白いからす
「すずめ だいじょうぶ?」
壊れたように涙が止まらない私を心配してダイジンが聞いてくる。大丈夫な訳ない。でも、それを口にするのはダイジンにも羊朗さんにも失礼なのは分かった。私はこくりと頷く。
「よかった」
ずっと泣いている訳にもいかない。羊朗さんに想いに報いるためにも、私は涙を拭い、強く気持ちを持って立ち上がった。
「すずめ いこう ここに ながくいるのは だめ」
ダイジンの光りを胸に抱いたまま羊朗さんに向かって深く長く頭を下げてから、重い足取りで出口に向かって歩き始める。
また私は何も出来なかった。自分が情けなくて足が止まりそうになる。でも、羊朗さんが自らの命を賭けて要石から解放したダイジンの魂をなにがなんでも外の世界に出さなければならない。その思いで何とか自分を保ち、前に進んだ。
「すずめ」
「なあに? ダイジン。」
涙声にならないよう穏やかさを装って答える。
「ダイジン つかれちゃったみたい すずめのなかで ねていい?」
「うん。いいよ。」
「ありがとう おきたら たくさん あそんでね」
ダイジンの光りは融け込むように私の体の中に入っていき、そして、その温もりはゆっくりと下に移動し、私の下腹部で体を丸くして眠りにつく感覚があった。
「ダイジン…」
私はすぐに悟った。ダイジンは、あの時、私が何気なく言ってしまった言葉の責任を取る機会を、そして、お母さんや環さんが私にしてくれたように大切な命を守り育てる尊い役目を私にくれたのだ。
「ダイジン。ありがとう。こんな私を選んでくれて本当にありがとう。沢山遊ぼうね。」
私は大粒の涙を溢れさせてダイジンが宿ったお腹を愛おしく何度も撫でた。そこでやっと羊朗さんがダイジンのことをその子と言っていたことに気付く。遠くに見える白い要石を振り返ると、鼻の奥が痛んだ。お祖父様、あの約束は必ず守ります。そう強く決心して、私はお腹に手を当てたまま、再び歩き始める。涙は止まらないままだったが、さっきまでとは違い、悲しさだけでなかった。感謝や慈しみなど温かな感情も混在し、私は生きなければならないと心の底から思えた。
私達が入ってきた開いたままの後ろ戸に草太さんの姿があった。何かを察知してここまで来たのだろう。一瞬だけ嬉しさがこみ上げるが、それ以上の罪悪感がそれを塗り替えていく。どんな顔をして会えば良いのだろう。逃げ出したいとさえ考えてしまうが、草太さんにも自分にもちゃんと向き合わなければいけない。常世に入ることも、中の様子も知ることも出来なくて立ち尽くす草太さんの手には白い封筒があった。きっと羊朗さんが草太さんに残した手紙なのだろう。私は涙を手の甲で拭ってから、後ろ戸をくぐっていく。
「鈴芽さん。大丈夫?」
涙で顔を腫らした私を心配する言葉がまず出る彼の優しさに胸が詰る。
私はこくりと頷いた。
「それは良かった。じいちゃんはどうなった?」
草太さんの顔をちゃんと見なきゃと思うのに涙で歪む。限界だ。泣き叫んでしまいそうになる。でも言わないと。
「草太さん… ごめんなさい… 私…私ぃ…」
それだけで常世で何が起きたのかが分かってしまったのだろう。草太さんは私の頭を胸に抱いた。
「鈴芽さんは何も悪くない。君のせいじゃない。じいちゃんが望んだことだったんだ。巻き込んでごめん。」
私を慰める草太さんの声はつらそうだった。自分の方が泣きたい筈なのに。私が責任を感じないよう耐えているのだ。
「私何も出来なかった… ごめんなさい… 本当にごめんなさい…」
広い背中に縋るように手を回して泣きじゃくる私の愚かさや至らなさも駄目なところも全部包むように草太さんは私を支えてくれる。
「じいちゃんは鈴芽さんに感謝している筈だよ。だから、自分を責めないで。」
その言葉は私にだけでなく自分自身を納得させるために言っているようでもあった。
「解放されたダイジンは今どこに?」
私は彼の胸から顔を上げてから、一旦離れ、ダイジンが眠るおなかに手を当て、そこを見つめた。
「ここにいるの。」
草太さんは一瞬驚いた表情をしてから私の手を取り、額を私の頭に当てる。
「しっかりしないとだな。俺たち。」
「うん。」
この先の未来を感じながらも、今日起きたことが頭の中を巡り、それらが混ざり、私にある決意をさせる。
私は悲愴な想いを湛えた目で草太さんを見た。
「草太さん。お願いがあるの。私の子供の、その子供達が一人前になったら、」
それだけで草太さんは私の考えを理解し、一緒の覚悟をしてくれた。
「ありがとう。鈴芽さん。」
私達は頬を寄せ、これまで以上に強く抱きしめ合った。それは、今はお互いの体があることを確かめ、その喜びに感謝するようであり、顎を伝う涙は混ざり合っていてどちらが流したものか分からなくなっていた。
時の流れさえあるのか分からない、あの恐ろしくも美しい世界に、たった2人きりで動くことも話すことも出来ずに立ち尽くす。
そんな絶望も、あなたとなら…
「ママ やさしい すき」
「パパは じゃま」
3人の笑い声が遠くに聞こえる。