いじめたい
彼を苛めることが毎日の楽しみだった。
「やだやだぁ」
雲雀がパーカーについたフードを掴むと、ツナはぐずついて必死に逃げようとする。離してくれない雲雀にいよいよ首が締められ「うわあん」と泣き声を上げた。
「こっちおいで」
口元ににこりと笑みを作ってフードを引っ張る。いやいやと首を振るツナにお構いなしにぐいっと力任せに引き寄せ、勢いの弱らぬうちに手を離すとツナはびたんと尻餅をついた。運悪く水溜まりに手をついてしまい、汚れた袖を見てツナはぐずっと鼻を啜る。
「お母さんにまたおこられる……」
「君が愚図だから悪いんだよ」
優しく諭すように、そんなひどいことを言うと、ツナはきっと雲雀を睨みつけた。しかしそれもほんの一瞬で、すぐに怯えたように目を逸らし、目に涙をためて逃げ出してしまった。
「ばかな子」
呟いて雲雀はその背中を見送る。
自分よりひとつ年下の、小3のあの子。沢田綱吉。ひとつと言わず3つくらいは離れていそうなほど、小柄で、身も心も弱い男の子だった。去年のペア活動で一緒になったのだが、その時から何をやらせても失敗ばかりで、面倒を見るのがとにかく大変だったことを覚えている。自分がいなければこの子は、何もできやしない。友達もろくにいないのかすぐに自分のところへ駆けつけては、ふやけた顔でへらへらと笑う。
けれどただひとつだけ。そんなあの子にも長所があった。それは自分に苛められるのが上手なことだ。
(明日は何してやろうかな)
ツナを苛めることが雲雀の日課だった。今まで弱い者など相手にさえしてこなかったが、ツナだけは違う。こんなにも苛め甲斐のある子は初めてだ。怯える顔も泣きそうな顔も、見ているとなんだか胸が疼く。
だから雲雀はツナを苛めることが大好きだった。今日は何をしてやろうか。今日はどんな風に怯えてくれるだろうか――。そんな風に、気づけばいつでも、ツナのことを考えていた。
「ダメツナー。ほらほら口開けろよ。おーいしいお団子食べさせてやるからなっ」
「んーん」
小太りのクラスメイトに、口元に押し付けられるのは泥団子。
雲雀は背後からガツンとその子を殴りつけた。あっという間に地に付して、取り巻きの子達が一斉に悲鳴を上げる。破れかぶれにつかみかかってきたのは一人。それを軽くあしらって、逃げた子達にも泥団子をぶつけてやった。
泣きじゃくるいじめっ子達に、ふんと鼻を鳴らす。口ほどにもない奴らだ。
「何勝手に苛められてるの」
振り返って不機嫌をそのままに問えば、ツナはびくびくと肩を揺らして俯いてしまった。ありがとう、と言った様な気もしたが、その声はあまりにも小さくて定かではない。
「僕に内緒で勝手に苛められてるんじゃないよ。約束しただろ。君を苛めるのは僕だけって」
「でも……」
「口答えするの?とにかく、ほら、僕の約束破ったお仕置き」
パーカーの帽子にぽんと投げ入れてやる。ツナはきょとんとして首だけで後ろを向いた。懸命に帽子の中を見ようとするツナに「カエルだよ」と一言教えてやれば、ツナは悲鳴を上げてパーカーのジッパーを下ろす。あんまりにも慌てているものだからジッパーが布を噛んでしまったようだ。泣きじゃくりながらじたばたするツナにひとしきり笑った後、雲雀はそのカエルをとってやった。
「ばかだね。こんなの、ただのおもちゃに決まってるじゃない」
からかうように言って、ツナの頬をひっぱってやる。柔らかくぷにぷにとした頬。まるで赤ん坊に触れているような心地よさがある。
「ヒバリさんのばか!」
捨て台詞を吐いて、ツナは一目散に逃げ出した。
雲雀にとって、普段のツナは苛々の種でしかなかった。
ツナが他の子にいじめられているのに無性に苛々とする。ツナを苛めていいのは自分だけなのだから。だからいつも助けてやって、そしてその後は自分がツナを苛めた。
苛々といえば、ツナが他の子と仲良くしている時もだ。自分には笑顔を見せないくせに、他の奴と楽しそうにしているのがなんとも腹立たしい。だからやはり、雲雀はツナを連れ出して鬱憤を晴らすように苛めた。
「ヒバリさんは、そんなにオレのこと嫌い?」
「うん」
涙を拭きながらもぐずついて言うツナに、雲雀はそうあっさりと返す。
「じゃあもう、嫌いな子には無理してかまわないでください」
「ふうん。そんなこと言うなら、もう君が他の奴に苛められてても助けてあげないよ。そのほか大勢に苛められるのと、僕だけに苛められるの、どっちがいい?」
ツナは痛いところをつかれたとでもいうようにぐっと口を紡いだ。それでもしばらくの沈黙の後、
「……おおぜい」
強がりを言うツナに、雲雀は顔を顰めて頬を抓ってやった。
しばらくツナは学校を休んだ。
今までこんなにも長く学校を休んだことはない。あまり友達もいなく勉強もできず、ともすれば簡単に不登校に陥りそうな子では確かにある。けれどそんな自分にもはや諦めてしまって落ち込む気にもなれないのか、気にしないほど馬鹿なのか、とにかく学校を休むことはなかった。
雲雀はおもちゃのカエルを右手で上へ何度か投げながら、ふん、と鼻を鳴らした。屋上から校庭を見下ろすと、自分たちのクラスが玉入れの練習をしている。運動会で一番をとりたいだかなんだか知らないが、一緒にがんばる気になどなれなかった。学校など煩わしい。彼を苛める事の方がよっぽど楽しかった。
(運動会では何をしてやろう)
短距離走で転ばせてやるのもいい。出場種目の時間に拘束してやってもいい。いろいろと考えながら、雲雀は今度はツナの家の方角を見た。
(あの子が来ないとつまらないな)
3時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。とくにすることのない雲雀は、教室には戻らずさっさと学校を後にした。
あの子がもうこの並盛にはいないと知ったのは、それから一週間後だった。
退屈でたまらなくて、文句の一つも言ってやろうと尋ねたツナの家。洗濯物の一つも干していない庭の草は生えっぱなし、全ての窓には雨戸が閉められ、その家の中には何の光もなかった。
門扉の鍵は閉められており、雲雀は塀を乗り越えて中に入る。ツナがよく昼寝をしていた縁側に靴のまま乗りあがり、窓に手をかけた。ぐっと力をいれてもびくともしないそれは、やはり鍵をかけられている。
「あら君、どこの子?沢田さんちなら、引っ越したみたいよ」
塀から顔を出した中年の女性が、訝るようにそう言った。
何日もかけてまわりに尋ねても、沢田一家の行方を知る者はいない。どこへ行ったのか、どうして急に引っ越したのか、いつ帰ってくるのか。全てが巧妙に隠されているようだった。よくスーツの男たちが出入りしていたらしいが、その男たちの素性も分からない。分かったのは外国人が多かったということだけだ。
「どこに行ったの。僕に内緒で」
人の気配のないツナの家を見上げて、雲雀は不機嫌に呟く。家は売りに出される気配も、壊される様子もない。だからきっと、いつかは帰ってくる。そうでないなんて許せない。
「帰ってきたらお仕置きだから」
自分の声のあまりの覇気の無さに、雲雀は苦々しく舌打ちをした。
過ぎ行く日々は、退屈で退屈でたまらなかった。何をしてもびっくりするほど何の面白みもない。
「やだやだぁ」
雲雀がパーカーについたフードを掴むと、ツナはぐずついて必死に逃げようとする。離してくれない雲雀にいよいよ首が締められ「うわあん」と泣き声を上げた。
「こっちおいで」
口元ににこりと笑みを作ってフードを引っ張る。いやいやと首を振るツナにお構いなしにぐいっと力任せに引き寄せ、勢いの弱らぬうちに手を離すとツナはびたんと尻餅をついた。運悪く水溜まりに手をついてしまい、汚れた袖を見てツナはぐずっと鼻を啜る。
「お母さんにまたおこられる……」
「君が愚図だから悪いんだよ」
優しく諭すように、そんなひどいことを言うと、ツナはきっと雲雀を睨みつけた。しかしそれもほんの一瞬で、すぐに怯えたように目を逸らし、目に涙をためて逃げ出してしまった。
「ばかな子」
呟いて雲雀はその背中を見送る。
自分よりひとつ年下の、小3のあの子。沢田綱吉。ひとつと言わず3つくらいは離れていそうなほど、小柄で、身も心も弱い男の子だった。去年のペア活動で一緒になったのだが、その時から何をやらせても失敗ばかりで、面倒を見るのがとにかく大変だったことを覚えている。自分がいなければこの子は、何もできやしない。友達もろくにいないのかすぐに自分のところへ駆けつけては、ふやけた顔でへらへらと笑う。
けれどただひとつだけ。そんなあの子にも長所があった。それは自分に苛められるのが上手なことだ。
(明日は何してやろうかな)
ツナを苛めることが雲雀の日課だった。今まで弱い者など相手にさえしてこなかったが、ツナだけは違う。こんなにも苛め甲斐のある子は初めてだ。怯える顔も泣きそうな顔も、見ているとなんだか胸が疼く。
だから雲雀はツナを苛めることが大好きだった。今日は何をしてやろうか。今日はどんな風に怯えてくれるだろうか――。そんな風に、気づけばいつでも、ツナのことを考えていた。
「ダメツナー。ほらほら口開けろよ。おーいしいお団子食べさせてやるからなっ」
「んーん」
小太りのクラスメイトに、口元に押し付けられるのは泥団子。
雲雀は背後からガツンとその子を殴りつけた。あっという間に地に付して、取り巻きの子達が一斉に悲鳴を上げる。破れかぶれにつかみかかってきたのは一人。それを軽くあしらって、逃げた子達にも泥団子をぶつけてやった。
泣きじゃくるいじめっ子達に、ふんと鼻を鳴らす。口ほどにもない奴らだ。
「何勝手に苛められてるの」
振り返って不機嫌をそのままに問えば、ツナはびくびくと肩を揺らして俯いてしまった。ありがとう、と言った様な気もしたが、その声はあまりにも小さくて定かではない。
「僕に内緒で勝手に苛められてるんじゃないよ。約束しただろ。君を苛めるのは僕だけって」
「でも……」
「口答えするの?とにかく、ほら、僕の約束破ったお仕置き」
パーカーの帽子にぽんと投げ入れてやる。ツナはきょとんとして首だけで後ろを向いた。懸命に帽子の中を見ようとするツナに「カエルだよ」と一言教えてやれば、ツナは悲鳴を上げてパーカーのジッパーを下ろす。あんまりにも慌てているものだからジッパーが布を噛んでしまったようだ。泣きじゃくりながらじたばたするツナにひとしきり笑った後、雲雀はそのカエルをとってやった。
「ばかだね。こんなの、ただのおもちゃに決まってるじゃない」
からかうように言って、ツナの頬をひっぱってやる。柔らかくぷにぷにとした頬。まるで赤ん坊に触れているような心地よさがある。
「ヒバリさんのばか!」
捨て台詞を吐いて、ツナは一目散に逃げ出した。
雲雀にとって、普段のツナは苛々の種でしかなかった。
ツナが他の子にいじめられているのに無性に苛々とする。ツナを苛めていいのは自分だけなのだから。だからいつも助けてやって、そしてその後は自分がツナを苛めた。
苛々といえば、ツナが他の子と仲良くしている時もだ。自分には笑顔を見せないくせに、他の奴と楽しそうにしているのがなんとも腹立たしい。だからやはり、雲雀はツナを連れ出して鬱憤を晴らすように苛めた。
「ヒバリさんは、そんなにオレのこと嫌い?」
「うん」
涙を拭きながらもぐずついて言うツナに、雲雀はそうあっさりと返す。
「じゃあもう、嫌いな子には無理してかまわないでください」
「ふうん。そんなこと言うなら、もう君が他の奴に苛められてても助けてあげないよ。そのほか大勢に苛められるのと、僕だけに苛められるの、どっちがいい?」
ツナは痛いところをつかれたとでもいうようにぐっと口を紡いだ。それでもしばらくの沈黙の後、
「……おおぜい」
強がりを言うツナに、雲雀は顔を顰めて頬を抓ってやった。
しばらくツナは学校を休んだ。
今までこんなにも長く学校を休んだことはない。あまり友達もいなく勉強もできず、ともすれば簡単に不登校に陥りそうな子では確かにある。けれどそんな自分にもはや諦めてしまって落ち込む気にもなれないのか、気にしないほど馬鹿なのか、とにかく学校を休むことはなかった。
雲雀はおもちゃのカエルを右手で上へ何度か投げながら、ふん、と鼻を鳴らした。屋上から校庭を見下ろすと、自分たちのクラスが玉入れの練習をしている。運動会で一番をとりたいだかなんだか知らないが、一緒にがんばる気になどなれなかった。学校など煩わしい。彼を苛める事の方がよっぽど楽しかった。
(運動会では何をしてやろう)
短距離走で転ばせてやるのもいい。出場種目の時間に拘束してやってもいい。いろいろと考えながら、雲雀は今度はツナの家の方角を見た。
(あの子が来ないとつまらないな)
3時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。とくにすることのない雲雀は、教室には戻らずさっさと学校を後にした。
あの子がもうこの並盛にはいないと知ったのは、それから一週間後だった。
退屈でたまらなくて、文句の一つも言ってやろうと尋ねたツナの家。洗濯物の一つも干していない庭の草は生えっぱなし、全ての窓には雨戸が閉められ、その家の中には何の光もなかった。
門扉の鍵は閉められており、雲雀は塀を乗り越えて中に入る。ツナがよく昼寝をしていた縁側に靴のまま乗りあがり、窓に手をかけた。ぐっと力をいれてもびくともしないそれは、やはり鍵をかけられている。
「あら君、どこの子?沢田さんちなら、引っ越したみたいよ」
塀から顔を出した中年の女性が、訝るようにそう言った。
何日もかけてまわりに尋ねても、沢田一家の行方を知る者はいない。どこへ行ったのか、どうして急に引っ越したのか、いつ帰ってくるのか。全てが巧妙に隠されているようだった。よくスーツの男たちが出入りしていたらしいが、その男たちの素性も分からない。分かったのは外国人が多かったということだけだ。
「どこに行ったの。僕に内緒で」
人の気配のないツナの家を見上げて、雲雀は不機嫌に呟く。家は売りに出される気配も、壊される様子もない。だからきっと、いつかは帰ってくる。そうでないなんて許せない。
「帰ってきたらお仕置きだから」
自分の声のあまりの覇気の無さに、雲雀は苦々しく舌打ちをした。
過ぎ行く日々は、退屈で退屈でたまらなかった。何をしてもびっくりするほど何の面白みもない。