彼方から 第四部 第六話
何の為にこの屋敷に居るのか……
何の為に、リェンカの実質的支配者と言われている『ラチェフ』に、仕えているのか……
『二番目』という地位に甘んじる為では決して、ない。
自分の為、自分が望む『モノ』を手にする為。
だからこそタザシーナは、『己』を顕示して止まない。
「……いいだろう」
己を誇示し、貪欲で、望みを叶える為ならどんな手を使うことも厭わないタザシーナ……
「その能力、これから見せてもらう」
彼女の自信、彼女の飽くなき欲に、ラチェフは微かに口の端を歪めた笑みを見せていた。
***
「おいおいおい、ラチェフさんよ……まさか、そのチモを使って、奴らのもとへ行けってか?」
「ケイモスッ!」
自分にとって……
どうでも良い話ばかりで飽き飽きした――――
ケイモスの口調には、そんな響きが篭められている。
「きさま! ラチェフ様に向かって何という口の利き方…………!」
「――うるせぇ……」
その乱雑な言葉遣いを窘めようとしてきたラチェフの『傭兵』を、ケイモスは苛立ちの込められた言葉と共に荒く、突き飛ばす。
「どけっ!! 邪魔だっ」
「まっ!!」
続けて、ラチェフの傍で突っ立ったままのタザシーナを、先刻の傭兵よりは『優しく』退かし――
「……たく!! 無礼な男!!」
『邪魔者』扱いされた上に、力任せに無理矢理退かされた、タザシーナの『文句』など耳にも入らないのだろう……
ケイモスはそのままラチェフへ詰め寄り、チモを指差し、見据え――問うていた。
「せいぜい5ヘンベル(約45m)飛ぶのが限度。同調(シンクロ)で長距離やりゃあ、副作用で何日も寝込む。使い続けりゃ精神異常になるわのこいつで、か?」
本当に、そんなことをさせるつもりなのか、と……
だが……
「おれはな――」
周りがどれだけ騒ごうとも、
「早くあいつに会いたくて、うずうずしてんだよ……」
誰がどれだけ、言葉を連ねようとも……
静かに顔色一つ変えずに傍観しているラチェフに、苛立つ。
何が楽しいのか、いつまでもチモで遊んでいるその様に熱り立ち、
「こんなところでぐずぐずしてる暇があったら、さっさと翼竜に乗った方がなんぼか早いぜっ! ちいと無理すりゃ、五日で着ける!」
ケイモスは一気に、その感情を爆発させていた。
『望み』を口にした途端、焦りや苛立ちが、口調と言葉に現れる。
何か考えがあるのか、何か、『策』でもあるのか……
自分の考えを口にすることなく、焦りの欠片も見せないラチェフを責め、急かすように、ケイモスは語気を強め言葉を並べてゆく。
こんな、碌に役にも立たない『チモ』の飼育部屋などに呼ばれたことにも、腹が立つ。
今ならまだ、間に合う。
日数が掛かろうとも、居場所の見当さえ付いていれば、探し出すことは可能なはず……
もう、待つことには飽き飽きだ。
せっかく見つけたこの機会、動かずにいる方が馬鹿だ。
そんな想いが渦巻き、ただただに、苛立ちが募ってゆく――――
「――五日?」
不意に……
ラチェフの顔から、薄い、笑みが消える。
「冗談ではない。そんなに時間をかけていればまた、逃げてしまう……」
纏う空気が、変わる。
暗く、重く冷たい気配を漂わせながら、ラチェフは翼竜の案を排してくる。
己の耳朶が捉えた、即座には理解し難い言葉に、ケイモスは思わず動きを止め、彼を見やっていた。
***
きつく、咎めるような光を瞳に宿し、訝し気に見据えてくるケイモス。
海を越えた先、大陸の西側まで最短で行く方法など、翼竜以外に何があると言うのか……
そう言わんばかりの表情にふっ――と、笑みを向け、
「見てなさい、ケイモス」
ラチェフは静かに、飼育部屋の壁へと爪先を向けた。
何の変哲もない壁を見据え、チモを持つ手を、大きく振り被る――――
「チモの、もう一つの使い道を――!!!」
そのまま、チモを壁へと…………
「――あ……」
チモを大切に育ててきたドロスの眼の前で、何の躊躇いもなく――――
その小さな体を叩き付け、潰し、命を奪っていた。
ラチェフの、予想外の行動に、皆一瞬言葉を失う。
肉が潰れ、内臓が破裂し、骨が砕ける耳障りな音…………
だがそれよりも……
一匹のチモの、小さな命が失われた、そのことよりも……
チモが叩き付けられた『壁』に出来た『シミ』に――
明らかに『血』の色とは違うその『シミ』に――
ドロス以外の皆の眼は、釘付けになっていた。
不気味な音を響かせ、壁に当てられたラチェフの手を中心に、闇色をした渦が緩やかに広がってゆく。
そこに、潰されたチモの姿はない。
飛び散ったはずの血も、折れたはずの骨も、潰されたはずの肉片すらも、見当たらない。
『チモ』の『全て』が、広がる渦に変わってしまったかのように、跡形もなかった。
誰も、声を発しない。
チモの死によって引き起こされた現象を、固唾を飲んで見守っている。
張り詰めた静寂の中、闇色の渦は広がりを続け、やがて……
人一人が優に収まってしまうほどの大きさにまで、なっていた。
「――ラチェフ様……」
渦の闇の中から、声が聞こえる。
「見事、空間が繋がりましたな」
その場にいる誰もが聞いたことのある声。
ラチェフが信を置く、老占者の声が、聴こえる……
何故――どうして――様々な疑問が脳裏に浮かぶ。
いや、それよりも……!
渦を巻く『闇』の向こうに見える景色に、見たこともない、有るはずもない景色に……
ラチェフと老占者ゴーリヤ以外の全員が問う言葉を忘れ、瞬きすら忘れて――見入っていた。
彼方から 第四部 第六話 終
第四部 第七話に続く
作品名:彼方から 第四部 第六話 作家名:自分らしく