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三河くんの家庭の事情

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 ふらついて永澄は思わず海にしがみつく。が、当のNASA野郎は特に気にした風もなく、
「ただいま帰った。出迎えご苦労」
「お帰りなさいませ、海坊ちゃま。しかし…」
 頭を下げたクルーの視線が、ちらりと永澄のほうへ向く。見られているのはわかるが、まだ目が慣れず瞬きを繰り返す永澄に、その表情までは読めない。
「あの…こちらの方は、ひょっとして、」
「ああ。お前達も知っての通り、満潮永澄。僕の……友達、だがや」
「と、」
 友達。友人。学友。そのすべての単語が持つ意味を思い浮かべ、クルーは一瞬、自分の認識が間違っていたのだろうかと己の頭を疑ってしまう。友人とは、互いに心を許し合い、共に談笑したり勉学に励んだり親しく付き合い相手のことを指すはずである。
 だが、今自分達の前にいる男は。
「…満潮様は、瀬戸燦様のご婚約の相手。つまり、海坊ちゃまの恋敵ということになるはずでは…?」
「なにを言う! 確かに永澄は燦ちゃんをかどわかした。しかしだ! この三河海、その程度のことでひとを嫌ったりゃーせん! 色恋は色恋、友情は友情だがね!!」
「さ、流石坊ちゃん! なんと寛大な御心…!」
「あのー帰っていいですか?」
 まったくもって、どうして三河の周りにいる人間は皆こいつを甘やかすのか。目の前で繰り広げられる茶番に永澄はがりがり耳くそをほじるが、いや、やさぐれている場合ではない。わざわざ放課後の貴重な時間を割いてまで海に潜ったのは、すべて三河海の部下を安心させてやるためだ。気は進まないが、引き受けたからには遣り通さねばならない。こんなんでも、一応燦ちゃんの幼馴染だ。
 いつのまにか宇宙服を脱いでいる海の肩をぽんと叩き、永澄はこれ以上ないという爽やかな笑顔で、
「友達の三河海くん、部屋に案内して貰ってもいいかな?」
 海は、まるで変質者を見るような目で、
「…慣れ慣れしくするんでにゃあ、ぞぞ毛が立つがや」
 泣かすぞボンボン。
「お前達。僕は満潮永澄と部屋に行く。お茶でも海水でもいいから、あとで飲み物を運んでくれ」
「かしこまりました。満潮様、荷物をお預かり致します」
「あ、ああ。すみません、」
 通学鞄を預け、大勢の乗組員に頭を下げられながら、潜水艦の中を進む。扉を引けば、見えてくる艦長室。中は思いのほか狭く、そして予想通りに薄暗かった。
「意外と狭いんだな…まあ、考えみりゃ潜水艦なんだから当たり前か」
「この薄暗狭さが心地ええんでにゃあか。そんなにアレなら、ベッドにでも座っとりゃあせ」
 とは言われても、薄暗く狭い部屋のベッドに男二人、というのはなんとも妙な光景である。そもそも、潜水艦の中でどう仲良くすれば良いというのか。
 どこか落ち着かない様子で、永澄はきょろきょろと周囲を見回し、
「…なあ、三河。何かないのか? ゲームとか雑誌とか」
「そんな低俗な物、僕の部屋にゃ物置いとりゃあせん。ま、その代わりと言ってはなんだぎゃ…」
 言って、海はベッドの下に頭を突っ込む。何かを探すようにしばらくごそごそやると、やがて出てくる金ぴかな物体。
 なんだよそれ、と尋ねる永澄に、海は胸を張って、
「これぞ、僕と燦ちゃんの愛のメモリー! 幼い頃の愛らしい僕を記録した思い出のアルバムだぎゃ!」
 まっきんきんに塗装されたアルバムを突きつけられながら、永澄は思う。心の底からこう思う。
 うっぜー。
「ほーら見るだがや! 幼い僕だぎゃ、とっても可愛いぎゃー!」
「だああ鬱陶しいそんなにくっつかんでも見えるわ!! つか、何でアルバムなんか潜水艦に持ち込んでんだよ!?」
「勿論、辛いことや悲しいことがあった時、思い出に浸って現実逃避するためだがや!」
 もうどこから突っ込んでいいのかわからず、ぐいぐいアルバムを押し付けてくる海に永澄は力なく相槌を打つ。もはや諦めの境地に近い。
 どうしてこう、こいつは空気を読まないのか。ため息と一緒に何気なく視線を落としてみると、海の指があるページの一点を差していた。
「これが、子供の頃の燦ちゃんとのツーショットだがや」
 アルバムの中では、大人しそうな男の子と、元気いっぱいという感じの女の子が、楽しそうに仲良く笑っていた。
「燦ちゃんは昔っから可愛いがや。ま、僕も子供の頃から気品ある美しい顔をしとったぎゃ」
「…まあ、これぐらいの歳ならまだ可愛げがあるんだろうけど。それが何だってこんな、」
 歪んだ性格の持ち主になっちまうのかね――と、誇らしげに幼い頃の燦との思い出を語る海に、永澄は思う。とてもじゃないが、写真の中の可愛らしい少年と、札束ばらまきつつ潜水艦で学校に乗り付けてくる目の前の男とが結びつかない。燦の話では、確か昔は金や権力目当てに寄ってくる人間を嫌っていたというのに。
「……なあ、お前昔は金嫌いだったんだろ? なのに何で、そんな資本主義の申し子みたいになっちまったんだよ」
「…喧嘩を売っとるんきゃ?」
「いや、だってさあ、」
「おみゃあにはわからんわ」
 ふん、と鼻を鳴らし、海は膝の上のアルバムを閉じる。
「僕だって、最初は金目当てに寄ってくる連中を嫌っとった。けど、僕がいくらそれを嫌っても、僕が三河海である限り三河の名前はついてくるし、周りの人間も三河の財産しか見てくりゃあせん。だったら、それに適応してしまったほうが楽だと気づいたんだがや。僕が金を利用するんは、それが一番合理的だからなも」
「――でも、それって、」
「坊ちゃま」
 そのとき、扉の向こうから控えめに声がかけられた。続いて、コンコン、というよりゴンゴン、という感じのノックが響く。
 開かれる扉から覗くのは、先ほど見かけた乗組員の一人。
「失礼します。坊ちゃま、お茶の用意が出来ました。」
「ああ、そこに置いてくれ。あとは下がって良いぞ」
「は……」
 返事はしたものの、お茶を持ってきた男は盆を抱えたまま永澄を見つめ、その場を動こうとしない。
 どちらかといえば悪意あるその視線には、覚えがあった。確か、燦ちゃんのお父さんが常日頃自分に向けてくる眼差しが、こんなだったよーな。
 いつまでも持ち場に戻ろうとしない部下を訝しがり、海は首を傾げて、
「? どうした。まだ何かあるのか」
「……いえ。失礼致します」
「……。」
 バタン、っと。
 数秒の、沈黙。重く閉じられる扉の向こうに、永澄と海は妙な波動を感じ取る。心配そうな、それでいてどこか疑るようなあの眼差し。机に置かれたクリームソーダのグラス越しに、二人の視線が交差した。
「……ひょっとして、疑われてるんでにゃあのか」
 呟き声に、永澄は猛然と海を振り返って、
「う、疑われてるってそんな、それじゃ俺がわざわざこんな所にまで来た意味がないじゃないか! お前の部下だろ?なんとか納得させられないのかよ?」
「そんなこと言ったって、あいつらは僕とおみゃあが親しくしてる姿でも見ん限り納得せんだろうし…今までまともに友達付き合いをしたことのない僕に、仲良しな友達のあるべき姿なんかわかると思うのきゃ!?」
「威張って言うなこの寂しんぼがあ!!」
「にゃ、にゃんだと貴様人間の分際でー!!」
「ってわああこんな狭いところで抜刀するなばかーっ!!」
作品名:三河くんの家庭の事情 作家名:くさなぎ