歓喜。
あわよくば友人のような関係として、とつい先程まで思っていた相手から放たれた告白に、この身は喜びを感じている。
何が友人だ。外から想いをぶつけられて自身の心を知るとは、男児として不甲斐ない。
俺は煉獄家の人間。鬼殺隊の柱だ。
自分一個の気持ちなどに囚われてはならない。
たとえ、それが恋と呼ばれるものだとしても、責務の前には取るに足らない瑣末なこと。
やるべきことは、変わらない。
「…恋などに現を抜かして、うっかり他の隊士に頸を斬られないようにすることだ」
それは、自分自身への戒めでもある。
思考を整理し挑むように煉獄が金色の双眸を見返すと、猗窩座はぱっと破顔した。
「俺は杏寿郎のものだ。万一斬られても再生してやる」
「君ならやりかねないな」
あり得ないことをさらりと言ってのける相手に、煉獄も笑みが零れる。
それを満足そうに目を細めて眺めていた猗窩座は、不意に何か思い出したように話題を変えた。
「そういえば、杏寿郎と初めて会ったあの列車に鬼がいただろう。鬼狩りと一緒に下弦の壱とやり合っていた奴だ」
「竈門妹のことか。彼女がどうした」
無限列車にて、鬼の身でありながら乗客を守ろうと奮闘していた少女の姿を思い出す。
確か名前は、竈門禰豆子といったか。
煉獄が頷くと、猗窩座の顔から感情がすっと消えていった。
「あいつはどうして鬼の支配から逃れている?」
「……。何故、そんなことを訊く?」
どれほど言葉を重ね、想いあっていたところで彼は上弦の参。
鬼舞辻無惨からの命令が第一であり、それがあの少女の身柄や存在に関するものである可能性は十分ある。
質問に質問を返し、夜でも輝きを放つ金の瞳を正面から捉える。
猗窩座は視線を足下に落とすと、無表情のまま小首を傾げた。
「……」
饒舌な彼に似つかわしくない、不自然な沈黙。
長い睫毛が、二度瞬きする。
急かすでもなく、相手の返答をじっと待っているとやがて猗窩座がぽつりと呟いた。
「…何故だろうな」
「ーー…、」
想定外の言葉に肩透かしをくらいつつも、煉獄は相手の様子を窺う。
猗窩座は、軽く腕組みをして己の思考を覗き込むように俯いた。
「…特に理由はない。ただの興味だ」
何か目的があってあの少女を探ろうとしているのやもと勘繰ってみたが、思い過ごしだろうか。
真剣に自身と向き合い、答えを探している様は演技ではあるまい。
彼が嘘を吐いているようには見えなかった。