彼方から 第四部 第七話
彼方から 第四部 第七話
「――ラチェフ様……見事、空間が繋がりましたな……」
渦を巻く闇の中……
一人佇む老占者、ゴーリヤ。
浮かび上がるその姿、その声に……
皆息を呑み、眼を見開いていた。
***
まるで、何もかもを飲み込まんとしているかのように、大きく口を開き待つ、黒い渦。
ラチェフは躊躇うことなく、渦の中へと足を踏み入れてゆく。
恐れも迷いも感じさせない、ラチェフの歩み……
一体、どこへ向かおうとしているのか――
そんな疑念を抱きながらも皆、誘われるように彼の背を追い、渦の中へ身を投じていた。
「な――――」
ほんの、数歩だった……
一匹のチモの命を使い現れた渦は、拍子抜けするほど容易く、通り抜けることが出来た。
抜けた先、瞳に映る光景に、無意識に声が漏れる。
月光の如き淡き光が満ちた空間は、幻想的な……いや、一種、神秘的ともいえる雰囲気を漂わせていた。
広い……とてつもなく広い、建造物の中だった。
大広間と思しき場の、中央辺りまで進み、立ち止まる。
靴音が反響し、何処かへと消えてゆく。
靴底に伝わる、硬い、床の感触――
首を仰け反らせるほどに高い、円天井。
上階へと続く、豪奢な両階段。
吹き抜けとなっている大広間を見渡し、見下ろせるよう造られた、渡り廊下。
周囲には、その円天井や渡り廊下を支える為であろう。
太く立派な柱が、幾本も並び連なっている。
その何もかもが壮大で、雄大であり、且つ、異様だった。
何の為に、建てられたものなのか――
一見した限りだが、人の日々の営みというものを、感じることが出来るようなものは何一つ、置かれていない……
……それに――
恐らく、計り知れないほどの年月が経っているのだろう。
床も壁も、大きく太い柱も全て……
夥しい量の植物の根や蔦、そして青い光を放つ苔に、覆い尽くされている。
外光を取り入れる『窓』一つない、建造物――
なのに、歩くことも見渡すことも、苦も無く出来るほどの光源を生み出しているその『苔』を踏み締め……
「何だあっ!! ここはぁっ!!?」
答えと説明を求め、ケイモスは大声で、問うていた。
***
「先ほどの部屋からおよそ30ニベル(約27km)……紫魂山近くの、地下深く眠る太古の遺跡だ」
「――っ!」
己の問い掛けに対する背後からの『応え』に、思わず振り向く。
老占者ゴーリヤと共に佇むラチェフと、視線が交わる。
「感じないか? ケイモス……」
穏やかな、ラチェフの問い――
「おまえの力と、共鳴する何かを――」
人を射るかのような、冷たい瞳で……
人の意識を操るかのように、ラチェフは意を含んだ言葉を口にする。
それは、ラチェフの最も得意とするところだと、分かっている。
勿論、操られるつもりも言うなりに動くつもりも、ケイモスには端から無い。
だがそれでも、彼の言葉、その存在感、醸し出す雰囲気、感じる気配――
いつも、無視することは出来ないのだ。
……そう、今も――
ケイモスは視線を交らわせたまま無意識に、『何か』の気配を探っていた。
「わたしはここで、チモを作った……ここのエネルギーは、それの力を何倍にも引き出してくれる」
漂う『何か』を感じる……
ラチェフの声を、言葉を耳に留めながら、ケイモスはその『何か』の気配を捉えようと、意識を周囲へと巡らせている。
「初めてだ、こんなところ……」
「……すごい――」
他にも、『遺跡』と呼ばれる建造物があるのは知っている。
勿論、見たことも入ったこともある。
だが、ここまでの規模の『遺跡』など、他に類を見ない。
息を飲み周囲を見回す傭兵たちの、拙く、だが素直な感嘆の言葉に、ラチェフは少し、頬を緩める。
「誰もがそのはずだ――ここは、私とゴーリヤしか知らぬ地……」
興味深げに、床や壁、天井を見回すタザシーナ。
『何か』の気配を、意識し始めたケイモス。
「未知なる巨大な力の住み家」
その様に、優越と満足の笑みを浮かべながら、
「【天上鬼】と【目覚め】を迎えるに、相応しい場所だろう――」
ラチェフはこの場へ皆を連れてきた理由を、その目的を……
口にしていた。
**********
――予感が強くなってくる……
――時間が経つにつれ
――どんどんと……
花の町……
町長の屋敷、その客室で突として感じた『予感』……
ノリコが聞いた『異様な占い』――
その話を耳にして直ぐ、二人は町長の屋敷を、花の町を……後にしていた。
厚意として受け取った馬に共に乗り、二人……
次の町へと通じる街道を進む。
突き抜けるほどに美しく、蒼い空。
時折、陽を隠すように流れゆく、薄い雲。
そよと吹く風は心地良く、馬の背で揺られながら旅をするには、最適の日和だ……
……この――『嫌な予感』さえ感じていなければ――――
どれだけ町から離れようとも、『予感』は消えない。
巨大な……得体の知れない黒い影のような『気配』は、締め付けられるような『不安感』は、強くなるばかりだ。
―― 元凶が動き出した ――
花の町の占者の占いだと言う言葉が、いつまでも頭の中を巡っている。
この巨大な気配は、不安感の出元は恐らく……その『元凶』、なのだろう。
そしてきっとかなり先から……己の能力はその『気配』を、感じ取っていたのではないだろうか……
……だからなのだろう――
――最近では小さな出来事にも
――神経質になっていたが……
花の町を訪れた最初の日。
ノリコを無理矢理連れて行こうとした、口入れ屋の男の姿が思い浮かぶ。
――いや……違う
あれも、この『気配』の主の影響の内なのかもしれない。
だが、明らかに――
――あれとは比較にもならん
――全く異質なもの……
だと、そう思える――――
「――イザーク、イザーク」
「――っ!」
ノリコの呼び掛けにハッとする。
「追手なの? 追手なの?」
そう訊ねる彼女の声が、震えている。
――ノリコ……
揺れる馬上でも分かる。
彼女の身体が、微かに震えていることが……
『不安』を感じていることが、そしてそれを『怖がっている』ことが、分かる――
「大丈夫だ。心配するな」
手綱を手にしたまま、そっと……
腕を回し包み込むように、彼女の細い肩を背から抱き寄せる。
「――気のせいかもしれん……」
優しい香りが漂う明るい茶色の髪に頬を寄せ、イザークは気休めとしか言えない言葉を、口にしていた。
――いかん…………
――おれの不安は
――彼女に伝染する
安心――させたかった。
言葉だけだったとしても、ほんの少しだけだったとしても……
彼女の顔を、曇らせたくなかった。
……バーナダムとの『約束』が、頭を過る。
彼の、強い光を宿した瞳が脳裏に浮かぶ。
――気をしっかり持てっ!!
己を叱咤する。
作品名:彼方から 第四部 第七話 作家名:自分らしく