彼方から 第四部 第七話
「たとえ、何があっても――おれが、守るから……!」
自身に、そしてノリコに誓いを立てるかのように、想いを言葉にする……
イザークはノリコを抱き寄せた腕に力を籠め、『得体の知れぬ何か』を、自分たちの進む未来(さき)を捉えるかのように、道の行く先を見据えていた。
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――あの飼育部屋から30ニベル(約27キロ)……
――しかも、地下深くにある遺跡……だと……?
俄かには信じ難い、ラチェフの言葉……
だが、確かに己の足で通り抜けて来たのだ。
チモの命と引き換えに現れた、闇色の空間の中を……
改めて、辺りを見回す。
遺跡に漂う『空気』を、肌で感じる。
物音など何もしない。
それどころか、小さな『生き物』の気配すらも感じられない――
『静けさ』とは違う、『重さ』を伴う『静寂』。
人の営みから外れた『場』であると、そう思わせる『何か』が、ここには在る……
如何に信じ難くとも、己が眼にし、感じた事――
それが全てであり、『事実』だ。
……だと、するならば――――
「……じゃあ、おれは――」
とある期待が、胸を過る。
「『今の方法』で、奴のもとへ行けるのか……?」
確信を以って、ラチェフに問う。
ここにはまだ……
何十匹もの『チモ』が、居る――
「半時もかからん。瞬時に送り届けてやる」
問いに応えるラチェフの口元が、微かに緩むのを見た時、ケイモスは己の『気』が一気に高揚するのを感じ取っていた。
「はっはあ――っ!!」
気の昂ぶりが声に出る。
いよいよ、『その時』が来たと……
『あの男』に同じ思いを――いや、それ以上の惨めな思いを味合わせる時が、漸く来たのだ。
……サワッ――
「――っ!!」
枝葉の擦れ合う『音』と何かの『気配』に、思わず眼を向ける。
自力で動くことなど出来ぬはずの木の根が、微かに動いたように思える。
そう……まるで、『身じろぎ』でもしたかのように――
「ふふ……」
満足げに――
「……共鳴してるよ」
愉し気に、ラチェフはケイモスに、そう、説く。
眼を凝らし、感覚を澄まし――
「ああ……」
気付く。
「……分かるぜおれにも――分かってきた」
先刻まで、『漠然』としか感じ取ることの出来なかった『何か』を……
己の『力』と共鳴する、『何か』の存在を……
不気味な『眼』をもつ黒い霞のような塊が、遺跡の其処彼処に漂っているのを……
ケイモスはその瞳で確かに――捉えていた。
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何もなかった壁……
その壁に出来た薄気味の悪い闇色の渦――
一匹のチモの命と引き換えに現れた渦に恐る恐る歩み寄り、そっと……
向こう側に見える景色を、ドロスは覗き込んでいた。
怖かった。
本当は、覗き込むことすら嫌だった。
だが、捕らえられ、共に連れて行かれたチモたちが、心配でならない。
先ほどの、ラチェフの所業を思い返す。
……嫌な考えが頭に浮かぶ。
彼らはチモの命など、恐らく『なんとも思っていない』に違いない。
利用価値のある『道具』ぐらいにしか、思っていないのだろう。
減ったらまた、『増やせば』良いと……
指先をほんの少し、入れてみる。
……痛みはない。
入れた指先を見てみるが、何の変化もない。
無論、渦の向こうに見える皆も、何事もなさそうに、見たこともない建物の中を進んでゆく――
網に閉じ込められたチモたちを見やる。
何かに怯えているのか――互いに身を寄せ合い、小さな体を震わせている。
出来ることなら、助けてやりたい……
その一心で、渦に足を踏み入れる。
何も出来ないかもしれない。
自分一人では、ラチェフの傭兵一人にすら敵わない。
それでも――――
この場に一人、ただ黙って待っていることなど出来なかった。
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「さあ――――」
『邪気』をその瞳に捉え、笑みを浮かべるケイモス……
共鳴するその存在が、己に与える影響の強さを如実に感じ取っているのだろう。
身体に満ち溢れる『力』に愉悦するケイモスを見やり、ラチェフもまた、薄い笑みを浮かべていた。
流れるように、皆に手を向ける――
「チモ達をここへ!」
ラチェフの命に、場の空気が即座に引き締まってゆく。
「その血に因って、4000ニベル(約3600キロ)の距離をゼロに変える!!」
誰も『否』など唱えない。
それが不可能なことではないことを、身を以て知ったからだ。
遺跡の壁に、チモが詰められた網が並べ置かれる。
不敵な笑みを浮かべ、少し離れたところに立ち……
ケイモスはゆっくりと、両の手を交差させながら頭上へと上げてゆく。
「自らの手で、その扉を開けろ! ケイモス!!」
ラチェフの言葉に呼応し、頭上で合わせた掌に『気』を籠め始めるケイモス――
「ゴーリヤとタザシーナは道を指せ!」
チモの袋を挟み、その両脇に立ち、待ち構える二人……
二人の足元で、ただ震えるだけのチモたち。
鳴き声も上げられず、転移することも出来ず……
『利用』される為に作られ、そこに居る、『憐れ』な生き物。
自然と、笑みが浮かぶ。
その身も、その命も、その力も全て――我が意のまま、と……
ケイモスの重ねた手の平が、チモたちに向けられる。
その手には、無抵抗の小動物を皆殺しにするのに、十分すぎるほどの気のエネルギーが集まっている。
鈍い音と共に放たれる『気』。
小さく重なる、幾つもの断末魔と共に、壁に広がる『闇の渦』……
その渦に手を宛がい、精神を集中させる二人の占者。
やがて、闇の渦の向こうに景色が――
タザシーナとゴーリヤの導きにより、示された『道』が……姿を現していた。
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……とても立派で荘厳な、建物だった。
中は、何処も彼処も青白い光で満たされていて、何もかもが、薄青く染まっているように見える。
辺りを警戒するように見回し、恐る恐る、足を運ぶ。
壁や床を這うように生えている、夥しい量の木々の根が、やたらと眼につく。
幾本も並び立つ、太い石造りの柱。
その柱や壁の存在を、確かめるかのように手を宛がいながら、ドロスは皆の後を追うように先へと進んでゆく。
ふと……
偶然、手に触れた苔に眼を向ける。
青く――自ら光を放つ様に、思わず顔を近づけた。
――これが光ってるのか……
――初めてだ、こんな苔見るの
改めて、辺りを見回す。
木々の根に気を取られていたが、よくよく見れば、至る所にこの『苔』が生している。
そのお陰で、中は明るく、歩くのにも困らないが同時に、青白い光のせいで眼が変になりそうな気がした。
人の話し声が聞こえる。
その声を頼りに歩き出す――頻りと、辺りに視線を向けながら……
……どうしても、周りが気になる。
特に何があるわけではない、ただ、この建物に入ってからずっと……何かの『気配』を感じているのだ。
作品名:彼方から 第四部 第七話 作家名:自分らしく