転変 2
「ーーそうか。しかし彼女に関してはこちらも不明な点が多い。俺もほとんど情報は持ち合わせていないんだ、すまない。」
鬼になってから二年以上もの間一度も人を食ったことがないことや、睡眠が影響している可能性等、多少聞き及んで知っている部分もあるが軽々に敵方に吹聴することはできない。
「逆に君たちの方が詳しいと思っていた。やはり珍しいのか?」
「珍しいどころではない。なんの施しもなく支配から逃れるなどあり得ん。あってはならないことだ」
「ふむ…」
確かに、命令に従わない鬼など無惨からしてみれば増やしたところで利用価値は低い。
ましてや鬼殺隊に与する鬼が現れたとあっては本末転倒だろう。
「今のところあの御方に目をつけられてはいないが、あんな弱い鬼、胸三寸でどうにでもなるぞ。せいぜい気をつけることだ」
「進言は有り難く頂戴しよう。だが、何故そんな忠告を?」
「弱者がどうなろうと知ったことではないが、お前が悲しむのは耐えられないからな。」
猗窩座は器用に足の指で河原の石を拾い上げて、戯れのように川に放り投げながら当たり前といった風に言う。
「悲しみを呑み込んで、何もなかったように振る舞う姿が目に見える。お前が本当の笑顔でいられるように、弱者共には身を守ってもらわなくてはならない」
ぽちゃん、ぽちゃんと水面を打って消えていく小石を視線で追いつつ、煉獄は胸に温かいものが広がっていく感覚に眉尻を下げる。
本当に、鬼らしくない鬼だ。
屈んで平たい小ぶりな石を適当に選び、煉獄はおもむろに川岸に歩みを進めると横ざまに振りかぶってそれを投げる。
月光を受けて煌めく水面を石が三度ほど跳ねて沈んだ。
猗窩座が隣で、上手いものだなと素直に感心していた。
「妙な技だな、杏寿郎。それも呼吸か」
「なんだ君、水切りを知らないのか。呼吸は関係ないぞ」
程良い大きさの石を見繕ってやり、簡単に要領を教えてやると猗窩座は頷きつつ真剣に聞き入っている。
見よう見まねでやってみたが、回転が足りないのか力みすぎたのか、一度も跳ねずに猗窩座の石は川に呑まれていった。
あからさまにむっとして新しい石を選ぶ姿が可愛らしい。
「…杏寿郎はこんな鍛錬もしているのか?」
「いや、弟を喜ばせる為に子供の頃に少し練習はしたが、それきりだな」
「弟か。…一緒に暮らしているのか」
ぽつぽつと会話の応酬をしながら、もう一度見せろという要求に笑顔で応えて投げてやる。
今度は五度、うまく跳ねた。
倣って投げる猗窩座の石は、やはりそのまま沈んでいく。
「ああ。気立の良い、優しい子だ」
「お前の弟なら、やはり剣術も優れているのだろう。鬼狩りか?」
「……あの子は剣士には向かない。おそらく優しすぎるんだ」
「なんだ、弱者か」
「それは違う。あの子ほど、心の強い者を俺は知らない。不得手から逃げず、不遇に屈さない。俺の誇りだ」
ちらりと猗窩座の視線が一瞬こちらに向けられたが、すぐに逸らされ、彼は再び水切りに挑む。
「……配慮を欠いた発言だった、すまない」
「驚いた…。君、謝れるのか」
つい本音が口をついてしまうと、どういう意味だと即座に噛み付かれ苦笑を返す。
僅かに唇を尖らせて猗窩座が呟いた。
「杏寿郎の大切な者だろう。…理解できずとも、侮辱はできん」
「…ほう、その考え方は好きだ。君は存外良い奴だな」
「ふん。俺とて鬼でなければ杏寿郎と暮らせたはずだ。その弟と同居人になったかもしれんからな」
本気らしい物言いに、煉獄は思わず声を上げて笑った。
「それは楽しそうだ!君となら毎日だって鍛錬できるだろう」
「鍛錬なら今もできるぞ。やるか?」
「鬼とはしないと言ったはずだ」
勢いよく振り向き瞳を輝かせる相手を、それはそれとばかりにばっさり切り捨てる。
頑固者め、というぼやきと共に放たれた石は、またもや跳ねずに水飛沫をあげて沈んだ。