ラオリュウ小話詰め合わせ
(1)
【貴方が私の師兄だったら良かったのに】
「ラオ宛の手紙に書かれていた。師兄、覚えている?」
「手紙……? 誰からのだ。それにいつの」
「私の同級生からのだよ。本人からどうしてもと言われて預かった。師兄は私の目の前で読んだのに」
「待て。もしかしてその後何かあったか」
「あったね。ラオより先に手紙を断りなく読んだから。あの時、師兄から落とされた雷はライデン様の怒りの雷より大きかった」
「いくらなんでも盛りすぎだろう。ライデン様とは」
「自分はそう感じたってこと。昔は、師兄に怒られるのが一番怖かったんだから」
「――お前は私を取られたみたいで嫌だと泣いていたな」
「ラオが減るわけないのにね」
「どう説明すればリュウが理解できるのか、あまり自信がなくて、結局【師兄は減らない】と」
「そう。ちゃんとラオが言ってくれて嬉しかった。でもその後『学院の兄はすべての弟に尊敬される存在でなくては。一番近くにいるお前に尊敬されないのは、私が兄として未熟だからだ』とも言っていた。覚えてる?」
「我ながら……生真面目すぎる……」
「申し訳ないけど、師兄の困った顔は面白すぎる」
「リュウ!」
「睨まれてもね、もう怖くないからね。せっかくだから今の美しい昔話を記憶しておいて、兄弟の。どうしてこんな話をしたかって、今日は『兄の日』だからさ」
2022.6.10.
(2)
人ならざる「気配」が床の影伝いにラオの背後へ忍び寄るのが見えた。彼の肩に影と同色の靄が蠢いている。
服の埃を払う素振りで散らしてやると、手応えのなさに反してじっとりと嫌な冷たさが指先に纏わりついた。彼は「気配」を知らない。当然わたしが何をしているかも。凍えるのはこの指先だけで良い。
お題【指先の温度】2022.6.21.
(3)
すぐに姿を見失う砂粒ほどに小さなものでも、何年もかけて見事に花咲くものでも、守れるかどうか不安に慄くものでも、貴方との約束こそが私を強くする。約束こそが私のゆく未来。頼りない小指どうしを結んで、生まれてくる切実さを受け止めこそすれ、そうしなれば良かったなどとは思わないから。
お題【後悔しない?】2022.6.24.
(4)
見てはいけなかった。もっと正確には見るのをやめて立ち去るべきだったが私はその場に留まり続けた。
視線の先、こちらに背を向けている彼が今何をしているかは、控えめだが規則的な片腕の動きと押し殺した息遣いとですぐにぴんときた。熱に突き動かされ簡単には止まれない時間。絶頂に訪れる暴力的なまでの愉悦を想起した私は息をのむ。すると天を仰ぐように頭を傾けた彼が、切なげな吐息の合間に、はっきりと、私の名前を呼んだ。
聞き間違えようがない、リュウは確かに私の名を――認識した瞬間、燃えるように顔が熱くなり私は思わず後退りした。
どうにか足音だけは聞かれるまいと細心の注意を払い、絶対に彼の耳には届かないであろうところまで移動できてからようやく私は駆け出す。
さっきのあれは、あれは、なんだ。ひどく混乱して、まともに息ができない。
見てはいけなかったのでは? それは今更だ。何故なら私はどうしても彼から目が離せなかった、いや離したくなかったのだから。
2022.7.22.
(5)
一滴のうるおいをも許さぬ砂漠の夏、太陽が照りつける地表で肌を晒すのは非常に危険である。岩をくり抜いた地下にある寺院から、一歩外へと足を踏み出しただけで凄まじい熱気に包まれ、リュウは思わず顔を顰めた。
「……うわ、暑い」
「リュウ、それは口にするなと注意したはずだ」
我慢して涼しくなるならいくらでも口を噤むが、肺の中まで冒されそうなこの暑さ、とてもそんな志高く保てそうにないとリュウは早くもぐったりした気持ちになった。これからラオと一仕事のために出掛けなければいけないというのに。
「中と外で温度が違いすぎる。毎度のことながら驚くな」
「炎の使い手ともあろうお前がなにを弱気な。しかし、たしかにお前のいう通りここは灼熱……」
夏の砂漠の暑さに関してはさすがの師兄も思うところがあるらしい。リュウほどあからさまではないものの、ラオの表情にもうっすら不快が浮かんでいる。
「ともかく、地上をゆく以外の手段があることに感謝するんだな。さあ、来い」
先に回廊へと出たラオが、リュウの方を振り返り彼に片手を差し出す。
「移動先はここほどではないはずだ。気が狂いそうな暑さだけは、だが」
ラオの胸元に引き寄せられたリュウは、あまり温度を上げすぎないようにしようと言い、微笑みを浮かべてラオを見上げる。その直後、ふたりの姿はラオの頭上にある鉄帽子に吸い込まれるように消え、残った鉄帽子もすぐ真上にできた小さな空間の裂け目へと不自然に捻れながら消えていった。
2022.7.31.
(6)
学院の中庭をどちらが先に抜けられるか競争した後、師兄は私の心臓の真上に手を置いて、激しく心臓が動く音を確かめると「兎がたくさん飛び跳ねている」と言った。
兎は、修行に集中したり、驚いたり、怒った時にもあらわれて、私の心臓をとんとん踏み鳴らす。
初めて師兄と見つめ合った時にも胸に兎があらわれて、あまりの苦しさに耐えかねた私は師兄に「口から出してしまいたい」と打ち明けた。すると師兄は「それなら兎がこちらに移るまじないをかけよう」と言い、私の口から何度も優しく兎を誘い出し、すっかりおとなしくさせてくれたのだった。
師兄が私にかけてくれたまじないは今でも勿論力を持っている。あの頃とは逆に私が師兄の兎を誘う方法も覚えた。忙しなく飛び跳ねる兎は今日も私たちのあいだを行き来している。
心里塞着个兔子(心の中に兎が隠されている) 2022.8.5.
(7)
水中では咲かぬ花火も溺れれば焼きつく色に触れ錦葵
2022.8.8.
(8)
修練場の入口で、ラオとリュウが何やら言い争っている。何食わぬ顔で険悪な雰囲気のど真ん中を抜けるわけにはいかず、困惑してその場に立ち尽くしていると、怒りが最高潮に達したらしいラオが、俺には何か分からない言葉をリュウに投げつけ、物凄く怖い顔で俺のすぐ横を通り過ぎ何処かへ行ってしまった。
「……やあ。彼、随分怒ってたね」
「驚かせたなコール。私は師兄の――ラオの図星を刺激しすぎたようだ」
「ああ、うっかり床を踏み抜いたって感じか。喧嘩の理由は……聞くのはやめようかな。で、彼を追わなくても?」
「それは必要ない。頭の冷やし方は本人が一番よく知っている」
「――なんていうか、慣れてるね」
「うん。黙って不満を募らせるより余程前向きだ。私たちにとっては」
ラオが大股で歩いて行った廊下の奥を眺めつつ、今回は待つが追うのも慣れてると付け加えたリュウの口ぶりには、そこはかとなく楽しそうな色が乗っていた。
2022.8.11.
(9)
暦の上では秋でも日中は夏の日差しがまだ居座り、これは当分季節の変わり目が来そうにないと思っていたが、朝の身支度では手のひらに受けた水がいつもより冷たく感じられ、日暮れに地上を抜ける風も孕む熱気を一部どこかに置いてきたようだった。
【貴方が私の師兄だったら良かったのに】
「ラオ宛の手紙に書かれていた。師兄、覚えている?」
「手紙……? 誰からのだ。それにいつの」
「私の同級生からのだよ。本人からどうしてもと言われて預かった。師兄は私の目の前で読んだのに」
「待て。もしかしてその後何かあったか」
「あったね。ラオより先に手紙を断りなく読んだから。あの時、師兄から落とされた雷はライデン様の怒りの雷より大きかった」
「いくらなんでも盛りすぎだろう。ライデン様とは」
「自分はそう感じたってこと。昔は、師兄に怒られるのが一番怖かったんだから」
「――お前は私を取られたみたいで嫌だと泣いていたな」
「ラオが減るわけないのにね」
「どう説明すればリュウが理解できるのか、あまり自信がなくて、結局【師兄は減らない】と」
「そう。ちゃんとラオが言ってくれて嬉しかった。でもその後『学院の兄はすべての弟に尊敬される存在でなくては。一番近くにいるお前に尊敬されないのは、私が兄として未熟だからだ』とも言っていた。覚えてる?」
「我ながら……生真面目すぎる……」
「申し訳ないけど、師兄の困った顔は面白すぎる」
「リュウ!」
「睨まれてもね、もう怖くないからね。せっかくだから今の美しい昔話を記憶しておいて、兄弟の。どうしてこんな話をしたかって、今日は『兄の日』だからさ」
2022.6.10.
(2)
人ならざる「気配」が床の影伝いにラオの背後へ忍び寄るのが見えた。彼の肩に影と同色の靄が蠢いている。
服の埃を払う素振りで散らしてやると、手応えのなさに反してじっとりと嫌な冷たさが指先に纏わりついた。彼は「気配」を知らない。当然わたしが何をしているかも。凍えるのはこの指先だけで良い。
お題【指先の温度】2022.6.21.
(3)
すぐに姿を見失う砂粒ほどに小さなものでも、何年もかけて見事に花咲くものでも、守れるかどうか不安に慄くものでも、貴方との約束こそが私を強くする。約束こそが私のゆく未来。頼りない小指どうしを結んで、生まれてくる切実さを受け止めこそすれ、そうしなれば良かったなどとは思わないから。
お題【後悔しない?】2022.6.24.
(4)
見てはいけなかった。もっと正確には見るのをやめて立ち去るべきだったが私はその場に留まり続けた。
視線の先、こちらに背を向けている彼が今何をしているかは、控えめだが規則的な片腕の動きと押し殺した息遣いとですぐにぴんときた。熱に突き動かされ簡単には止まれない時間。絶頂に訪れる暴力的なまでの愉悦を想起した私は息をのむ。すると天を仰ぐように頭を傾けた彼が、切なげな吐息の合間に、はっきりと、私の名前を呼んだ。
聞き間違えようがない、リュウは確かに私の名を――認識した瞬間、燃えるように顔が熱くなり私は思わず後退りした。
どうにか足音だけは聞かれるまいと細心の注意を払い、絶対に彼の耳には届かないであろうところまで移動できてからようやく私は駆け出す。
さっきのあれは、あれは、なんだ。ひどく混乱して、まともに息ができない。
見てはいけなかったのでは? それは今更だ。何故なら私はどうしても彼から目が離せなかった、いや離したくなかったのだから。
2022.7.22.
(5)
一滴のうるおいをも許さぬ砂漠の夏、太陽が照りつける地表で肌を晒すのは非常に危険である。岩をくり抜いた地下にある寺院から、一歩外へと足を踏み出しただけで凄まじい熱気に包まれ、リュウは思わず顔を顰めた。
「……うわ、暑い」
「リュウ、それは口にするなと注意したはずだ」
我慢して涼しくなるならいくらでも口を噤むが、肺の中まで冒されそうなこの暑さ、とてもそんな志高く保てそうにないとリュウは早くもぐったりした気持ちになった。これからラオと一仕事のために出掛けなければいけないというのに。
「中と外で温度が違いすぎる。毎度のことながら驚くな」
「炎の使い手ともあろうお前がなにを弱気な。しかし、たしかにお前のいう通りここは灼熱……」
夏の砂漠の暑さに関してはさすがの師兄も思うところがあるらしい。リュウほどあからさまではないものの、ラオの表情にもうっすら不快が浮かんでいる。
「ともかく、地上をゆく以外の手段があることに感謝するんだな。さあ、来い」
先に回廊へと出たラオが、リュウの方を振り返り彼に片手を差し出す。
「移動先はここほどではないはずだ。気が狂いそうな暑さだけは、だが」
ラオの胸元に引き寄せられたリュウは、あまり温度を上げすぎないようにしようと言い、微笑みを浮かべてラオを見上げる。その直後、ふたりの姿はラオの頭上にある鉄帽子に吸い込まれるように消え、残った鉄帽子もすぐ真上にできた小さな空間の裂け目へと不自然に捻れながら消えていった。
2022.7.31.
(6)
学院の中庭をどちらが先に抜けられるか競争した後、師兄は私の心臓の真上に手を置いて、激しく心臓が動く音を確かめると「兎がたくさん飛び跳ねている」と言った。
兎は、修行に集中したり、驚いたり、怒った時にもあらわれて、私の心臓をとんとん踏み鳴らす。
初めて師兄と見つめ合った時にも胸に兎があらわれて、あまりの苦しさに耐えかねた私は師兄に「口から出してしまいたい」と打ち明けた。すると師兄は「それなら兎がこちらに移るまじないをかけよう」と言い、私の口から何度も優しく兎を誘い出し、すっかりおとなしくさせてくれたのだった。
師兄が私にかけてくれたまじないは今でも勿論力を持っている。あの頃とは逆に私が師兄の兎を誘う方法も覚えた。忙しなく飛び跳ねる兎は今日も私たちのあいだを行き来している。
心里塞着个兔子(心の中に兎が隠されている) 2022.8.5.
(7)
水中では咲かぬ花火も溺れれば焼きつく色に触れ錦葵
2022.8.8.
(8)
修練場の入口で、ラオとリュウが何やら言い争っている。何食わぬ顔で険悪な雰囲気のど真ん中を抜けるわけにはいかず、困惑してその場に立ち尽くしていると、怒りが最高潮に達したらしいラオが、俺には何か分からない言葉をリュウに投げつけ、物凄く怖い顔で俺のすぐ横を通り過ぎ何処かへ行ってしまった。
「……やあ。彼、随分怒ってたね」
「驚かせたなコール。私は師兄の――ラオの図星を刺激しすぎたようだ」
「ああ、うっかり床を踏み抜いたって感じか。喧嘩の理由は……聞くのはやめようかな。で、彼を追わなくても?」
「それは必要ない。頭の冷やし方は本人が一番よく知っている」
「――なんていうか、慣れてるね」
「うん。黙って不満を募らせるより余程前向きだ。私たちにとっては」
ラオが大股で歩いて行った廊下の奥を眺めつつ、今回は待つが追うのも慣れてると付け加えたリュウの口ぶりには、そこはかとなく楽しそうな色が乗っていた。
2022.8.11.
(9)
暦の上では秋でも日中は夏の日差しがまだ居座り、これは当分季節の変わり目が来そうにないと思っていたが、朝の身支度では手のひらに受けた水がいつもより冷たく感じられ、日暮れに地上を抜ける風も孕む熱気を一部どこかに置いてきたようだった。
作品名:ラオリュウ小話詰め合わせ 作家名:かすみ