転変 2
「…俺が鬼ではなかったら、俺のことも誇ったか」
不意に、声音に影が落ちたように感じ煉獄は相手の顔を見遣った。
先程同様、表情が抜け落ちたような、無感動な顔。
まるで、己の存在意義を見失ってしまった迷子のようにも見えて。
だからこそ、煉獄は力強く、はっきりと頷いてみせた。
「誇っただろう。しかし、君が鬼でなければ、そもそも俺たちは巡り会うこともなかった。生まれた時代が違う」
「……」
「君と出会えたことに俺は感謝している。無論鬼である以上斬らねばならないが、こうして語らうひと時は心地良い。」
ふと、ある考えが頭をよぎる。
もしかして彼はーー
「……君は、鬼になったことを、後悔しているのか?」
猗窩座はこちらの問いに目を見開いたが、ふっと小さく笑いそんなわけないだろう、と一蹴した。
「俺が求めたものは、何者にも奪われない強者としての力だ。弱いままでは、何も守れない」
「…守りたかったものがあったんだな」
おそらく無意識に零したのであろう言葉を大切に拾い上げると、何か引っかかりを覚えたように相手がぴくりと反応した。
「守りたかった…もの…?」
「…?うむ、そういう意味ではなかったか?」
「……守りたかった?誰が…俺が?……守れなかった?…何を、」
聞き取れないほど小さな声で呟き、手におさめていたらしい小石がぽとりと河原に滑り落ちた。
呆然と立ち尽くす猗窩座を気遣わしげに見守るものの、煉獄は下手に口を挟むことなく一歩近づき向き合う。
「俺は、何を守れなかった…?」
ゆっくりと顔を上げ、向けられる縋り付くような視線を真っ向から受け止める。
人間だった頃の記憶を辿っているのだろう。
きっと彼には、力及ばず守れなかった何かがあった。
それをきっかけに鬼になったのかもしれない。
力を求めて。もう、何も奪われないように。
そのとき、猗窩座がはっとして口を引き結んだ。
いつかと同じ、声なき声に耳を傾けるように意識を集中している。
「……杏寿郎、今のは忘れろ。俺はもう行く」
「大丈夫なのか」
「当然だ、俺を誰だと思っている。…少し、状況が変わるかもしれん」
「……そうか。無茶はするな」
どういう意味かはわからないが、何か確信めいた口調で告げる相手に頷き返す。
そのまま、猗窩座は闇に消えていった。
鬼になる前は、誰しも皆人として生を歩んでいた。
何がきっかけで鬼に堕ちるかは、十人十色だろう。
猗窩座の場合は何か悲壮な過去があったのかもしれない。
鬼になれば、人だった頃の記憶はなくなるという。
しかし、もしそれをなんらかの形で取り戻すことができたとき……その鬼は、果たして鬼として生き続けることができるのか?
猗窩座は、鬼の支配から逃れる方法を訊ねてきた。
本人は否定していたが、鬼でなければなどと後悔を匂わせる発言もあった。
そして人だった頃の記憶の片鱗を見た可能性と、最後の言葉。
それらをまとめるとひとつの考えが浮かび、煉獄は眉根を寄せた。
彼の内面に変化が起きていることは間違いない。
その変化が、良い結果をもたらすとは限らないのだ。
「…無茶はしてくれるなよ」
呟いた声は、水の流れる音に呑み込まれ、夜空に響くことはなかった。
fin.