天空天河 六
武功のあった林殊ならば、一滴も零さず、飲み干せただろう。
長蘇の様に、笑う気にはなれなかった。
「、、愚かな遊びだ。」
靖王の心に、少しの後悔。
長蘇から、盃を受け取り上げ、酒に濡れた指を、手巾でそっと拭いた。
「私は少し、ムキになりすぎた。
愚かな真似をした、すまぬ。」
「いいさ。昔の様で楽しかった。
ふふふふ、、、景琰が靖王府に移ってからは、子供のくせに、二人でよく飲み明かしたな。
度々、父上の酒をくすねて、、、。」
「あはは、、靖王府は小殊の別宅だったからな。」
「父上には出入りを控えろと、林府で見張りまで付けられて、、、蒙哥哥が見張っていた事も、、。
まぁ、私が大人しく、林府に居る訳が無いが。あんな楽しい場所、他に有るか?。。」
「ああ、、そんな事もあったな、、。」
「あぁ、懐かしいな。ふふ、、、。」
長蘇は遠い昔を懐かしむ様に、外に目を向けた。
戸の隙間から、屋根の上に昇った、光の雫が見えた。
「、、、、ぁ、、、花火が、、。」
ドン
遅れて花火の音が響いた。
「見に行こう。
蘇宅のここからは、見えるのだろう?。」
靖王は、長蘇の手を取り、立ち上がるのを助ける。
そして長蘇を、縁側の方へと導いた。
「恐らく、蘇宅のここからなら、大きな花火なら見える。
、、、靖王府からは見えないのか?。留守番の配下は残念だな。」
「いや、そうでも、、、今年は巡防衛として、金陵の警護に当たっている。
従者にも、今日は暇を出したし、留守の者は、屋根に登って、花火を楽しむそうだ。
皆、楽しみにしていたよ。
戦英達は、花火がどうと言うよりも、巡防衛として、金陵の人々が楽しんでいる姿を見るのが、嬉しいのだと。
我が王府の配下も、武人らしくなっただろう?。
民が武人を成長させるのだな。」
「そうだな。靖王府は覇気に満ちている。郊外の東屋で会った時とは、目の色が違っている。
今宵は、金陵の平和を楽しもう。」
──夏江が、金陵に戻ったと、、、。
飛流を隠す為、『魔』の退治を中止させて、琅琊閣へ行かせた。飛流は渋々だったが。
夏江が来た途端、金陵の空気が、少しずつ重くなっている。
私の闘いが終わるまで、穏やかな日は、もうこないかもしれぬ。
、、今は楽しもう。景琰との瞬(とき)を。──
「小殊?。」
「ん?。」
じっと見つめる、靖王の視線。
長蘇は心の中の不安を、読み取られそうになり、長蘇は急いで、視線を外した。
「小殊、、不安があるなら、私に話して欲しい。」
「、、ん。
景琰が傍にいるのだ、私には何も不安は無い。」
長蘇はそう言って、靖王を見た。
長蘇の瞳の中は、先程の不安は綺麗に消えていた。
「、、、、、隠したな、小殊。」
「ん?。」
惚(とぼ)ける長蘇。
「、、まぁ、、いいさ、。
小殊が言わなくても、分かっている。」
「さすがは靖王殿下です。」
「、、、コイツッッ、調子に乗りすぎだ。」
そう言って、長蘇の頭を、指で軽く小突いた。
「あははは、、。」
「寒くはないか?。部屋に戻ろう。」
「いや、、、もう少し、見ていたい。」
空を見上げながら、長蘇が言った。
次々と上がる花火。
長蘇の瞳に映る、色とりどりの光。
━━小さい頃、小殊は、特別に皇宮に呼ばれ、この同じ瞳で、目を輝かせて、花火を見ていた。━━
「綺麗だ。」
遠い花火を見ながら、長蘇が言った。
靖王は、長蘇の横顔を見ていた。長蘇に見蕩(みと)れていたのだ。
そして、景琰に向けたその顔は、子供の頃の林殊そのもので、靖王は胸がどきりとする。
「、、あぁ、、綺麗だ。」
━━花火ではなく、小殊が。━━
「寒いだろう。」
そう言うと、靖王は外套を外して、長蘇に掛けた。
長蘇は自分の物と、靖王の外套、二枚を羽織ってしまったが。
──暖かい、、。
景琰の温もりが、、。──
長蘇の、胸の中まで、温まりそうだった。
「だが、景琰が寒いだろ?。」
「小殊に、寒い思いはさせたくない。」
「なら、二人で入ろう。一人だけで、外套二枚というのも、、、。」
「ふふ、、、。」
長蘇は、靖王の外套を広げて、靖王を入れた。
「あはは、、、。子供の頃みたいだ。」
「一枚の外套を、分け合った事もあったな。」
長蘇を引き寄せて、二人寄り添って、温めあった。
「暖かい。」
「小殊と私の『聖なる夜』だ。
誰も邪魔は出来ぬ。」
「ん。」
靖王の唇が、長蘇に寄せられる。
「、、、、がッ、、。」
長蘇は右の掌で、靖王の口を塞いだ。
「、、、ぅ”〜、、、。」
「、、景琰、、何考えて、、、、。
外なのだぞ。丸見えなのだぞ。
誰かに見られたら、、。」
靖王は、長蘇の手首を掴んで、口元から手を外した。
「、、今更。
誰かって、誰だよ。
私は小殊との事を、金陵中に知らしめたい位なのだが、、。
蘇宅の警備が厳し過ぎて、私達の事を、誰も知らぬのだ。残念だとは思わぬか?。」
「、、うわっ、、、。」
「、、、ぅ””〜、、」
懲りずに唇を求める靖王。
今度は左の掌で、靖王の口を塞いだ。
「景琰、お前、酔っ払ったな、、。これだから、酔っても変わらぬ奴は面倒臭い。」
「ふふ、、私は小殊に酔ってる。
責任を取ってもらおうか。」
長蘇は両の手首を掴まれて、自由が利かなくなった。
「景琰の馬鹿力め。」
「、、ふふふ、、小殊。
私は酔ってなんかいない。」
靖王は長蘇を見つめ、長蘇の手を離し、そしてふわりと抱きしめた。
「ぎゅ。」
「、、、はぁッ、、。」
抱き締められて、長蘇の胸が熱くなる。
──景琰は嬉しいのだ。
私だって、嬉しい。
正体を明かし、こうして昔を語り、酒を酌み交わせるとは。
私にとっては、これ以上の幸せは無い。
これが良い事かは、今は分からぬが。
景琰ならば、越えていける筈。──
「小殊を慈しむ!。」
そう言うと、靖王は長蘇をだき抱えた。
「け、、景琰!!。
私の言ってる事、分かってるか?。」
「分かってる。大丈夫だ。」
「景琰、何が大丈夫なんだ!。
もー、あんな強い酒、持ってくんな!。
持ち込み禁止だ!。」
「さ、小殊、慈しみ慈しみ〜。」
「景琰の馬鹿ッ、この酔っ払いッ。」
抱き上げられたまま、じたばた抵抗する長蘇だが、靖王の前には、抵抗も無意味だった。
靖王は長蘇を抱えて、書房の奥へと消えた。
程なく、一人、戸を閉めに来たのは、靖王らしいと言えば靖王らしい。
軋んでいく世界の中の、このひとつの空間だけは、ただ二人だけのものだった。
聖なる夜を 二人は 語り明かした。
─────幕間4 聖なる夜 終─────