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幾星霜の夜明けをゆく(1)

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彼は私を腕の中におさめると、まず毛繕いのつもりか大きな舌で私の全身を余すところなく舐めて綺麗にする。それに満足すると今度は自分の匂いをつけるため頭や背中を私の体に擦り付けてくる。
機嫌の良い猫のように喉を鳴らし続ける彼を、自分の手が届く限りくまなく撫でてやりながら、彼が毎回みせる必死さに対して私の行為はお返しにもならないのだろうと思うと切なくてたまらなかった。
一週間の間、ラオは何を感じどう過ごしているのか、詳しく知りたいと思い彼に尋ねたことがある。彼曰く、虎の姿でいる間のことは毎回よく思い出せないのだという。
一族に由来するこの奇妙な性質により、大昔には虎から戻れなくなった者が居た。その原因とは、人である意識を失い虎そのものと化し遂には人を襲ったためで、ラオは自分もそうならない保証はないと非常に怖がっていた。
永遠の変化による恐怖に抗う方法として、彼は虎の姿でいる間私を手放さないことにした。私の匂いだけは間違いようがないからと。

二〇二二年一月二日

(二十九)
「砂漠に雪とは」
「ライデン様が呼んだんだ」
寺院の上には鉛色の重たい雲が広がり、ちらちらと小さな雪が舞い始めていた。
「風流とは言い難いな」
「何しろ山も川もないからね。降り積もれば辺りはただただ真っ白」
 雲を手招くような風も吹いている。これからさらに冷えるだろう。寺院の周りが雪だらけになる頃を想像し、ラオは小さく身震いした。その様子を見たリュウは、ラオの顔まで手を伸ばすと指先で彼の鼻に触れて冷え具合を確かめた。
「鼻の奥が痛くなりそう?」
「かもしれん」
「温めるには、私の手だけじゃ間に合わない」
 リュウはラオの隣から正面に回り、彼の頬を両手で包む。
「雲の具合は分かったし、もう中に入ろう」
「いやその前に私の懐炉になってもらおうか」
ラオはリュウの手の中でにやりと笑い、彼の体に腕を回してぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「なってもいいけど『ここ』じゃ嫌だな」
「……そういう意味じゃない」
「違うの?」
ラオはリュウの首筋に頬をすり寄せ、彼のぬくもりと匂いを味わいながら、人肌の恋しさにも色々種類があるんだと呟いた。

二〇二二年一月六日

(三十)
私には帰る場所がない。
ここにいる理由はあったが「彼」がいないのであれば、とどまる必要がないように思う。
しばらく好きなところへ行かせて欲しい。
 
あの鉄帽子は持って行けないので寺院に置いて。
何度も考えた末の決断とはいえ、鉄帽子の側から離れることは、ライデンに彼の一部を取られているようでリュウの気分を落ち込ませた。あれは寺院から出るべきものではない、そう自らによく言い聞かせてはみたものの。
だがしかし、絶望に飲み込まれる一歩手前で踏みとどまるいま、とにかく一刻も早くここではない場所の空気が吸いたい。身体の隅々まで一度入れ替えてしまいたいと考えるほどに、リュウは思いつめていた。
そんなある日、ついにリュウはライデンの元を訪れ、彼に向かって「なにもかもが重いのです」と自分の気持ちを一気に言い切った。

「良かろう
ならば外に行くが良い
ただし必要な時は使いを寄越そう
お前の役目はまだ終わっておらぬ」

哀れむ様子もなく、始終淡々と言葉を連ねるライデンに、リュウは全身の毛が逆立つのを感じた。
神に人の理を期待するものではない。ライデンに仕える人間として、これまさでも何度となく思い知る場面はあった。しかし頭で理解しているのと、本当に納得しているのとでは全く違う。リュウの胸の内にはおさえようのない炎が渦巻き、焼けつく痛みで我を忘れそうだった。それでも、リュウはライデンに一言も言い返さなかった。
見えない足枷には長い長い鎖がついており、その端を握られている限り自分は死なない、いや死ねないのだ。リュウはその場で俯き、強く唇を噛んだ。

二〇二二年一月七日