にゃんこなキミと、ワンコなおまえ1
煉獄杏寿郎、当年とって十八歳は、『猫』と暮らしたいと常々願っている。
級友などに口を滑らせるたび、おまえは犬派かと思ってたと意外そうな顔をされるが、とくに反論する気はない。犬もいい。忠実で健気だ。元気な犬と公園や河原で遊ぶのはきっと楽しいだろう。
だが一緒に暮らすなら猫がいい。黒くつややかな毛並みで真っ青な瞳の猫ならば最高だ。むしろその猫でなければ一緒に暮らしたいなど思わない。
ちなみにごく親しい友人たちに同じことを言うと、なぜだか生ぬるい目で見られるのだが、それはともあれ。
父が動物嫌いなので、煉獄家では今までペットを……もとい、モフモフした生き物を飼ったことがない。千寿郎が幼稚園のころに祭りですくった金魚なら、いる。あれを金魚と呼ぶのは少々ためらうけれども。
縁日の金魚は短命と聞くが、煉獄家の一員となった金魚は言葉どおり水があったのか長生きで、年々大きくなっていった。今では水槽に収まりきらず、庭の池で飼われている。居を移した当初は、野良猫に狙われるかもとの懸念もあったが、そんなものは一週間も経たぬうちに消えた。むしろ、池に来た猫が逆に食われかねないと怯えて逃げ帰る始末だったので。
これもう鯉じゃん! 遊びにきた友人は、池の金魚を見るとほぼ百パーセントの確率でそう叫ぶ。
金魚にしてはやたらと圧の強い眼差しやら規格外な大きさはともかく、六年ものあいだ家族の一員としてともにいるのだ。杏寿郎とて愛着はある。餌をねだってパクパクと口を開ける様子も、それなりにかわいいものだ。たとえ天敵なはずの猫やトンビを眼光一つで追い払うさまに、金魚そっくりな新種のUMAなのでは? なんて疑惑がまことしやかに囁かれようと家族なのだから、杏寿郎だって当然かわいがっている。
だが金魚では腕に抱くどころか撫でてもやれない。しかもいるのは池のなかだ。添い寝など無理難題がすぎる。
寒い夜ともなれば杏寿郎は、しなやかな『黒猫』の体を抱きしめて眠りたいのだ。むしろ杏寿郎のほうが湯たんぽ代わりになる気はするが、それこそ本望。ぎゅっと猫に抱きつかれて眠る夜、まさしく天国ビバ添い寝。ハラショー、ブラボー、ワンダーホーってなもんである。そんな幸せなひとときが冬場だけなど我慢できるはずもない。真夏にエアコンが壊れ汗みずくになったとしても、添い寝する。猫が不満げな顔をしようと、絶対にしてみせるとも。杏寿郎の決意は固い。
なにはともあれ、ともに暮らすならそっけなくて愛想なしな黒猫以外ありえないと、杏寿郎は思っている。いや、ぼんやり思い願うどころの話じゃない。杏寿郎の人生設計において、一緒に暮らすのは確定事項だ。
無愛想だけれど気がつくと隣に寄り添っている、本当は甘えん坊で寂しがり屋の黒猫。なついた者にしかゴロゴロと喉を鳴らすことはないのがまた、たまらなくかわいい。ちょっとばかり自己肯定感が薄いのが玉に瑕《きず》。そのせいか控えめで遠慮がちであるが、反面ひっそりと負けず嫌いで気が強い。杏寿郎が必ずや一緒に暮らしてみせると心に決意の焔を燃やすのは、そんな猫だ。クールな見た目に反し、ちょっとぼんやり屋さんでわりとドジっ子な『黒猫』と、是が非でも同じ屋根の下で暮らしたい。
けれども、煉獄家で一緒に暮らすのは無理だ。
家族が反対しているわけではない。むしろ、ぜひともうちに来てくれと全員が心から願っている。だが、猫が受け入れてくれないのだ。
益体《やくたい》もない世間の陰口など気にすることはないのにと、考えるたびいまだに杏寿郎の不満と怒りは噴出する。猫に対してでは、もちろんない。口さがなくて下世話な好奇心に満ちた世間というやつにである。
誓って杏寿郎にも父や母にも、悪意や下心などなかった。だというのに、世間には下衆の勘ぐりをする輩が多いらしい。両親から何度か持ち出されてはそのたび流れ、今となっては誰も口にしない話だ。
残念ではあるがしかたのないことと杏寿郎も納得している。実情を知ろうともせず下卑た妄想をふくらませる奴らに、やさしい猫が傷つけられるなど、杏寿郎だって我慢がならない。
それに同居は叶わずとも、小さな子猫のうちは毎日のように煉獄家に入り浸りとなっていたので、なんとか杏寿郎も不満を飲み込むことができた。お泊りだって多く、一緒の布団で添い寝だってできたのだ。煉獄家でそれが果たせたのは、杏寿郎が小学生のうちだけだったけれども。
中学に入学した日は杏寿郎にとって、猫から同じ布団で眠るのを拒まれた日と同義だ。というよりも、まさにそれこそが重要である。その夜の衝撃と悲しさを、杏寿郎はいまだに忘れられない。
あのころはまだ、杏寿郎のほうが猫より体も小さかった。それはそれで悔しい思いもしていたというのに、もう大きくなったのだからとはどういうことだ。両親のことは尊敬しているが、あの日の言は今もって解せぬ。
中学生になれたのはもちろん喜ばしい。それでも、猫と一緒に眠れなくなるなら大きくなんてなれなくていいとさえ思ったものだ。今は自分の成長に感謝しているけれど、当時は本気で泣きそうだった。
だがしかし、武士は食わねど高楊枝と先人も言うではないか。中学生となり大人の男に一歩近づいたからにはとやせ我慢で笑って見せたのは、杏寿郎からすれば当然の成り行きだ。たぶん猫や両親には強がりだとバレバレだっただろうけれども。男はつらいよとは真理だなと、つくづく悟った苦い思い出である。
ようやくまた一緒の布団にくるまることを当の猫から許されたのは、杏寿郎がさらに大きくなってからだった。
具体的には、高校二年生の夏休みである。
その夜の泣き出したいぐらいの喜びを思えば――というか、実際に泣いた。猫がオロオロと視線をさまよわせるほど男泣きに泣いた。不甲斐なし――こんな夜を毎日のようにと、杏寿郎が切願するのも当然だ。
だが実際に煉獄家に猫が身を寄せた場合、ふたたび一つ褥《しとね》で眠るのは、逆に難しくなったと言わざるを得ない。なにしろ杏寿郎も大きくなったが、猫だってもう子猫ではないのだ。
それに、正直言えば杏寿郎は、夜だけでなく朝も昼も猫を抱きしめていたかった。けれども家での猫は母や千寿郎にかまい倒され、ちっとも杏寿郎が近づけなくなる可能性が高い。
否。可能性どころじゃない、確定事項だ。父だって油断はならない。なにせ煉獄家の面々は、例外なくみなあの黒猫が大好きなのだから。
猫が家にくるたび、母と千寿郎の浮かれっぷりは激しい。父だってソワソワしているのを隠しきれちゃいない。猫もうれしげに母たちにかまわれていて、家にいるとちっとも杏寿郎の相手をしてくれやしないのだ。
たまのことだからかもしれないが、一緒に暮らしても大差はないだろう。それは寂しい。できれば杏寿郎が独占したい。家では駄目だ。
だからといって、では家を出ればいいとはいかない事情がある。なにせ杏寿郎は現在高校生、学費も生活費もすべて親がかりだ。おいそれと一人暮らしなどできるわけもない。
けれども春がくれば、杏寿郎も高校を卒業する。希望する進学先はそれなりに遠いので、大学生になるのと同時に家を出れば万事解決だ。
級友などに口を滑らせるたび、おまえは犬派かと思ってたと意外そうな顔をされるが、とくに反論する気はない。犬もいい。忠実で健気だ。元気な犬と公園や河原で遊ぶのはきっと楽しいだろう。
だが一緒に暮らすなら猫がいい。黒くつややかな毛並みで真っ青な瞳の猫ならば最高だ。むしろその猫でなければ一緒に暮らしたいなど思わない。
ちなみにごく親しい友人たちに同じことを言うと、なぜだか生ぬるい目で見られるのだが、それはともあれ。
父が動物嫌いなので、煉獄家では今までペットを……もとい、モフモフした生き物を飼ったことがない。千寿郎が幼稚園のころに祭りですくった金魚なら、いる。あれを金魚と呼ぶのは少々ためらうけれども。
縁日の金魚は短命と聞くが、煉獄家の一員となった金魚は言葉どおり水があったのか長生きで、年々大きくなっていった。今では水槽に収まりきらず、庭の池で飼われている。居を移した当初は、野良猫に狙われるかもとの懸念もあったが、そんなものは一週間も経たぬうちに消えた。むしろ、池に来た猫が逆に食われかねないと怯えて逃げ帰る始末だったので。
これもう鯉じゃん! 遊びにきた友人は、池の金魚を見るとほぼ百パーセントの確率でそう叫ぶ。
金魚にしてはやたらと圧の強い眼差しやら規格外な大きさはともかく、六年ものあいだ家族の一員としてともにいるのだ。杏寿郎とて愛着はある。餌をねだってパクパクと口を開ける様子も、それなりにかわいいものだ。たとえ天敵なはずの猫やトンビを眼光一つで追い払うさまに、金魚そっくりな新種のUMAなのでは? なんて疑惑がまことしやかに囁かれようと家族なのだから、杏寿郎だって当然かわいがっている。
だが金魚では腕に抱くどころか撫でてもやれない。しかもいるのは池のなかだ。添い寝など無理難題がすぎる。
寒い夜ともなれば杏寿郎は、しなやかな『黒猫』の体を抱きしめて眠りたいのだ。むしろ杏寿郎のほうが湯たんぽ代わりになる気はするが、それこそ本望。ぎゅっと猫に抱きつかれて眠る夜、まさしく天国ビバ添い寝。ハラショー、ブラボー、ワンダーホーってなもんである。そんな幸せなひとときが冬場だけなど我慢できるはずもない。真夏にエアコンが壊れ汗みずくになったとしても、添い寝する。猫が不満げな顔をしようと、絶対にしてみせるとも。杏寿郎の決意は固い。
なにはともあれ、ともに暮らすならそっけなくて愛想なしな黒猫以外ありえないと、杏寿郎は思っている。いや、ぼんやり思い願うどころの話じゃない。杏寿郎の人生設計において、一緒に暮らすのは確定事項だ。
無愛想だけれど気がつくと隣に寄り添っている、本当は甘えん坊で寂しがり屋の黒猫。なついた者にしかゴロゴロと喉を鳴らすことはないのがまた、たまらなくかわいい。ちょっとばかり自己肯定感が薄いのが玉に瑕《きず》。そのせいか控えめで遠慮がちであるが、反面ひっそりと負けず嫌いで気が強い。杏寿郎が必ずや一緒に暮らしてみせると心に決意の焔を燃やすのは、そんな猫だ。クールな見た目に反し、ちょっとぼんやり屋さんでわりとドジっ子な『黒猫』と、是が非でも同じ屋根の下で暮らしたい。
けれども、煉獄家で一緒に暮らすのは無理だ。
家族が反対しているわけではない。むしろ、ぜひともうちに来てくれと全員が心から願っている。だが、猫が受け入れてくれないのだ。
益体《やくたい》もない世間の陰口など気にすることはないのにと、考えるたびいまだに杏寿郎の不満と怒りは噴出する。猫に対してでは、もちろんない。口さがなくて下世話な好奇心に満ちた世間というやつにである。
誓って杏寿郎にも父や母にも、悪意や下心などなかった。だというのに、世間には下衆の勘ぐりをする輩が多いらしい。両親から何度か持ち出されてはそのたび流れ、今となっては誰も口にしない話だ。
残念ではあるがしかたのないことと杏寿郎も納得している。実情を知ろうともせず下卑た妄想をふくらませる奴らに、やさしい猫が傷つけられるなど、杏寿郎だって我慢がならない。
それに同居は叶わずとも、小さな子猫のうちは毎日のように煉獄家に入り浸りとなっていたので、なんとか杏寿郎も不満を飲み込むことができた。お泊りだって多く、一緒の布団で添い寝だってできたのだ。煉獄家でそれが果たせたのは、杏寿郎が小学生のうちだけだったけれども。
中学に入学した日は杏寿郎にとって、猫から同じ布団で眠るのを拒まれた日と同義だ。というよりも、まさにそれこそが重要である。その夜の衝撃と悲しさを、杏寿郎はいまだに忘れられない。
あのころはまだ、杏寿郎のほうが猫より体も小さかった。それはそれで悔しい思いもしていたというのに、もう大きくなったのだからとはどういうことだ。両親のことは尊敬しているが、あの日の言は今もって解せぬ。
中学生になれたのはもちろん喜ばしい。それでも、猫と一緒に眠れなくなるなら大きくなんてなれなくていいとさえ思ったものだ。今は自分の成長に感謝しているけれど、当時は本気で泣きそうだった。
だがしかし、武士は食わねど高楊枝と先人も言うではないか。中学生となり大人の男に一歩近づいたからにはとやせ我慢で笑って見せたのは、杏寿郎からすれば当然の成り行きだ。たぶん猫や両親には強がりだとバレバレだっただろうけれども。男はつらいよとは真理だなと、つくづく悟った苦い思い出である。
ようやくまた一緒の布団にくるまることを当の猫から許されたのは、杏寿郎がさらに大きくなってからだった。
具体的には、高校二年生の夏休みである。
その夜の泣き出したいぐらいの喜びを思えば――というか、実際に泣いた。猫がオロオロと視線をさまよわせるほど男泣きに泣いた。不甲斐なし――こんな夜を毎日のようにと、杏寿郎が切願するのも当然だ。
だが実際に煉獄家に猫が身を寄せた場合、ふたたび一つ褥《しとね》で眠るのは、逆に難しくなったと言わざるを得ない。なにしろ杏寿郎も大きくなったが、猫だってもう子猫ではないのだ。
それに、正直言えば杏寿郎は、夜だけでなく朝も昼も猫を抱きしめていたかった。けれども家での猫は母や千寿郎にかまい倒され、ちっとも杏寿郎が近づけなくなる可能性が高い。
否。可能性どころじゃない、確定事項だ。父だって油断はならない。なにせ煉獄家の面々は、例外なくみなあの黒猫が大好きなのだから。
猫が家にくるたび、母と千寿郎の浮かれっぷりは激しい。父だってソワソワしているのを隠しきれちゃいない。猫もうれしげに母たちにかまわれていて、家にいるとちっとも杏寿郎の相手をしてくれやしないのだ。
たまのことだからかもしれないが、一緒に暮らしても大差はないだろう。それは寂しい。できれば杏寿郎が独占したい。家では駄目だ。
だからといって、では家を出ればいいとはいかない事情がある。なにせ杏寿郎は現在高校生、学費も生活費もすべて親がかりだ。おいそれと一人暮らしなどできるわけもない。
けれども春がくれば、杏寿郎も高校を卒業する。希望する進学先はそれなりに遠いので、大学生になるのと同時に家を出れば万事解決だ。
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ1 作家名:オバ/OBA