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 広い草原を、一頭の獅子がゆっくりと歩いていました。草原は広く、空は地平よりずっと遠くまで広がり、灼熱の太陽がギラギラと照っています。
 草原といっても見渡すかぎり緑はまるで見えません。生き物の姿も、獅子よりほかには一匹たりと見かけませんでした。この一年ばかり草原にはほとんど雨がふらず、もはや死の平原と言っていい有り様だったのです。
 獅子の足取りはヨロヨロとしていました。獅子の視界がゆらゆらと揺れるのは、立ち上る陽炎のせいばかりではないでしょう。空腹と乾きでクラクラと目眩がするほどだったのです。
 それでも獅子は、凛と胸を張り毅然と顔を上げて歩いておりました。その姿は、いかに弱りきっていようとも、まさに百獣の王にふさわしく威風堂々としていました。まだ若く、たくましい体躯の獅子です。
 獅子は遠い南の地からやってきました。草原よりも暑く、緑豊かな密林が獅子の生まれ故郷です。若獅子にとっては身を焼く太陽はさして苦でもありませんでしたが、たいそう腹を減らしておりました。この草原に足を踏み入れて以来、獅子は、餌はおろか水一滴口にしてはいません。獲物となる動物は死に絶えるか、緑を求めとうに群れを移したのでしょう。
 狩りができなければ、腹が減るのも道理です。おまけに、途中で見つけたいくつかのオアシスもすっかり水が枯れ、獅子はどうしようもなく喉が渇いてもいました。
 自分のプライド(縄張り)を得るために生まれ育った密林を出たものの、このままでは縄張りをめぐってほかの雄と戦ったところで、勝てるものではありません。それどころか、空腹と乾きで息絶えるのは時間の問題だったでしょう。
 乾いた砂まじりの熱い風が、獅子のたてがみを揺らします。豪奢な金と真紅のたてがみは、だいぶ毛ももつれ砂ぼこりにくすんでおりましたが、輝きを失いきってはいませんでした。どれだけ空腹を抱えてもうつむくことなく歩むその獅子の姿は、あくまでも堂々としていたのです。
 その獅子は、勇猛果敢で知られる赤獅子でした。その若獅子を見るものがあれば、まさに草原の覇者となるべく生まれたような獣だと、感嘆のため息をこぼしたかもしれません。若いながらに威厳と覇気をそなえた獅子でありました。
 とはいえ、ほかに生き物のいない草原では、いかに美しいたてがみや精悍な体躯を持とうとも、なんの意味もなしません。獅子はただ、ふらつく足でどうにか歩みを進めておりました。
 よろけつつも歩いているうちに、獅子の鼻先をかすかな水の匂いがよぎりました。やれ助かった、乾きだけは癒せそうだ。獅子は水の匂いがしたほうへと、なんとか歩いていきました。
 ほどなく見つけたのは小さな泉です。泉の周りの茂みもほとんど枯れ果てていましたが、水はこんこんと湧いています。澄みきって凪いだ水面(みなも)はきらきらと日差しを弾き、まるで獅子を誘っているかのようでした。
 夢中で口をつけた水は冷たく、甘く、獅子の体に染み渡っていきます。獅子はガブガブと必死に水を飲みました。そうしてしばらく水を飲み続け、獅子はようやく泉から顔を上げました。
 泉はまだまだ枯れる気配がないようですが、それでも生き物の気配はまるでありません。小さな泉です。この泉をめぐって亡くなった生き物は少なくないのでしょう。辺りをよくよく見れば、泉の周りには多くの骨が散らばっておりました。
 わずかな水と草を取り合い争った挙げ句、残ったものはみな新天地を目指し草原を去ったのでしょう。草原にはもう、赤獅子しかいないに違いありません。これではプライドを作るなど土台無理な話です。雌の獅子どころか生き物がいないのであれば、生きていくことさえできません。
 獅子は疲れた息を一つ吐くと、立ち去ろうとしました。そのときです。小さな水音が聞こえ、獅子はとっさに振り返りました。これはぬかった、ほかに生き物がいたのか。むざむざ獲物を逃すところだった。さっと鋭い視線を泉に投げた獅子は、泉のなかに動くものを見つけました。
 それは一匹の魚でした。瑠璃色に輝く美しい鱗におおわれた魚はそれなりに大きく、喰らえば今しばらく歩いていくだけの力を得られそうでした。
 獅子はじっと魚を見つめました。けれどもその視線にはもう、獲物を狙う鋭さはありません。獅子は瑠璃色の魚に目を奪われ、言葉もなく見惚れていたのです。
 なんと美しい生き物だろう。きらきらと輝く鱗は星月夜を思わせました。長いヒレを揺らす姿はどこまでも優美で、天女の衣もかくやといった美しさです。
 息を詰めて獅子が見つめていると、魚がゆらりと身を揺らせ、いかにもおずおずと岸辺に近づいてきました。
 魚が水面にちょっぴり顔を突き出しました。まるで私をお食べなさいとでも言っているかのようです。実際、獅子がひょいと鋭い爪でひっかければ、魚はたやすく捕まえられたでしょう。魚は逃げるでもなく、ただじっと獅子を見上げていたのですから。
 けれども獅子は魚をとらえるどころか、ドサリと腰をおろすと、いっそうまじまじと魚を見つめるばかりでした。
 獅子は、これほどまでに美しい生き物を見たことがありませんでした。こんなにも美しい生き物をひと飲みにしてしまうなど、滅相もない。魚を見つめているだけで、獅子の心臓はドキドキと高鳴ります。いつまでだって見つめあっていたいとすら思いました。
 魚がゆらゆらと長い尾ビレを揺らすたび、水面には静かに波紋が広がってゆきます。瑠璃の鱗は水のなかでもキラキラときらめき、星のまたたきを見るようでした。
 少しだけ水面に顔を出したまま、魚もじっと獅子を見つめています。いったいどれぐらい見つめあっていたでしょう。やがて魚はプクンと泡(あぶく)一つを残し、水底へと潜っていきました。ゆっくりと泳ぐその様は、獅子が自分を食べずにいるのがいかにも無念だと言っているように獅子には見えました。
 沈む魚影に向かい、獅子はグルルと小さくうなりました。行かないでくれ、もっとその姿を見せておくれと、獅子はなるったけやさしくうなります。ちょっぴり甘えるようでもありました。
 獅子の声が届いたのでしょうか、魚は、ふたたびゆっくりと水面に近づいてくれました。けれども今度は顔を出さず、クルリ、クルリと、誘うように泳いでおります。まるで踊っているようにも見えました。獅子はなんだかとても楽しくなってきました。
 魚のヒレがひらりと揺れるたび、獅子もパタパタと長い尾を揺らしてみせました。こんなにも心躍るのは久しぶりです。なんとも愉快だ。獅子はうれしげな咆哮を上げました。空腹でへこんだ腹でもその声は大きく高らかで、真っ青な空にとどろき渡るほどでした。
 楽しげな遠吠えに応えるかのように、魚がパシャリと跳ね、空中で身をよじらせました。瑠璃の鱗がいっそうきらめき、獅子の顔に降り掛かった水しぶきはまるで真珠の粒のようです。そのしなやかな肢体に獅子はますます見惚れ、ご機嫌に尻尾を揺らせました。
 飢えた腹はキリキリと痛みましたが、獅子はそれでも、魚を食らおうとはまったく思いませんでした。瑠璃色にきらめく魚を見ているだけで、とても満たされた心地になっていたのです。
作品名:twine 作家名:オバ/OBA