水泡にKiss
こうなる運命だったのです
出会った時から、きっと──
『水泡にKiss』
プロローグ
海で暮らす人魚たちの目標は、成長して子を成し、自分たちの種族を途絶えさせないことだ。とはいえ希少種である人魚が大勢いるはずもなく。運命の相手に出会うまで、もしくは共に育った異性とそういった関係になるまで、大概が暇をしている。
そんな人魚たちの暇つぶしは、歌うこと、泳ぐこと、踊ること。そして人間が作ったものを集めて観察すること。
「ねぇ見て、これ!」
「ふ〜ん、人間って器用だねぇ」
木で作られた箱を手にはしゃぐ友人たちを横目に、大きな溜息。
「人間なんて、嫌い」
友人たちの言葉を遮るように呟いたそれは、勿論友人たちの耳に届く。
「ま~た言ってる」
頑固なんだから、とくすくす笑う友人たちは、何度も聞いた言葉を呆れるでも怒るでもなく、たださらりと流す。
大概の人魚は難破した船や浅瀬で人間が作ったものを探してはコレクションしている。海の中に置いておけないものは、崖の下など人が寄り付かないところに置いて、時折見に行っているらしい。
「なんでそんなに人間が好きなわけ?」
「ん~? だって退屈しないじゃん」
「面白いものも沢山作るし」
ほら、と他のコレクションを見せられる。貝の細工にガラスの小瓶、模様の描かれたタイル。それらは確かに美しくて、けれども奴らの評価が覆ることはない。
「怖いとか、思わないわけ」
人間の中には人魚にまつわる伝説を信じて捕えようとしたり、殺そうとする者もいる。整った容姿のものが多いせいか、生きたまま、もしくは死んだ状態でコレクションしようとする者もいる。……人間は敵だ。なのに、どうして。
「……やっぱりまだ、忘れられない?」
顔を覗いてくるルビーの奥は、不安げに揺れている。彼らがその恐怖や怒りを知らないわけではない。ただ、自分の方がその感情が大きかっただけ。今もまだ、忘れられないだけ。
何もかもをかき消すように、首を横に振る。
「なんのことだか」
そう言って見せれば、ルビーが細められる。
「怖いけど、近づかなければ大丈夫でしょ」
「アタシはちょっと、ちょっと近づいてみたいけどね」
くすくすと話しながらくるりと回ったり、ひらりと尾ひれを揺らす。いつも通りの、代わり映えの無い日常。危機感がないのか、はたまた自分のことを理解した上での会話なのかは分からないけれど、きっとそのどちらもなのだろう。残された仲間たちはせめて大切にしたい。なんて、柄にもなく思った。
そしてこんな平和で退屈な日がずっと続いて、いつか自分も異性の人魚と恋に落ちて、子供が出来て、死んでいくのだろうと、そう思っていた。
*
「楽しいこと、ありませんかね」
「……なんやそれ」
仕事に集中しろ、と向かいから飛んでくる視線を交わすように立ち上がり、バルコニーから海を見下ろす。一瞬きらりと陽の光が反射したのは、浮流物だろうか? もう一度目を凝らしても何も見えなかったので諦めて、地平線を眺める。
「潮風が心地良いですね」
このままtea timeでも、なんて笑いながら振り向けば視線は更にきつくなる。
「jokeですよ、joke」
執務机に戻って書類に目を通す。あぁ、つまらない内容ばかり。この国の未来の為に、自分の将来の為に、必要なことだとは分かっている。それでも。
「……恋でもしていれば違ったんでしょうか」
「阿呆。楽しいどころか余計しんどいわ」
溜息と共に吐き出された言葉に苦笑いで返す。目を伏せれば柔らかな風が吹く。潮の香りが優しくて少し切ない。今以上を望むなんて、きっと贅沢なのだろう。
第一章
「やっぱり、人間なんて大嫌い」
小さく呟いた言葉は波にかき消される。見上げた先には、沢山の明かりが灯された船。船上でパーティーでも行っているのだろう。陽気な音楽と歌、人々の声が聞こえてくる。人間には陸があるのに、どうして海にまでやってくるのだろう。夜の静かな海が好きなのに。
「……沈んじゃえばいいのに」
││そんなことを望んだ罰だったのかもしれない。
揺れる水面に鏡映しになった二つの月を眺めていたら、聞くに堪えない野太い声が聞こえてきた。
「ん? なんだあれ!」
不快だ、と眉間に皺を寄せていたものの他人事だと思っていたため、船の上から聞こえた言葉が自分を指しているのだと気付くまでに時間を要してしまった。
「やだ、何かしら……怖いわ!」
キーキーと甲高い声。船上の明かりの所為で逆光になっている自分の姿は、水面に浮かぶ怪物にでも見えたのだろうか。
「俺に任せろ、この前の狩猟大会で優勝した腕を見せてやるよ!」
ジャキン、と金属の擦れる音。標的は、自分。
「……っ!」
銃声が聞こえたのと、海に潜り込んだのと、どちらが早かったか。
「っう……」
腕を掠れた弾と、海水に滲む血。痛い、いたい、イタイ……頭の中を埋め尽くそうとする言葉を必死に掻き分けて脳を回転させる。
「血を、止めないと……」
先程の船に見つからないように、けれども最短で水上へ、そんなことを考えながら必死に尾ひれを動かす。それでも思考を塗りつぶすように痛覚が悲鳴を上げる。……ああ、もう、だめかも。
最後に見えたのは、笑うように輝く月。
「あんたなんかに見惚れたから」
途切れゆく意識の中で、浮かんだのはあいつの笑顔。ああ、このまま死んだら天国で会えるのかな、なんて思った。
*
窓から差し込む月の光に誘われ、見上げた空には星が霞むほど綺麗な月が輝いていた。夜風にでも当たるか、と寝間着の上にカーディガンを羽織り、部屋を出る。いつもならこの時点で感の良い従者に気づかれるのだけれど、今夜はどうやら不在らしい。
最短のルートで庭に出て、その端にある階段を下りる。途中から砂が混じるそこを注意しながら下りきれば、目の前に広がるのは白い砂浜と黒い海。昼の清々しいまでの青も好きだけれど、夜闇を映すその姿も嫌いではない。
ぎゅ、ぎゅ、と砂を踏みしめながらゆっくりと歩く。今夜の月は吸い寄せられそうな、不思議な感覚がする。
何か特別なことが起こりそう、なんて考えたところで、そんな思考を打ち消すように首を振り、苦笑した。そんなメルヘンチックなことを考えている余裕はないはずなのに、どうして今日はこんなにも気持ちが浮ついているのだろう。蜜色に輝く月の所為か。それとも……
すると、視界の端で何かが蠢く。驚いてそちらを見やれば、波打ち際に横たわる人影。
「……!」
すかさず駆けて行けば、確かに上半身は人間だった。けれど腹の下あたりから体を覆っているのは、きらきらと輝く鱗。その先、人間でいうところの爪先に当たる部分には大きな尾ひれがついている。
明らかに人間ではないその生き物をよく見れば、腕から流血しておりそのショックの所為か意識が遠のいているようだった。
「……大丈夫ですか!? あの、大丈夫ですか!」
「……?」
身体を揺すれば辛うじて瞼が震える。といっても、その瞼が完全に開けられることはない。辛うじて開いた唇からも、零れるのは掠れた吐息だけ。
寝間着の裾を裂いて止血し、もう一度その身体を揺らす。
出会った時から、きっと──
『水泡にKiss』
プロローグ
海で暮らす人魚たちの目標は、成長して子を成し、自分たちの種族を途絶えさせないことだ。とはいえ希少種である人魚が大勢いるはずもなく。運命の相手に出会うまで、もしくは共に育った異性とそういった関係になるまで、大概が暇をしている。
そんな人魚たちの暇つぶしは、歌うこと、泳ぐこと、踊ること。そして人間が作ったものを集めて観察すること。
「ねぇ見て、これ!」
「ふ〜ん、人間って器用だねぇ」
木で作られた箱を手にはしゃぐ友人たちを横目に、大きな溜息。
「人間なんて、嫌い」
友人たちの言葉を遮るように呟いたそれは、勿論友人たちの耳に届く。
「ま~た言ってる」
頑固なんだから、とくすくす笑う友人たちは、何度も聞いた言葉を呆れるでも怒るでもなく、たださらりと流す。
大概の人魚は難破した船や浅瀬で人間が作ったものを探してはコレクションしている。海の中に置いておけないものは、崖の下など人が寄り付かないところに置いて、時折見に行っているらしい。
「なんでそんなに人間が好きなわけ?」
「ん~? だって退屈しないじゃん」
「面白いものも沢山作るし」
ほら、と他のコレクションを見せられる。貝の細工にガラスの小瓶、模様の描かれたタイル。それらは確かに美しくて、けれども奴らの評価が覆ることはない。
「怖いとか、思わないわけ」
人間の中には人魚にまつわる伝説を信じて捕えようとしたり、殺そうとする者もいる。整った容姿のものが多いせいか、生きたまま、もしくは死んだ状態でコレクションしようとする者もいる。……人間は敵だ。なのに、どうして。
「……やっぱりまだ、忘れられない?」
顔を覗いてくるルビーの奥は、不安げに揺れている。彼らがその恐怖や怒りを知らないわけではない。ただ、自分の方がその感情が大きかっただけ。今もまだ、忘れられないだけ。
何もかもをかき消すように、首を横に振る。
「なんのことだか」
そう言って見せれば、ルビーが細められる。
「怖いけど、近づかなければ大丈夫でしょ」
「アタシはちょっと、ちょっと近づいてみたいけどね」
くすくすと話しながらくるりと回ったり、ひらりと尾ひれを揺らす。いつも通りの、代わり映えの無い日常。危機感がないのか、はたまた自分のことを理解した上での会話なのかは分からないけれど、きっとそのどちらもなのだろう。残された仲間たちはせめて大切にしたい。なんて、柄にもなく思った。
そしてこんな平和で退屈な日がずっと続いて、いつか自分も異性の人魚と恋に落ちて、子供が出来て、死んでいくのだろうと、そう思っていた。
*
「楽しいこと、ありませんかね」
「……なんやそれ」
仕事に集中しろ、と向かいから飛んでくる視線を交わすように立ち上がり、バルコニーから海を見下ろす。一瞬きらりと陽の光が反射したのは、浮流物だろうか? もう一度目を凝らしても何も見えなかったので諦めて、地平線を眺める。
「潮風が心地良いですね」
このままtea timeでも、なんて笑いながら振り向けば視線は更にきつくなる。
「jokeですよ、joke」
執務机に戻って書類に目を通す。あぁ、つまらない内容ばかり。この国の未来の為に、自分の将来の為に、必要なことだとは分かっている。それでも。
「……恋でもしていれば違ったんでしょうか」
「阿呆。楽しいどころか余計しんどいわ」
溜息と共に吐き出された言葉に苦笑いで返す。目を伏せれば柔らかな風が吹く。潮の香りが優しくて少し切ない。今以上を望むなんて、きっと贅沢なのだろう。
第一章
「やっぱり、人間なんて大嫌い」
小さく呟いた言葉は波にかき消される。見上げた先には、沢山の明かりが灯された船。船上でパーティーでも行っているのだろう。陽気な音楽と歌、人々の声が聞こえてくる。人間には陸があるのに、どうして海にまでやってくるのだろう。夜の静かな海が好きなのに。
「……沈んじゃえばいいのに」
││そんなことを望んだ罰だったのかもしれない。
揺れる水面に鏡映しになった二つの月を眺めていたら、聞くに堪えない野太い声が聞こえてきた。
「ん? なんだあれ!」
不快だ、と眉間に皺を寄せていたものの他人事だと思っていたため、船の上から聞こえた言葉が自分を指しているのだと気付くまでに時間を要してしまった。
「やだ、何かしら……怖いわ!」
キーキーと甲高い声。船上の明かりの所為で逆光になっている自分の姿は、水面に浮かぶ怪物にでも見えたのだろうか。
「俺に任せろ、この前の狩猟大会で優勝した腕を見せてやるよ!」
ジャキン、と金属の擦れる音。標的は、自分。
「……っ!」
銃声が聞こえたのと、海に潜り込んだのと、どちらが早かったか。
「っう……」
腕を掠れた弾と、海水に滲む血。痛い、いたい、イタイ……頭の中を埋め尽くそうとする言葉を必死に掻き分けて脳を回転させる。
「血を、止めないと……」
先程の船に見つからないように、けれども最短で水上へ、そんなことを考えながら必死に尾ひれを動かす。それでも思考を塗りつぶすように痛覚が悲鳴を上げる。……ああ、もう、だめかも。
最後に見えたのは、笑うように輝く月。
「あんたなんかに見惚れたから」
途切れゆく意識の中で、浮かんだのはあいつの笑顔。ああ、このまま死んだら天国で会えるのかな、なんて思った。
*
窓から差し込む月の光に誘われ、見上げた空には星が霞むほど綺麗な月が輝いていた。夜風にでも当たるか、と寝間着の上にカーディガンを羽織り、部屋を出る。いつもならこの時点で感の良い従者に気づかれるのだけれど、今夜はどうやら不在らしい。
最短のルートで庭に出て、その端にある階段を下りる。途中から砂が混じるそこを注意しながら下りきれば、目の前に広がるのは白い砂浜と黒い海。昼の清々しいまでの青も好きだけれど、夜闇を映すその姿も嫌いではない。
ぎゅ、ぎゅ、と砂を踏みしめながらゆっくりと歩く。今夜の月は吸い寄せられそうな、不思議な感覚がする。
何か特別なことが起こりそう、なんて考えたところで、そんな思考を打ち消すように首を振り、苦笑した。そんなメルヘンチックなことを考えている余裕はないはずなのに、どうして今日はこんなにも気持ちが浮ついているのだろう。蜜色に輝く月の所為か。それとも……
すると、視界の端で何かが蠢く。驚いてそちらを見やれば、波打ち際に横たわる人影。
「……!」
すかさず駆けて行けば、確かに上半身は人間だった。けれど腹の下あたりから体を覆っているのは、きらきらと輝く鱗。その先、人間でいうところの爪先に当たる部分には大きな尾ひれがついている。
明らかに人間ではないその生き物をよく見れば、腕から流血しておりそのショックの所為か意識が遠のいているようだった。
「……大丈夫ですか!? あの、大丈夫ですか!」
「……?」
身体を揺すれば辛うじて瞼が震える。といっても、その瞼が完全に開けられることはない。辛うじて開いた唇からも、零れるのは掠れた吐息だけ。
寝間着の裾を裂いて止血し、もう一度その身体を揺らす。