天空天河 五
十 寧国公府 その一
靖王府の、靖王の書房。
初めて長蘇が、密道の、靖王府側の扉を開いた。
パタン、、
と、扉を閉める音に、靖王が振り向いた。
蘇宅の書房との、密道の扉の前に立つ、長蘇を見つけた時の、靖王の驚いた顔といったら。
大きく目を見開いて、身動きを忘れたかのように、、、、、止まっていた、、恐らく呼吸すらも。
「、、プッ、、。」
その様に、長蘇は小さく吹き出した。
長蘇が笑った事で、靖王は我に返った。
「小殊、、、。」
靖王は、嬉しいような、悔しいような、複雑な表情を見せた。
互いに、拱手して挨拶を交わし、靖王は長蘇に、座を勧めた。
長蘇が折角、靖王の元を訪れたというのに、どういう訳か、靖王の機嫌が悪い。
靖王の態度や、言葉の端から察するに、どうも、皇宮や軍部で、何かがあって機嫌が悪い、と言うよりも、、、長蘇に腹を立てている、そう感じた。
──さっき 、うっかり吹き出してしまったから、機嫌を損ねたか?。
、、、、だって、、景琰のあの顔といったら、、ククク。
昔に戻ったようで、あまりに可愛く思ってしまったのだ。
許せ。──
「、、、?。
靖王殿下??、、、何か、私に怒っておいでで?。」
「、、、、、。」
差し向かいで、長蘇と靖王が座っている。
長蘇が靖王に尋ねるが、靖王は押し黙り、口を開こうとしない。
「殿下?。」
「いや、何も。
蘇哲が悪いのではなく、悪いのは私なのだろう。」
そう言ってそっぽを向く、靖王の語気は強い。
『悪いのは自分』と言っておきながら、明らかに長蘇を責めている。
──一体何だと。私が景琰に何をしたと?。
確かに笑ってしまったが、そんなに臍を曲げる程のことか?。
何をそんな風に意地けて、私に当たり散らすのだ?。
、、、、昔からそうなのだ。
気に入らない事があるならば、ハッキリと言えばいいのだ。
私が原因に気が付いても、それでも、絶対に言わないのだ。
『この事に怒っているのか?』と聞いても、そうだとも、違うとも言わない。
他の者は叱りつけたり、何が間違っているのか、諭したりする癖に、私にだけは、、、、、。
いつまでもいつまでもぐずぐずぐずぐず、、
、、、、、、、、、イライラ、、、。
、、、、、嫌がらせか?。──
長蘇は、不満気な顔を、靖王に、ついつい見せてしまう。
──こんな顔を、見せたくなんかない。
景琰の前では、笑っていたいのに、、、。
、、、、、全くもう、モーモーモーモー、水牛のバカ。──
むすっと、不満げに伏せ目する長蘇に、靖王はどきりとして、目が離せなくなる。
━━怒ったのか?、小殊。
、、、だが、、、言えない、、、。
誰が言えるか、、、。
あの藺晨とかいう者に、、、、
、、、、、、、、私が、嫉妬しているなんて。━━
眉間に皺を寄せ、長蘇を見つめる靖王は、どこからどう見ても、怒っているようにしか見えず、、、。
──、、景琰、、なんて気難しい奴。──
ぷぅっ、と長蘇の頬が、少し大きくなる。
━━ぁぁぁ、小殊、、こんなにむくれて、、、、ドキドキ。
小殊って、色々、結構、隅々まで、しつこく覚えてる奴だからなぁ。
言わないと恨まれるかな。
見ろ、頬っぺた膨らませて、ムスッと下向いて怒ってる。
しかしな、理由は、、お前にだけは言えないのだ。
藺晨に嫉妬しているなんて、、、言ったら、小殊に呆れられる。
誉王府に呼ばれ、応じたと聞いて、心配をしていたのだ。
何かあれば、助けに行かねばと。
仮にも江湖の江左盟の宗主なのだから、配下がきっと、抜かりなく守るだろうと、思っていたのに、小殊ときたら、一人で誉王府に赴いたと。
誉王に、監禁でもされるのでは、と、気が気では無かった。
だが、その日の夜に、蘇宅に戻った。誉王府で、どうやら何かあったのは確かで、髪や衣服を乱していた。
怒りが込み上げた。
小殊の謀なぞ、知るもんか。私が誉王府に乗り込んで、ぶち壊してやれば良かったと、後悔をした。
蘇宅に戻った小殊は、戻ったばかりなのに、藺晨とかいう奴と、直ぐにまた出かけたと。
藺晨と蘇宅を出る時に、小殊は動く事ができなくなり、藺晨に抱き上げられて、出て行ったと言うではないか!!!!!!。
そして数日、二人は行方不明に、、。
藺晨、、、私の小殊に、一体何を、、、。━━
思い出して、わなわなと、靖王の拳に力が入った。
──ぅ、、わ、、、なんか知らんけど、、めっちゃ、怒ってるやん、、、、、コワー。──
靖王は長蘇に、ちらりと目をやれば、長蘇は大きな目をして、靖王を見つめていた。その姿は、靖王には、怯えているとは映らず、更に怒っているように見えた。
━━、、あ?。
小殊?、、、怒った?。
どうして?、、?。
怒っているのは私の方なのに、、、なぜ?。
、、、私のせいか?。
、、、、そんなに、、、怒るな。━━
痛々しい程の、長い沈黙を割る様に、靖王がぽつりと口を開いた。
「、、、その、、、あの事なのだが。」
「はい?。」
「その、、、誉王府の、、、、、、、
、、、、、いや、闇炮坊の暴発の事件から、間もなく、ふた月が過ぎた。」
靖王は、長蘇が、誉王府に呼ばれた件を、思い切って聞いてしまおうか、と思ったが、自分がどんな顔をして話しているのかと、急いで別の話に言い換えた。
自分の嫉妬心は、あくまで隠しておきたかったのだ。
「、、、陛下から、謹慎令を受けているのに、どうやら誉王は、金陵を出て、行方知れずになったとか、、巷の噂なのだが。
知っているか?、、。」
ふっ、と、長蘇の強ばった顔が、緩やかになった。
靖王は更に話を続けた。
「朝廷は今や、その話で持ち切りで、陛下が揉み消せぬ程、上奏書が上がってくるのだとか。」
「ぁぁ、、その事ですか。
ふふ、、、、間もなく、朝廷の騒ぎは収まりますよ。」
そう言って、長蘇は一口、茶を含んだ。
「、、?。どういう事だ?。」
「それ以上の騒ぎが起こるからです。
実は今日は、その件で、殿下にお願い事があって、来ていただいたのです。」
「それ以上の騒ぎだと??。
、、私に、願いとは?。何をすればいい?。」
含みのある笑みを見せ、長蘇が言った。
「間もなく私は、寧囯公府に呼ばれましょう。」
「??、、、謝玉に??、、何故?。」
「謝玉は赤焔事案に関わっています。
私は謝玉に、事案を覆す、証拠を持っている事を、匂わせているからですよ。
謝玉も気が気では無い。
ふふふ、、、だから、謝玉は私の元に、再三、刺客をよこすのですよ。」
ガタン
靖王が驚き、立ち上がりかけ、机に膝が当たった。
「殿下、そう驚かずに、、。刺客如き、こちらは対応が、出来ておりますので。」
「、、、、、。」
靖王は座ったものの、眉間の皺はそのままで、酷く怒った様な顔になっている。
「ご安心には及びません。今の所、私の元まで来れた刺客はおりません。配下が優秀ですので。殊更、飛流は優れている。」