移り火
「うん?なんだ、ぼんやりしているぞ」
……確かに褒めろとは言ったが。
「いや…」
「しかし立派だ!仮に周囲に目があれば、己を良く見せようと行動に移す者もいるかもしれない。だが君は違う。自らの良心に従った。これは誇って然るべき正道!」
「ーー、」
面と向かって褒められてしまうと調子が狂う。
そういえば、俺は誰かに褒めてもらうということに耐性がない。
免疫のないところに杏寿郎のド直球の賛辞をくらえば、この荒ぶる胸中も道理だろう。
どうする?身の置き場がない。はっきり言って恥ずかしい。
「…嘘だ」
「?」
この場の空気から逃れるため、猗窩座は視線を逸らしてもう一度はっきりと言い放った。
「手当てなど嘘だ。簡単に信じるな、阿呆」
対する煉獄は、噤んだ口元に笑みを称えたまま二度ほど瞬きする。
「すまないが、俺は嘘を見抜くのは得意だ。逆に君が何故そのような嘘を吐くのかわからない」
「……」
「俺の褒め方が悪かったのなら謝る。もう一度やり直させてほしーー」
「それだけは断固拒否するっ」
被せ気味に慌てて断ると、不意に頭に手が置かれた。
「照れる必要などない」
「なっ…」
図星を突かれ、みるみる顔に熱が集中していく。
硬直しているこちらの髪を、無造作に煉獄の手がくしゃくしゃと掻き混ぜた。
「君は存外、素直で可愛いな」
「っ…!?」
にこりと目を細めて優しく笑う相手に、猗窩座は雷にでも打たれたかのような衝撃が、脳天から足の裏に突き抜けていくのを感じた。
…なんなんだ、あの笑顔は。
反則だろう。可愛いのはお前だろうが。
神聖な何かか?俺は浄化されるのか?
「杏寿郎…」
「うむ」
「…可愛すぎる…全身の血管が破裂しそうだ。どうにかしろ」
「何!よくわからんが、どうにもならん!」
元気に言ってのける煉獄の手が離れていってしまうことに名残惜しさを覚えつつ、自分の胸のあたりを鷲掴みにして恨みがましく呟く。
「…お前のせいで苦しい。責任をとるべきだ」
「鬼も呼吸苦を感じるのか。俺のせいという部分には些か疑問を禁じ得ないが、ひとつ、参考になるやもしれん知恵を君に授けよう」
「ほう…」
知恵か…。
鬼狩りどもが操る呼吸に関することだろうか。
そうであれば是非拝聴したい。
奴らは呼吸によって身体を強化しているというし、更なる己の強さに繋がる可能性は高い。
期待の眼差しを煉獄に向けると、力強く頷かれた。
「君の症状は、おそらく『萌え』だ!」
「……、……!?」
「そういった感情に詳しい同僚がいるが、その者はよく『萌え』に苛まれ、身を捩るように苦しんでいる……まさに今の君だ」
…萌え?
身を捩るように苦しむ…
確かに身悶えしたくなるような悩ましさに襲われてはいるが…
……これが、萌え?
聞き馴染みのない言葉に、どう切り返したものか考えあぐね、ひとまず先を促してみた。
「…そ、そいつはどう対処している…?」
「彼女曰く、愛で倒すらしい」
「……」
何を?
……杏寿郎を?
「そうすることで、どこに魅力を感じているかを分析する反面、更なる深みにはまり泥沼化することも少なくないそうだが、一度萌えてしまったら引き返せないと言っていた」
「引き返せない…」
「これが責任をとったことになるかは定かでないが、解決策の一つを提示した。実行するかしないかは君次第だ」
「…杏寿郎を愛で倒せということだろう?そんなもの、実行するに決まっていーー」
「話は以上だ!俺はいま無性に走りたい気分だから、ここで失礼する!」
話しながらみるみるうちに羞恥の波が押し寄せてきたらしい煉獄は、一方的に会話をぶち切ってそそくさと踵を返す。
そのあとを追いながら、猗窩座は突然走りだした背中に声を投げた。
「待て杏寿郎!策の提示ではなく遂行までが責任だろうが!」
「すまない!また後日改めて、都合の良いときにしよう!」
「そんな嫌な奴にやんわり断りを入れるような言い回しをするなっ」
「つ、ついてくるんじゃない!一人で思いきり走りたいんだ!」
「赤い顔をしておいて、変な男に目をつけられたらどうする!」
「心配無用だ!たとえ鬼であろうと頸を斬るっ」
「その言い方だと人も斬りそうで逆に不安だ杏寿郎!」
全力で並走するふたりの応酬は、月が明るく照らす夜空に吸い込まれていった。
fin.