ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。
ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光
作 タンポポ
1
新宿区のファースト・コンタクト(株)本社ビル二十二階、〈ディスカッション・ルーム2〉にて、風秋夕(ふあきゆう)は、熱いコーヒーを口元からこぼしそうになった。
ワイヤレスイヤホンが、耳元でまだ続きを囁いている。それはラジオであった。
二千二十二年六月十三日、乃木坂46山崎怜奈がパーソナリティを務めるTOKYO FM『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』において、たった今、二千二十二年七月十七日をもって、山崎怜奈が乃木坂46を卒業する事が、山崎怜奈本人の口から番組冒頭で語られたのであった。
風秋夕はスマートフォンを見つめる。ライン画面には、稲見瓶(いなみびん)からの通信が入っていた。
風秋夕は、すかさず稲見瓶へと電話を繋げる……。
「もしもし、イナッチ、聞いてたか」
「ああ、確かなようだね。残念で仕方ない」
「どうしてこのタイミングだった?」
「わからない。けど、考えていたんだろうね……」
「今夜、みんなに集合かけよう。こんな時のファン同盟だからな」
「どうしたらいい?」
「ラインだ。じきにみんな気付くだろうが、その前にラインで知らせよう」
「うん。わかった……」
「しっかりしろ、イナッチ。お前が一番二期と仲良かったのは知ってる。だからあえてお前に任せてるんだ」
「うん……。れなちは、今日、来るかな?」
「確率は高い日だ。そう願おう」
「わかった。じゃあ、後でまた」
「おう」
風秋夕は、音を立てて〈ディスカッション・ルーム2〉の扉を開けたファースト・コンタクト(株)企画営業部の課長兼企画部主任の三笠木里奈(みかさぎりな)に苦笑いを向けた。
「三笠木さん……、仕事中にラジオ聴いてちゃダメじゃないですか」
「あなたも同罪でしょう、ディスカッション・ルームに一人でいる意味って何ですか?」
「煙草吸ってました。ちょうどれなちの時間だったから……、それが」
「いいわ……。それより、ラジオのドッキリ企画というケースはないかしら?」
「望み薄いですね……。卒業系のドッキリは、普通しない」
「稲見君は? 連絡はしたの?」
「つい今」
「綾乃さんには?」
「あー……、ライン、しときますか?」
その時、綾乃美紀(あやのみき)が淹れたてのコーヒーを三人分トレーに載せながら、〈ディスカッション・ルーム2〉へと入室してきた。
「三笠木さん、風秋君……。あ、えと、これ、コーヒー……」
風秋夕は微笑んだ。
「はいはい、混乱しない。まずは二人とも、着席」
「そうね」
「はい……」
三笠木里奈と綾乃美紀はテーブルを挟んで風秋夕の正面の椅子に着席した。
「こんな事言いたくなかったが、ついにいう日が来たって事だ。れなちは、乃木坂46を卒業する……」
三笠木里奈は眉間をしかめた。
綾乃美紀は、泣き出しそうな不安な表情を浮かべる。
「今も俺の耳ではラジオが続いてるけど、間違いはなさそうですよ。という事は、おそらく、ライブ前に卒業するって事らしい」
「そんな!」三笠木里奈はテーブルを叩いた。「アンダーもなくて?」
「そぉんな、急に、急すぎますよぉ……」
綾乃美紀は、両手で顔を隠した。
風秋夕は、真剣な面持ちで、新しい煙草に火をつけた。
「別れは、いつだって、急だ……」
横浜に在る磯野貿易産業(株)の会社倉庫の二階にて、天野川雅樂(あまのがわがらく)と来栖栗鼠(くるすりす)は磯野波平(いそのなみへい)のてきぱきとして、そして気だるそうな指示の元、汗をかいて仕事していた。
「お?」
スマートフォンが着信音を奏でていた。稲見瓶からの電話である。
磯野波平は電話に応答する。
「おう、無表情、どした?」
「れなちが、卒業する」
「ああ?」
「れなちが、卒業するんだよ、乃木坂を」
「おおいちょ、ちょ待て待て! それ冗談だったら」
「俺が嘘をついた事があるか」
「お、………。マジ、かよぉ……」
磯野波平の応対を観察していた天野川雅樂は、ふと鳴ったラインの着信に、スマートフォンのライン画面を開いた。
来栖栗鼠も、同時にスマートフォンのライン画面を開いていた。
「あああ!?」
「れなちがーっ! 嘘だぁー……」
「おいイナッチ、それ何処で聞いたんだよっ」
「だれはなだよ。れなちのラジオだ」
「卒業って、いつう!」
「七月十七日、らしいよ」
「そんなに、すぐっ……」
天野川雅樂は驚愕していた。頑強な腕で来栖栗鼠の両肩を持ち、激しく揺さぶった。
「おい来栖! 夢なんだろ嘘なんだろ! お前もグルなんだろーっ!」
「やめやめて雅樂さんっ、肩が抜けちゃうよ!」
天野川雅樂は、我に返る。
「マジなんか……」
「おおう、ガチよ」
磯野波平は、電話を切った。
「れなちが、七月に卒業? 何でなんですか! 何で、そんな急にっ……」
「お前ら、喫煙所行くぞ……。ちと来い」
「昼休憩、取ったばっかりじゃねえか、おい、磯野……」
「うるせえ……。来んのか、来ねえのか!」
「まあ、ここじゃ落ち着いて話もできやしねえか」
「行こうよ、早く」
「れなち……。ちっ」
磯野波平は顔をしかめて、舌打ちをして、喫煙所へと歩き出した。
ファースト・コンタクト(株)本社ビル地下二階研究・開発フロア、デスク・ブースを出て、御輿咲希(みこしさき)は、幾つもの植木が置かれている休憩室で待たされていた。
休憩室のドアがスライドする。
「お待たせしました、御輿さん、今、稲見君から連絡をいただきました」
駅前木葉(えきまえこのは)はそう言いながら、休憩室のドアを閉めた。
「ええ、わたくしにもイナッチからのラインが届いています……ざきさんが」
「はい。れなちさんが、卒業する、との報告でした……」
「ざきさんが……。嫌ですわ、嘘よ……。なぜ、こんな時期に、なぜ、こんなに急な発表なのですか?」
「落ち着いて――。卒業とは、いつの時も急に感じるものです。とりあえず、紅茶でもコーヒーでも飲みながら、少し話しましょう」
「え、ええ」
二人はインスタント式のカップにコーヒーを淹れ、長手のテーブル席に正面同士になるようについた。
「思いがけない日になりましたね、御輿さん」
「ちょっと、頭が整理できてませんわ。混乱しているわ、わたくし……」
「いよいよ、残された二人の二期生の、れなちさんの旅立ちです。何か、見つけたのかもしれませんね。乃木坂でもしっかり者の彼女の事です、思い立った理由は必ずありますよ」
「ええ、そうかも、しれませんわね。けれど、わたくはまだ、気持ちが整理できませんわ。ざきさんにはまだまだ乃木坂としての時間が残されていたはず……」
「卒業を思い立つには、様々な要素が関係しているのでしょうね」
「様々な……、例えば、なんですの?」
「タイミングとか。その、勢いとか」
「……」
駅前木葉は、上品な仕草で、コーヒーを飲んだ。
「彼女には、乃木坂を巣立つ力がありふれているもの」
「……ええ、確かに。ざきさんは才能豊かですわ。力強く、生きてみせてくれるのでしょう……。けれど、わたくし達の気持ちの方が、追いつきませんわ」
「退くも勇気」
作 タンポポ
1
新宿区のファースト・コンタクト(株)本社ビル二十二階、〈ディスカッション・ルーム2〉にて、風秋夕(ふあきゆう)は、熱いコーヒーを口元からこぼしそうになった。
ワイヤレスイヤホンが、耳元でまだ続きを囁いている。それはラジオであった。
二千二十二年六月十三日、乃木坂46山崎怜奈がパーソナリティを務めるTOKYO FM『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』において、たった今、二千二十二年七月十七日をもって、山崎怜奈が乃木坂46を卒業する事が、山崎怜奈本人の口から番組冒頭で語られたのであった。
風秋夕はスマートフォンを見つめる。ライン画面には、稲見瓶(いなみびん)からの通信が入っていた。
風秋夕は、すかさず稲見瓶へと電話を繋げる……。
「もしもし、イナッチ、聞いてたか」
「ああ、確かなようだね。残念で仕方ない」
「どうしてこのタイミングだった?」
「わからない。けど、考えていたんだろうね……」
「今夜、みんなに集合かけよう。こんな時のファン同盟だからな」
「どうしたらいい?」
「ラインだ。じきにみんな気付くだろうが、その前にラインで知らせよう」
「うん。わかった……」
「しっかりしろ、イナッチ。お前が一番二期と仲良かったのは知ってる。だからあえてお前に任せてるんだ」
「うん……。れなちは、今日、来るかな?」
「確率は高い日だ。そう願おう」
「わかった。じゃあ、後でまた」
「おう」
風秋夕は、音を立てて〈ディスカッション・ルーム2〉の扉を開けたファースト・コンタクト(株)企画営業部の課長兼企画部主任の三笠木里奈(みかさぎりな)に苦笑いを向けた。
「三笠木さん……、仕事中にラジオ聴いてちゃダメじゃないですか」
「あなたも同罪でしょう、ディスカッション・ルームに一人でいる意味って何ですか?」
「煙草吸ってました。ちょうどれなちの時間だったから……、それが」
「いいわ……。それより、ラジオのドッキリ企画というケースはないかしら?」
「望み薄いですね……。卒業系のドッキリは、普通しない」
「稲見君は? 連絡はしたの?」
「つい今」
「綾乃さんには?」
「あー……、ライン、しときますか?」
その時、綾乃美紀(あやのみき)が淹れたてのコーヒーを三人分トレーに載せながら、〈ディスカッション・ルーム2〉へと入室してきた。
「三笠木さん、風秋君……。あ、えと、これ、コーヒー……」
風秋夕は微笑んだ。
「はいはい、混乱しない。まずは二人とも、着席」
「そうね」
「はい……」
三笠木里奈と綾乃美紀はテーブルを挟んで風秋夕の正面の椅子に着席した。
「こんな事言いたくなかったが、ついにいう日が来たって事だ。れなちは、乃木坂46を卒業する……」
三笠木里奈は眉間をしかめた。
綾乃美紀は、泣き出しそうな不安な表情を浮かべる。
「今も俺の耳ではラジオが続いてるけど、間違いはなさそうですよ。という事は、おそらく、ライブ前に卒業するって事らしい」
「そんな!」三笠木里奈はテーブルを叩いた。「アンダーもなくて?」
「そぉんな、急に、急すぎますよぉ……」
綾乃美紀は、両手で顔を隠した。
風秋夕は、真剣な面持ちで、新しい煙草に火をつけた。
「別れは、いつだって、急だ……」
横浜に在る磯野貿易産業(株)の会社倉庫の二階にて、天野川雅樂(あまのがわがらく)と来栖栗鼠(くるすりす)は磯野波平(いそのなみへい)のてきぱきとして、そして気だるそうな指示の元、汗をかいて仕事していた。
「お?」
スマートフォンが着信音を奏でていた。稲見瓶からの電話である。
磯野波平は電話に応答する。
「おう、無表情、どした?」
「れなちが、卒業する」
「ああ?」
「れなちが、卒業するんだよ、乃木坂を」
「おおいちょ、ちょ待て待て! それ冗談だったら」
「俺が嘘をついた事があるか」
「お、………。マジ、かよぉ……」
磯野波平の応対を観察していた天野川雅樂は、ふと鳴ったラインの着信に、スマートフォンのライン画面を開いた。
来栖栗鼠も、同時にスマートフォンのライン画面を開いていた。
「あああ!?」
「れなちがーっ! 嘘だぁー……」
「おいイナッチ、それ何処で聞いたんだよっ」
「だれはなだよ。れなちのラジオだ」
「卒業って、いつう!」
「七月十七日、らしいよ」
「そんなに、すぐっ……」
天野川雅樂は驚愕していた。頑強な腕で来栖栗鼠の両肩を持ち、激しく揺さぶった。
「おい来栖! 夢なんだろ嘘なんだろ! お前もグルなんだろーっ!」
「やめやめて雅樂さんっ、肩が抜けちゃうよ!」
天野川雅樂は、我に返る。
「マジなんか……」
「おおう、ガチよ」
磯野波平は、電話を切った。
「れなちが、七月に卒業? 何でなんですか! 何で、そんな急にっ……」
「お前ら、喫煙所行くぞ……。ちと来い」
「昼休憩、取ったばっかりじゃねえか、おい、磯野……」
「うるせえ……。来んのか、来ねえのか!」
「まあ、ここじゃ落ち着いて話もできやしねえか」
「行こうよ、早く」
「れなち……。ちっ」
磯野波平は顔をしかめて、舌打ちをして、喫煙所へと歩き出した。
ファースト・コンタクト(株)本社ビル地下二階研究・開発フロア、デスク・ブースを出て、御輿咲希(みこしさき)は、幾つもの植木が置かれている休憩室で待たされていた。
休憩室のドアがスライドする。
「お待たせしました、御輿さん、今、稲見君から連絡をいただきました」
駅前木葉(えきまえこのは)はそう言いながら、休憩室のドアを閉めた。
「ええ、わたくしにもイナッチからのラインが届いています……ざきさんが」
「はい。れなちさんが、卒業する、との報告でした……」
「ざきさんが……。嫌ですわ、嘘よ……。なぜ、こんな時期に、なぜ、こんなに急な発表なのですか?」
「落ち着いて――。卒業とは、いつの時も急に感じるものです。とりあえず、紅茶でもコーヒーでも飲みながら、少し話しましょう」
「え、ええ」
二人はインスタント式のカップにコーヒーを淹れ、長手のテーブル席に正面同士になるようについた。
「思いがけない日になりましたね、御輿さん」
「ちょっと、頭が整理できてませんわ。混乱しているわ、わたくし……」
「いよいよ、残された二人の二期生の、れなちさんの旅立ちです。何か、見つけたのかもしれませんね。乃木坂でもしっかり者の彼女の事です、思い立った理由は必ずありますよ」
「ええ、そうかも、しれませんわね。けれど、わたくはまだ、気持ちが整理できませんわ。ざきさんにはまだまだ乃木坂としての時間が残されていたはず……」
「卒業を思い立つには、様々な要素が関係しているのでしょうね」
「様々な……、例えば、なんですの?」
「タイミングとか。その、勢いとか」
「……」
駅前木葉は、上品な仕草で、コーヒーを飲んだ。
「彼女には、乃木坂を巣立つ力がありふれているもの」
「……ええ、確かに。ざきさんは才能豊かですわ。力強く、生きてみせてくれるのでしょう……。けれど、わたくし達の気持ちの方が、追いつきませんわ」
「退くも勇気」
作品名:ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。 作家名:タンポポ