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 獅子はすっかり腰を落ち着け、太陽が沈み夜が訪れても、ずっと小さな泉のほとりから離れませんでした。
 日差しを弾く様も見惚れるほどに美しい魚の鱗は、月明かりの下ではなおいっそう艶やかに見え、獅子を魅了します。夜の魚は、昼間よりも頻繁に、昼間よりも少しばかり長く、水面から顔をのぞかせてくれました。ピシャンと水音を立てて、何度も水上に跳ね上がってもくれます。
 もしかしたら、昼間は日差しが暑すぎて、魚の身には酷なのかもしれません。獅子はたいそう夜目が利きますので、瑠璃の鱗が月の青白い光をまとってきらめく様も、よく見えました。
 ときに一頭と一匹は、ヒレと尻尾をともにゆらして、触れあえぬダンスを楽しみました。長く見つめあいもします。
 そうして日が昇り、また沈むのを、幾度繰り返したでしょう。夜空に輝く月がだんだんと丸く太っていくあいだ、泉を訪れる生き物は一匹たりといませんでした。まだ草原にいたとしても、獅子が恐ろしくて泉には近づけないのでしょう。ともあれ、今、泉は獅子と魚のためだけにありました。
 飢えが本能を刺激するたびに、獅子は、魚にお伺いを立てるように鼻先でちょんと水面を揺らします。そうすると魚は心得たとばかりに岸から少し離れるのです。
 喉の乾きを癒すよりむしろ、どうにか腹を満たすために獅子は、しきりと水を飲みました。魚は獅子が水を飲み終えるたび、長く水面に顔を出しました。それはまるで、かまわないから私をお食べなさいと、獅子に訴えかけているように見えます。
 いえ、実際魚は、さぁどうぞと言わんばかりに岸へと跳ね上がってきさえしたのです。獅子があわてたのは言うまでもありません。獅子は岸で苦しげに身をくねらせる魚を鼻先で押しやり、泉へと戻しました。
 どこか不満げに見つめてくる魚に獅子はグルルとうなり、君を食べたりはしないと伝えようとしたのですが、魚は何度かそれを繰り返しました。獅子がどれだけやさしく語りかけようと、魚にはきっと獅子の言葉がわからないのでしょう。獅子にも、魚の言葉はわかりません。触れあうこともできません。
 やがて魚も、けっして獅子は自分を食べないと悟ったか、岸へ上がるのは諦めたようでした。ホッとした獅子はやっぱりうれしげな遠吠えをひびかせました。
 そうして一頭と一匹は、ただただ見つめあうことしかできぬまま、いくつもの昼と夜をともに過ごしたのです。
 たとえ見つめあうばかりで触れることすらできずとも、獅子は幸せでした。どれだけ飢えて体がどんどんやせ衰えようと、尻尾を揺らすのすら苦心するほどに弱ろうと、魚を見つめていられることがどうしようもなくうれしかったのです。
 けれどもそんな日は長くは続きません。水で空腹を誤魔化そうと、食べなければ生き物は死ぬのです。獅子にもそのときが近づいておりました。
 獅子には、餌を求めて立ち去るだけの力など、もはやかけらも残ってはいませんでした。この泉で俺は命果てるのだろう。獅子にはすでにその覚悟がありましたが、それでも心残りはありました。
 獅子の一族には、けっして唱えてはならぬ禁呪が伝わっています。それは生涯一度きり、どうしても叶えたい願いを天が聞き届けてくれるというものでした。けれども代わりに、己の命は終わります。その身と引き換えだからこその禁呪なのです。
 このまま終わるのならば、ただ一度。一度きりでかまわないから、あの魚に触れたい。鋭い爪を持つ獅子の前足では、魚の柔らかい体に触れればきっと傷つけるでしょう。大きな牙は魚の腹をかみ裂いてしまうことでしょう。それゆえ獅子は、魚に触れることはできませんでした。
 今まで獅子は、己の強い爪や牙を疎んだことなど一度もありません。必要なぶんの狩りはしますが、それでも赤獅子は王者なのです。弱きものを守るために大きな牙や鋭い爪はあるのです。だから獅子は、己の爪や牙に誇りを持っておりました。
 けれども今このときばかりは、自分の爪や牙を悲しまずにはいられませんでした。獅子はいつしか魚に恋していたのです。
 獅子と魚が番うなど、ありえぬことです。それでも獅子は魚をただひたすらに恋い慕っていました。この魚に触れたい。口づけられたらどんなにかうれしいことだろう。あぁ、この美しい魚と一度でいいから触れあえたら。それはどれだけ甘美な心地がすることか。獅子の脳裏には始終その願いが浮かびます。
 それでも、天へと願うことはできませんでした。願いが果たされたそのときに、獅子の命は終りを迎えるのです。自分に触れた獅子が亡くなれば、魚はなにを思うでしょう。獅子が死から逃れるなどもはやありえぬことですが、獅子は、魚には自分のせいだと思ってほしくはなかったのです。

 また夜が来ました。きっと獅子にとって今生最後の夜です。
 灼熱の太陽は地の果てに沈み、空には濃紺の帳が落ちています。大きくまんまるな月が白く輝き、空を埋め尽くす星々はチカチカとまたたいていました。
 もう座っていることすらできぬほど獅子は弱っていましたが、それでも魚に己が死ぬところを見せたくはありませんでした。別れの挨拶をしたら、泉から見えぬ場所へと行こう。獅子はそう思い定め、なけなしの力を振り絞り元気な声を張り上げました。
 俺のことは心配するな、君はいつまでも元気でいてくれと獅子は吠えます。獅子の言葉は魚には通じませんが、気持ちはきっと伝わるはずだと信じて、獅子は、楽しかったありがとうと高らかに吠え続けました。
 獅子の命は残りわずかで、もう目も見えなくなってきています。けれども獅子は歩み去る力だけあればいいとばかりに、最後の力をすべて、魚を安心させるためだけに使ったのです。
 とどろく咆哮がやみ、辺りが静寂に満たされました。もう行かなければ。獅子がよろよろと立ち上がったそのときです。
 パシャリと水音がして、獅子はゆっくりと泉を振り返りました。きっと魚が別れを告げるために跳ねてくれたのだと思ったのです。
 月明かりに照らされた泉は静かに白く光っています。獅子の金と朱の瞳が見開きました。そこにいたのは魚ではありませんでした。泉のなかにひっそりと立ってたのは、獅子が初めて見る生き物でした。
 空に輝く月のように白い肌、闇夜のように黒い髪は長く、ところどころ跳ねています。しなやかな四肢はしっとりと水に濡れて、ほのかな光をまとっているように見えました。じっと獅子を見つめはらはらと涙を落とす瞳は深く澄んだ瑠璃色で、魚の鱗とそっくりです。そこにいたのはどう見ても人間でした。
 いえ、姿は人であっても、人間でないのは獅子にはすぐにわかりました。
 言葉もなくただまっすぐに獅子を見つめているその人は、あの魚に違いありませんでした。どんなに姿が変わろうと、獅子にはそれがすぐにわかりました。どうして魚が人になったのかは知りません。獅子は禁呪の呪言など唱えてはいないのです、こんな奇跡が起きるわけがありませんでした。
 それでも獅子は、震えながらその人に向かい前足を伸ばしました。金色の毛に覆われているはずの前足は、魚と同じくつるりとした肌の手に変わっていました。驚いた獅子があわてて自分の体を見回しますと、いつのまにか獅子も二本の足で立っているではありませんか。
作品名:twine 作家名:オバ/OBA