三河くんの家庭の事情
「おかえりなさいませ、海坊ちゃま」
「うむ。ただいまだぎゃ」
ソナー音鳴り響く水の中。三河財閥所属潜水艦海王丸。身体を覆っていた宇宙服を脱ぎながら、三河家嫡男、三河海は艦内の通路を歩いていた。その後ろ、脱ぎ捨てられた宇宙服を拾い集め部下が続く。
「坊ちゃん。お茶の用意が出来ていますが…」
「いや、いい。僕は部屋で学校の宿題をする。お前達、騒がしくするなよ」
「は。」
薄暗い通路を進む、真白い海軍服。海の姿が艦長室に消えるのを確認すると、乗組員の一人が大きく息を吐いた。半ば独りごちるように、
「――やっぱり、おかしいよなぁ」
横でヘルメッツを片付けていた奴が気づいて、
「おかしいって、坊ちゃんか?」
「ああ。最近元気がないというか…何か悩み事でもおありなんじゃないだろうか。この間は衛星軌道上から第八中に向けてレーザー照射の指令が出たし、ヘルメッツに大きなタンコブ作って帰って来たこともあったし…」
「そういえば、この頃よくうなされているな。寝言では黒いジャージ姿のおじさんがどうとか…」
「ひょっとして、学校でイジメにでもあっているんじゃないか?」
思いつきのように放たれた言葉に、その場に居合わせたクルーの表情が、凍る。
空々しく乾いた笑いが響き、
「……ま、まさかぁ。だって、海坊ちゃまハンサムで成績優秀だし、イジメられる要素はないだろ。そりゃちょっとお馬鹿だけど」
「わからないぞ。ひょっとしたら、クラスメイトじゃなく教師に意地悪されてるのかもしれないじゃないか。…さっき言ってただろう、黒いジャージ姿のおじさんがどうって。それって、あの瀬戸内組のシャーク藤代のことじゃないか?」
「ええ? じゃあ、坊ちゃんはあのジョーズ野郎にいびられて…!?」
一同の頭に、瀬戸内組の斬り込み隊長と、それに虐げられる主の姿がシミュレートされる。例えばこんな感じ。
「三河くんの身体は白くて引き締まっててぇ、とっても美味しそうだよね?」
「な、なにをするんだがや! 三河家の嫡男にこんな真似をして、ただで済むと思っとるのきゃ!?」
「ただじゃないなら、どうしてくれるの? もっと良い声で鳴いてくれるのかな?」
「ぬわあっ、眩しい! ラ、ライトを当てるのはやめてくれだなもー!!」
しばしの沈黙。
豊かな想像力が描き出すとんでもない世界に顔を白くすると、手の空いているクルーは皆艦長室目指して駆け出した。
「海ぼっちゃああああん!!」
ドタドタドタ、ばん、ごん、どしゃ。
馬鹿っぽい音をさせながらやかましく駆け込んでくる部下達に、海は危うく読んでいた教科書を引きちぎるところだった。一体なんの騒ぎだ。というか、ドタドタはわかるが、どしゃってなんだ。誰かこけなかったか。
「にゃ、にゃんだおみゃあら! 敵襲か!?」
「申し訳御座いません、坊ちゃん! 我々が不甲斐ないばかりに、坊ちゃんに辛い想いをさせてしまって…!」
「は、はあ!?」
「まさか坊ちゃんがあのジャージに嬲られ辱めを受け…相談できる友人もなく、ずっとお一人で耐えていらっしゃったとは…! さぞお辛かったでしょうに…!!」
くっ、と目尻の涙を拭う部下達に、海は瀬戸の海よりも冷たい眼差しを向ける。突拍子がなさすぎて、ツッコミを入れる気にもならない。この部下どもは、一体なにを暴走しているのか。
ため息ひとつ、教科書を閉じる。
「…お前たち。何を勘違いをしているかは知らんが、僕は別に学校で変な目にもあっていないし、いざというとき頼れる友人がいないわけでもない。妙な誤解をするな」
「え、でも、坊ちゃんのご友人とはあのサル…猿飛秀吉殿、お一人では」
「ば、馬鹿にすんでにゃあっ! ぼぼぼ僕にだって、他に友達くらいおるだがや!!」
「ええ〜?」
「えーじゃない! そ、そこまで疑うんだったら…」
悩んだ挙句、海はびしっと指を突きつけて、
「今度、ここに連れてきてやるなも!!」
「と、いうわけで満潮永澄! 今日の業後は僕に付き合え!!」
かくかくしかじか。例によって例のごとく、大幅に省略した事情を(半ば強引に)海から聞かされると、帰り支度をしていた永澄は露骨に嫌な顔をした。
今にも唾を吐き捨てそうな表情で、「いや意味わかんねーし」と一蹴。
「大体友達を連れて行くにしたって、俺じゃなくサルっていう適任がいるじゃないか。何で俺がお前んちの過保護につき合わされなきゃならないんだよ」
「な、つ、冷たいこと言うでにゃー! 僕にも色々と事情があるんだで、おみゃあも協力すりゃあせ!」
「そうだぞ永澄! 俺だって本当は殿とご一緒したいけど…でも…殿が俺ではなく永澄をと仰るから…だから俺だって…くっ!」
うわーん馬鹿馬鹿殿の浮気者ー、と泣きながら教室を飛び出すサルを、一体誰が呼び止められただろうか。
「また満潮たちが騒いでんのか」的なクラスメイトの温い視線を受けつつ、「あのね」と燦。
「永澄さん、海くんは三河のお家の跡継ぎじゃし、小さい頃サハラで迷子になったりしたことからもお家じゃえらい大事にされとるんよ。部下の人も、心配なんと違うじゃろか」
「って、言われてもなぁ…」
眉を寄せ、永澄は横目で海を見る。三河家嫡男、三河海。金、権力、容姿と三拍子揃ったまるで嫌味の塊のような奴である。が、こうして涙ぐみズビズビ鼻を啜っているところを見ると、同情の気持ちこそ沸いてくれど、羨ましいとは少しも思わない。
まあ、色々あるんだろうなとは思う。だからって、理解はできないが。
「――わかったよ。つまり、俺がお前の友達だってことをアピールして、三河んちの人を安心させてあげれば良いんだな」
「や、やってくれるのきゃ満潮永澄!?」
「燦ちゃんにここまで言われたんじゃ付き合わないわけにもいかないだろ。でも、お茶くらいは出して貰うぞ?」
「おーおー、ういろうでもなごやんでも好きなだけ食うがええがや貧乏人が!」
「……お前、そういうとこが友達少ない原因だってわかってる?」
かくして、満潮永澄十と四歳は三河海の学友として、三河グループの面々に紹介されることと相成ったのである。
が。
『浮上します、ご注意下さい。浮上します、ご注意下さい』
磯野第八中学校校庭。固められたグラウンドの土を破って頭を見せる潜水艦に、永澄は「やっぱり早まった決断したかなぁ」と心の底から後悔した。艦首上甲板に輝く金のシャチホコは、紛れもなく三河財閥所属潜水艦の証。せめてもの救いは突然の潜水艦の出現にも関わらず、怪我人が一人も出なかったことだ。皆既に慣れているらしい。
「さあ満潮永澄、遠慮なく乗ってくりゃあせぐえ」
「おーまーえーはー! まさか学校からこれに乗って帰る気か!?」
「当たり前だなも! 前にも言ったと思うが、僕は移動にはもっぱら潜水艦を利用する!というか、日によっては船の中で寝起きすることもある!」
「もう海に帰れお前ってわああ!」
襟首を掴まれ、甲板に上がり入り口から潜水艦の中へ引きずり込まれる。重く扉が閉じたかと思うと、身体を襲う小さな揺れ。例のアナウンスが潜航を告げているようだが、急な暗闇に視力を奪われそれどころではない。
「うむ。ただいまだぎゃ」
ソナー音鳴り響く水の中。三河財閥所属潜水艦海王丸。身体を覆っていた宇宙服を脱ぎながら、三河家嫡男、三河海は艦内の通路を歩いていた。その後ろ、脱ぎ捨てられた宇宙服を拾い集め部下が続く。
「坊ちゃん。お茶の用意が出来ていますが…」
「いや、いい。僕は部屋で学校の宿題をする。お前達、騒がしくするなよ」
「は。」
薄暗い通路を進む、真白い海軍服。海の姿が艦長室に消えるのを確認すると、乗組員の一人が大きく息を吐いた。半ば独りごちるように、
「――やっぱり、おかしいよなぁ」
横でヘルメッツを片付けていた奴が気づいて、
「おかしいって、坊ちゃんか?」
「ああ。最近元気がないというか…何か悩み事でもおありなんじゃないだろうか。この間は衛星軌道上から第八中に向けてレーザー照射の指令が出たし、ヘルメッツに大きなタンコブ作って帰って来たこともあったし…」
「そういえば、この頃よくうなされているな。寝言では黒いジャージ姿のおじさんがどうとか…」
「ひょっとして、学校でイジメにでもあっているんじゃないか?」
思いつきのように放たれた言葉に、その場に居合わせたクルーの表情が、凍る。
空々しく乾いた笑いが響き、
「……ま、まさかぁ。だって、海坊ちゃまハンサムで成績優秀だし、イジメられる要素はないだろ。そりゃちょっとお馬鹿だけど」
「わからないぞ。ひょっとしたら、クラスメイトじゃなく教師に意地悪されてるのかもしれないじゃないか。…さっき言ってただろう、黒いジャージ姿のおじさんがどうって。それって、あの瀬戸内組のシャーク藤代のことじゃないか?」
「ええ? じゃあ、坊ちゃんはあのジョーズ野郎にいびられて…!?」
一同の頭に、瀬戸内組の斬り込み隊長と、それに虐げられる主の姿がシミュレートされる。例えばこんな感じ。
「三河くんの身体は白くて引き締まっててぇ、とっても美味しそうだよね?」
「な、なにをするんだがや! 三河家の嫡男にこんな真似をして、ただで済むと思っとるのきゃ!?」
「ただじゃないなら、どうしてくれるの? もっと良い声で鳴いてくれるのかな?」
「ぬわあっ、眩しい! ラ、ライトを当てるのはやめてくれだなもー!!」
しばしの沈黙。
豊かな想像力が描き出すとんでもない世界に顔を白くすると、手の空いているクルーは皆艦長室目指して駆け出した。
「海ぼっちゃああああん!!」
ドタドタドタ、ばん、ごん、どしゃ。
馬鹿っぽい音をさせながらやかましく駆け込んでくる部下達に、海は危うく読んでいた教科書を引きちぎるところだった。一体なんの騒ぎだ。というか、ドタドタはわかるが、どしゃってなんだ。誰かこけなかったか。
「にゃ、にゃんだおみゃあら! 敵襲か!?」
「申し訳御座いません、坊ちゃん! 我々が不甲斐ないばかりに、坊ちゃんに辛い想いをさせてしまって…!」
「は、はあ!?」
「まさか坊ちゃんがあのジャージに嬲られ辱めを受け…相談できる友人もなく、ずっとお一人で耐えていらっしゃったとは…! さぞお辛かったでしょうに…!!」
くっ、と目尻の涙を拭う部下達に、海は瀬戸の海よりも冷たい眼差しを向ける。突拍子がなさすぎて、ツッコミを入れる気にもならない。この部下どもは、一体なにを暴走しているのか。
ため息ひとつ、教科書を閉じる。
「…お前たち。何を勘違いをしているかは知らんが、僕は別に学校で変な目にもあっていないし、いざというとき頼れる友人がいないわけでもない。妙な誤解をするな」
「え、でも、坊ちゃんのご友人とはあのサル…猿飛秀吉殿、お一人では」
「ば、馬鹿にすんでにゃあっ! ぼぼぼ僕にだって、他に友達くらいおるだがや!!」
「ええ〜?」
「えーじゃない! そ、そこまで疑うんだったら…」
悩んだ挙句、海はびしっと指を突きつけて、
「今度、ここに連れてきてやるなも!!」
「と、いうわけで満潮永澄! 今日の業後は僕に付き合え!!」
かくかくしかじか。例によって例のごとく、大幅に省略した事情を(半ば強引に)海から聞かされると、帰り支度をしていた永澄は露骨に嫌な顔をした。
今にも唾を吐き捨てそうな表情で、「いや意味わかんねーし」と一蹴。
「大体友達を連れて行くにしたって、俺じゃなくサルっていう適任がいるじゃないか。何で俺がお前んちの過保護につき合わされなきゃならないんだよ」
「な、つ、冷たいこと言うでにゃー! 僕にも色々と事情があるんだで、おみゃあも協力すりゃあせ!」
「そうだぞ永澄! 俺だって本当は殿とご一緒したいけど…でも…殿が俺ではなく永澄をと仰るから…だから俺だって…くっ!」
うわーん馬鹿馬鹿殿の浮気者ー、と泣きながら教室を飛び出すサルを、一体誰が呼び止められただろうか。
「また満潮たちが騒いでんのか」的なクラスメイトの温い視線を受けつつ、「あのね」と燦。
「永澄さん、海くんは三河のお家の跡継ぎじゃし、小さい頃サハラで迷子になったりしたことからもお家じゃえらい大事にされとるんよ。部下の人も、心配なんと違うじゃろか」
「って、言われてもなぁ…」
眉を寄せ、永澄は横目で海を見る。三河家嫡男、三河海。金、権力、容姿と三拍子揃ったまるで嫌味の塊のような奴である。が、こうして涙ぐみズビズビ鼻を啜っているところを見ると、同情の気持ちこそ沸いてくれど、羨ましいとは少しも思わない。
まあ、色々あるんだろうなとは思う。だからって、理解はできないが。
「――わかったよ。つまり、俺がお前の友達だってことをアピールして、三河んちの人を安心させてあげれば良いんだな」
「や、やってくれるのきゃ満潮永澄!?」
「燦ちゃんにここまで言われたんじゃ付き合わないわけにもいかないだろ。でも、お茶くらいは出して貰うぞ?」
「おーおー、ういろうでもなごやんでも好きなだけ食うがええがや貧乏人が!」
「……お前、そういうとこが友達少ない原因だってわかってる?」
かくして、満潮永澄十と四歳は三河海の学友として、三河グループの面々に紹介されることと相成ったのである。
が。
『浮上します、ご注意下さい。浮上します、ご注意下さい』
磯野第八中学校校庭。固められたグラウンドの土を破って頭を見せる潜水艦に、永澄は「やっぱり早まった決断したかなぁ」と心の底から後悔した。艦首上甲板に輝く金のシャチホコは、紛れもなく三河財閥所属潜水艦の証。せめてもの救いは突然の潜水艦の出現にも関わらず、怪我人が一人も出なかったことだ。皆既に慣れているらしい。
「さあ満潮永澄、遠慮なく乗ってくりゃあせぐえ」
「おーまーえーはー! まさか学校からこれに乗って帰る気か!?」
「当たり前だなも! 前にも言ったと思うが、僕は移動にはもっぱら潜水艦を利用する!というか、日によっては船の中で寝起きすることもある!」
「もう海に帰れお前ってわああ!」
襟首を掴まれ、甲板に上がり入り口から潜水艦の中へ引きずり込まれる。重く扉が閉じたかと思うと、身体を襲う小さな揺れ。例のアナウンスが潜航を告げているようだが、急な暗闇に視力を奪われそれどころではない。
作品名:三河くんの家庭の事情 作家名:くさなぎ