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にゃんこなキミと、ワンコなおまえ1

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 この子が一人で涙をこらえて膝を抱えているなんて駄目だ。そんなの杏寿郎こそが悲しくなってしまう。この子が悲しくて涙を流すときにはいつだって、杏寿郎が抱きしめて撫でてやるのだ。そうしたらきっと、この子だって笑ってくれるだろう。
 明るく言った杏寿郎の声に、ピクンと男の子の肩が揺れて、そろりと顔が上げられた。ようやく杏寿郎を見返した瞳は、澄み渡るお空みたいな青。近所の家に生まれた子猫の目に似た――キトゥンブルーというのだと母が教えてくれた――キラキラと光る目だった。

「……冨岡義勇。五歳」

 おうちの人に言わないで勝手にそんなの決めちゃダメなんだよ? ちょっぴり泣きそうな瞳で笑って言った義勇の顔を、今も杏寿郎は忘れていない。



 その日の夜、布団のなかで杏寿郎は、母にとってもすごい秘密を打ち明けた。
「ははうえ、ぎゆうはしゅごいんでしゅ、まほうがちゅかえましゅ! おほちしゃまとおはなのまほうでしゅ。だってぎゆうがわらうと、おほちしゃまよりもキラキラちましゅ! おはながさいてるみたいでちた!」
「そうですか。義勇さんはとても愛らしい子ですからね。やさしくしてあげるのですよ?」
「はい!」
 満面の笑みでうなずいた杏寿郎の頭を、母はやさしく撫でてくれた。

 杏寿郎の提案は残念ながら義勇には却下されてしまったが、お迎えにきたとてもやさしそうできれいなお姉ちゃんは、義勇と仲良くしてやってねと杏寿郎に言ってくれた。「はい! おれがぎゆうをまもってあげましゅ!」と宣言した杏寿郎に、うれしそうに笑ってもくれた。
 蔦子と名乗った義勇の姉と、母が交わした会話を、杏寿郎は知らない。母がぜひにと誘い、義勇と一緒に家で夕飯を食べたあとも、帰宅した父も交えての蔦子との話し合いは長く続いた。そのあいだ杏寿郎は義勇と遊べたのだから、文句はない。
 父が懇意にしている弁護士のおじさんが、それ以来しょっちゅう家に来るようになった理由だって、そのころの杏寿郎にはわからなかった。当時杏寿郎が理解できたことなど、ほんのわずかだ。おじさんがいつもお土産にくれるシュークリームが、義勇と一緒に食べると今までよりずっと甘くおいしく感じられたことや、頬についた生クリームを拭ってやるとはにかみ笑う義勇が、とてもかわいかったこと。それだけわかっていればじゅうぶん幸せだった。
 未成年後見人だの遺産の管理や着服だのといった、義勇たちを苦しい境遇に陥らせた諸々の言葉を杏寿郎が知ったのも、もっとずっと大きくなってからだ。
 そのころにはもう蔦子も成人して、義勇と二人で住んでいた四畳半一間の風呂なしアパートからだって引っ越していた。部屋が六畳になりユニットバスがついただけだったが、義勇はとてもうれしそうに、杏寿郎が泊まりに来てもこれで大丈夫と笑っていた。

 本当なら高校一年生だった蔦子が、父や母からの援助の勧めにうなずくことなく働き続けたのは、いまだに少し残念な気がしないでもない。
 後見人となった親戚が頼りにならないどころか、未成年な蔦子たちの保護すらせずに遺産や保険金を食いつぶそうとしていたのを思えば、警戒心が騒いでもしかたのないところだ。
 だが、蔦子が煉獄家との養子縁組にうなずかなかった理由は、出逢ったばかりの他人でしかない父たちへの不信からではなかろう。生真面目すぎる人なのだ。
 運送会社の事務員として働いていた蔦子は、義勇の学費に充てるため、取り戻せた遺産にもほとんど手を付けずにいたらしい。大学に進学せず就職しようとした義勇を説得できたのは、父や母の諭す言葉よりもむしろ、蔦子に見せられた貯金通帳のおかげだろう。
 心配無用と笑った蔦子は、儚げな容姿であっても肝の据わった女性なのだ。でなければ、齢十五の少女が細腕一つで弟を育て上げることなどできやしない。
 そんな蔦子の弟であるから、生真面目さは義勇だって変わりがない。頑張り屋なのも姉譲りだ。どんなに家族同然だろうと、二人は煉獄家に頼りきりになったりなどしなかった。義勇も蔦子も、水臭いほどかたくなに節度を守ろうとする。幼いころからそうだった。そろって血統書付きさながらな品の良さでありつつも、性根の部分では野良猫のごとくにたくましく生き抜く力を備えている。そんな姉弟なのである。
 頼られたい杏寿郎からすれば、そのかたくなさはときどき他人行儀なと思わなくもないが、これはもうしょうがない。口さがない世間の陰口に対する自衛もあっただろうけれど、そういう気質なのだ。
 そんな義勇だからこそ、ためらいがちに甘えられるのがかわいくてたまらず、父や母は杏寿郎に対してよりもよっぽど義勇のことを案じていたと思われる。いまだにやたらと義勇を甘やかしたがるのだ。
 杏寿郎は放っといてもまっすぐにたくましく育っているが、義勇は繊細だけど大雑把だし、賢いけれども抜けている。なによりもとにかく愛らしい。うかつに目を離せばどんな危険な目に遭うことか。というのが、父と母の大義名分である。杏寿郎とて否定はしない。いや、むしろ全面的に同意する。

 そんなふうに周囲の者たちの庇護欲を掻き立てる末っ子気質な義勇だが、杏寿郎に対しては、守るのは自分の役目だと思っているフシがある。やけにお兄ちゃんぶりたがるのだ。
 義勇は蔦子と歳が離れているせいもあってか、両親が健在のころから冨岡家の小さな王子様といった扱いだったらしい。いわゆる猫かわいがりだ。同い年の幼馴染たちにも弟のように思われているそうで、甘やかされてばかりだったものだから、お兄ちゃんという立場に多大な憧れがあったとみえる。
 ちなみに、命日には毎年蔦子と二人だけで故郷に墓参りに行っていた義勇は、そんな幼馴染たちとも今なお交友を続けている。毎年恒例の、杏寿郎が義勇と離ればなれになる日。義勇が杏寿郎の知らない大好きな人たちと過ごす日だ。
 命日なのだから水入らずでのほうがいいだろう、邪魔はしないように。そう父や母に言われたし、義勇だって年に一度しか逢えぬ友人たちと心置きなく交友したいはずだ。となれば、杏寿郎だってじっと我慢の子で義勇の帰りを待つしかない。そんな日が幼いころからあったのだ。
 まぁ、それを経験してきたからこそ、お互いの修学旅行だとかインターハイ出場のための遠征も、どうにか我慢できたのかもしれないが。墓参りと違って数日に及ぶ学校行事は、我慢しきれず毎日電話してしまったけれども。それはともあれ。

 悲しくてつらくてたまらぬ時期に出逢ったせいか、当時の義勇は生来の人見知りがさらに強くなり、幼稚園でも杏寿郎の影に隠れがちだった。けれど、杏寿郎よりも年上だという自負はしっかりと持っていたに違いない。杏寿郎のお兄ちゃんとして振る舞おうとする場面は多かった。それは今も色濃く残る習性となっている。
 とはいえ、言葉こそ舌足らずであっても杏寿郎は元来しっかり者だ。手助けを求めることなどほとんどない。だから義勇は、杏寿郎が義勇を守りかばおうとするのを、うんうんと素直に聞いてやることで甘やかしていた。……とは、母の見解である。
「ぎゆう! みじゅたまりがあるぞ! ぬれてちまう、こっちだ!」