にゃんこなキミと、ワンコなおまえ1
齢四歳での初恋は、自覚まで幾分かかりはしたものの、高三も終盤近い現在にいたっても継続中だ。むしろ年追うごとに想いは深まるばかりである。
さらに言えば、目下絶賛遠距離恋愛中の――高校生の杏寿郎にとっては、新幹線で七駅も離れれば充分遠距離だ――恋人でもあった。一応、父や母には内緒ではあるけれども。どうせ筒抜けだが、一応、内緒なのだ。だって義勇が恥ずかしがるから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
杏寿郎が義勇と初めて逢ったのは、杏寿郎が四歳になった翌日である。よく晴れた五月の昼下がり、幼稚園のお庭で外遊びしていたときのことだった。
キャアキャアとにぎやかな園庭の隅、一人膝を抱えて座り込んでいる子がいるのに杏寿郎が気づいたのは、偶然というよりは必然だ。
みなの輪に入れない子がいれば誘ってあげねばと、キョロキョロと周囲を見回していた杏寿郎だからこそ、気づけたのだろう。それぐらいその子はひっそりとしていて、まるで消え入りたいかのようだった。
立てた膝にうずめた顔は見えない。着ているスモックは水色で、男の子だということだけが知れた。
お友達と砂場で大きなお山を作ろうとしていた杏寿郎は、迷わず立ち上がると、その子に向かって駆け出した。
「きみ! なにをちているのだ? あっちでおともだちとあしょぼう! いまからおやまをちゅくって、とんねりゅをほゆのだ! たのちいぞ! いっちょにちゅくろう!」
笑って声をかけても、その子は顔を伏せたまま小さく首を振っただけだった。
だから杏寿郎は、その子の隣にストンと腰を下ろした。同じように膝を抱えて座り、はしゃいだ声を立てるお友達を見つめる。
その子がようやく声を発したのは、杏寿郎が隣に座り込んでから五分ほどもしてからだ。
「……なんでここにいるの?」
「うむ! きみがここにいゆからだ! ははうえが、こまってる人がいたらやしゃしくしなしゃいといってた!」
胸を張って杏寿郎が言うと、その子はますますギュッと膝を抱えてしまった。
「こまってない。あっち行って」
言葉のわりにその子は怒っているようではなかった。どちらかというと、なんだか悲しそうな声だ。
「こまってないなら、かなちいのか? しょれならおれがよちよちちてやろう!」
杏寿郎がしょんぼりとしていると、いつだって母はやさしく抱きしめよしよしと撫でてくれる。そうすると悲しい気持ちはゆっくりと溶けていって、杏寿郎は笑顔に戻れるのだ。
だからこの子もきっと元気になってくれるはずだ。思い杏寿郎は、隣に座る男の子を小さな手でギュッと抱きしめ、うつむいたままの頭をよしよしと撫でた。
「よちよち、おとこのこは、ないてはだめなのだぞ」
男の子は、年少さんになったばかりの杏寿郎よりも、ちょっぴり大きかった。それでもなんだか、膝を抱え込んで縮こまっている姿はとても小ちゃく感じられて、消えてしまおうとしているみたいだった。それはとても寂しいことだと杏寿郎には思えたのだ。
お空は晴れてお日様はピカピカしているし、とても気持ちのいい風だって吹いている。砂場やジャングルジムで遊ぶのは楽しい。なのに誰とも遊ばず隅っこで一人ぼっちでいるなんて、もったいない話ではないか。
「なにがしょんなにかなちいのだ?」
聞いても男の子は答えてくれない。杏寿郎のほうが困ってしまう。けれども放っておくことなどできなかった。だって杏寿郎よりもお兄ちゃんに見えるのに、男の子はとっても悲しげに小さくなっているのだから。
杏寿郎は、泣いたことがない。いや、覚えていないだけで、もっと小さいころにはそれなりに泣きべそをかきもしたのだろう。それでも今は、転んだり悲しいことがあったりしても唇をへの字にグッと噛みしめ、泣くのを我慢する。
男の子は簡単に泣いてはいけない。父や母はいつも言う。だから杏寿郎は泣いたりしない。
もちろん、泣いている子を馬鹿にする気もない。去年初めて逢ったときに従兄のお兄ちゃんが泣いていたのをうっすらと覚えているけれども、父も母もお兄ちゃんを強い子だと褒めるのだ。涙を見せたからって弱虫ではない場合もあるのだろう。
男の子がどうしても涙をこらえきれなかったのなら、それは、とっても悲しいからに違いない。だからもしこの子が泣いていたって、杏寿郎は、慰めてあげたいと思うだけだ。笑ってほしいと願うだけだ。
腕のなかのこの子に、泣いている様子はない。それでも杏寿郎の目には、声を殺して泣いているように見えた。
杏寿郎は母に「あなたは強い子だからお友達を守ってあげなければいけません」と言われている。だから杏寿郎は黙ったままの男の子を抱きしめ、撫でつづけた。
男の子の髪は、キラキラした杏寿郎の髪と違って真っ黒だ。お習字のときに母が磨る墨みたいに艶やかな黒だった。
母がお習字するときの匂いが、杏寿郎は好きだ。墨の匂いは母のどこか甘い匂いと混ざりあい、なんとなく安心する。
墨とは違うけれども、この子もちょっといい匂いがする。お花みたいな甘い匂いがする黒髪は、母の髪に似ている。癖のないサラサラとした母の髪と違ってくせっ毛なのだろう。ぴょんぴょんとところどころはねた髪は、見た目よりも柔らかかった。
どれぐらいそうしていただろう。不意に男の子が小さな声で言った。
「おとうさんとおかあさんが、死んじゃったんだ」
「えっ!?」
あんまり驚いて杏寿郎が撫でる手を止めると、男の子はますます小さく縮こまった。
杏寿郎はまだ、死ぬという意味がよくわからない。でも、とても悲しいことだというのはわかる。だって死ぬともう逢えないのだ。この子は父にも母にももう逢えないということではないか。
「おねえちゃんも、学校やめてお仕事することになっちゃった。おうちにもいられなくなったから、もう錆兎や真菰にも逢えない。おうちに帰りたい……おとうさんとおかあさんに逢いたい。でも言っちゃダメなんだ。おねえちゃんが悲しい顔しちゃう」
男の子の声はどんどんと悲しげに震えていく。うずくまる小さな体も震えていた。杏寿郎の胸がキュウッと痛くなる。
錆兎と真菰というのが誰なのかはわからないけれど、きっと大好きな人たちに違いない。そんな人たちにも、この子は逢えないのだ。
お姉ちゃんを悲しませまいと、泣くこともできずにいるんだろう。とってもやさしい子なのに、こんなふうに一人ぼっちで悲しい涙をこらえるなんてあんまりだ。杏寿郎もどんどんと悲しくなってしまう。
「おれがいっちょにいてやる! ないたらいちゅもおれがよちよちちてやるから、かなちかったらないてもいいぞ! しょうだっ、おれのおうちのこになるといい! ちちうえもははうえも、とってもやしゃしいから、だいじょうぶだ!」
思わず言った言葉は、幼児の思いつきでしかない。だけれども、とびきりの名案に思えた。もちろん、お仕事をしているお姉ちゃんも一緒にだ。杏寿郎の家は大きいから部屋ならある。
「そうちよう! おれはれんごくきょうじゅろう、よっちゅだ! きみのなまえはなんていうのだ?」
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ1 作家名:オバ/OBA