にゃんこなキミと、ワンコなおまえ6-1
義勇――正義と勇気。義勇の名にふさわしい言葉だと、杏寿郎は心底うれしげにマーカーを手にとったに違いないのだ。定規まで使って丁寧になぞられたのが丸わかりな青いライン。本当に、コイツラが息を吸うように繰り出してくる惚気には、胸焼けがする。まだ恋人にすらなっちゃいないくせに。
「……そんなに好きなら、なぜ離れようとする」
問う声音は知らず責めるものになった。沈黙が落ちる。
ツクツクボウシが秋の訪れを告げる声を聞きながら、伊黒と義勇は、しばらく無言で見つめ合った。
遠くで子供がはしゃぐ声がした。止まった時間が動き出したかのように感じられ、伊黒は、フッと苦く息を吐きだした。
「おい、行くぞ」
「……図書館は?」
踵を返し言った伊黒に、義勇の声は戸惑いがあらわだ。図書館はもうすぐそこなのに来た道を戻ろうとしているのだから、それも当然だろう。ましてや、今日のように偶然居合わせるのでもなければ、伊黒が義勇一人を誘ったことなど一度もない。
振り返り見れば、不安がる様子こそないものの、義勇はポカンと目を丸くしている。
「間抜け面を晒すな。図書館で話などすれば迷惑なことぐらい、貴様でもわかるだろう」
図書館は庭を臨んで本が読めるよう屋外にベンチもあるが、昼間は近所の老人たちが井戸端会議していたりする。聞かれてはまずい話題になるかもしれない以上、人目は避けたいところだ。
義勇も伊黒の真意を理解したのだろう。ほんの少し困り顔めいた苦笑を浮かべていた。
「話ができる場所、あるか?」
「俺の行きつけのペットショップなら融通がきく。聞き耳を立てるような客もいない」
もっと詳しく言うなら、そもそも客がいないのが通常運転だ。鏑丸の餌を買いに行くのにつきあったことのある義勇も、すぐに思い出したらしく、スンッと表情が消えている。
「あそこか……」
「なんだ、文句でもあるのか?」
「……いや、べつに」
義勇の反応もわからないでもない。なにしろ、犬猫やらハムスターといった、もふもふとした愛らしい生き物など皆無な店だ。体毛のある生き物もいることはいるが、ぶっちゃけ生き餌用のマウスである。おかげで同好の士しか寄り付かない。近所の小学生たちにとっては、薄暗い店内にうごめく爬虫類は恐怖の対象であるのか、度胸試しスポットにすらなっているという店なのだ。
小学生のころに初めてみんなを連れて行ったときの反応は、思い返しても笑えるというかなんというか。伊黒が二度とコイツラとはくるまいと誓ったほどである。
面白がりの宇髄が、まったく物怖じしないどころか、派手派手じゃねぇかとカラフルなカエルに釘付けになっていたのはべつにいい。完全に及び腰になっていた義勇とは、えらい違いだ。義勇もゲージに入った蛇やらトカゲを見るぶんには気にならなかったようだが、白いマウスが餌だと知るなりサァッと青ざめ、俺だってお肉食べるしとブツブツつぶやきながら涙目になっていた。
杏寿郎も最初のうちこそ、うぞうぞとひしめきあってうごめくコオロギやワームにちょっぴり頬を引きつらせていたけれども、義勇がギュッと腕にしがみついた途端にパァッと笑顔になっていたから、蛇やらカエルなんて目に入っていなかったかもしれない。「大丈夫だ義勇、俺がついてる!」と笑う顔は、いかにも上機嫌だった。
一番びくついていたのは意外なことに不死川で、これまた爬虫類などは平気なくせに、冷凍されたひよこの袋詰を直視できなかったらしく、ずっと視線が天井を向いていた。たぶん、不死川が即思い出せるあの店の光景は、天井と照明に違いない。
それはともあれ、爬虫類や両生類をこよなく愛する店長は、利益度外視、店の営業は完全に趣味という御仁だ。接客よりも売り物の蛇やらトカゲを愛でることに忙しいぐらいである。客がなにを話していようと、かわいい蛇やトカゲの悪口でもなければ、まったく興味を示さない。
鏑丸と出逢ったその日に父が調べて連れて行ってくれた店だから、伊黒を幼いころから知ってもいる。鏑丸がアルビノのアオダイショウだと教えてくれたのも店長だ。とある地方では神の使いとも言われており、その地に生息するものにかぎっては天然記念物にすらなっているのだと、店長はかなり興奮しつつ熱心に飼育方法を教えてくれたものだ。
もう成体な鏑丸の食事は、一週間に一度すればいい程度だけれども、それでも伊黒はかなりのお得意様らしい。伊黒が行くと店長は、ゆっくりしてきなと手製のお茶を振る舞ってくれさえする。内密な話をするには最適な場所と言えよう。
図書館からはそれなりに離れているけれども、まだ日も高い。話をしたあとでも閉館には間に合うだろう。なんだかドナドナされる子牛の如き風情で半歩後ろをついてくる義勇に、伊黒は、呆れをあらわに眉をひそめた。
「おい、辛気臭い顔をするな。貴様に餌やりしろと言っているわけじゃないだろう。それとも、よほど理由を言いたくないのか?」
「すまない。かわいそうだなんて言うのは、傲慢だとわかっているが……あのネズミたち、すごくかわいかったから。理由?」
「まとめて返事しようとするんじゃない。いや、それよりもなぜあの店に向かっているのか、忘れてるんじゃないだろうな。貴様が地方に進学するなど言い出した理由だっ」
ペットショップの引き戸を開けながら噛みつくように言った伊黒に、こともあろうか義勇はぱちくりとまばたき、そういえばそうだったと言いたげな顔をした。
呆れを通り越し、苛立ちをあらわに伊黒がこめかみに青筋を浮かべると、ブンブンと首を振り「言いたくないわけじゃない」と慌てたように言う。どうだか、と、鼻を鳴らした伊黒に、義勇はまたわずかに眉を下げ弱り顔で笑った。
「理由を言うのはべつにかまわない。だが……杏寿郎には、内緒にしておいてほしい」
「……内容次第だ。入るぞ」
やっぱり、結婚する姉についていきたいなんていうのは建前か。伊黒の眉間に刻まれたシワが、我知らず深くなった。
納得したふりはしてみせても、伊黒だって、当然一緒に聞いた不死川やメッセージアプリで伝えられた宇髄だって、本当はそんな言葉信じちゃいない。だって、義勇なのだ。杏寿郎から離れるなんて、天地がひっくり返ったってありえない。
杏寿郎が付和雷同と義勇との別離を飲んだのだって、同じことだ。珍事なんて言葉じゃ済まない。むしろ伊黒たちのほうが、そんな杏寿郎と義勇を許容し難かった。世界が終わると言われるほうが、よっぽど信じられる。
なのに、義勇は平然と地方に行くと言い、杏寿郎はそれを受け入れ笑っていた。
二人の言動の核になったものは、なんだ。決まっている。三年前の、あの事件だ。
自分一人で核心に迫るのは、少しだけ怖くもある。けれどもう、引き返すわけにもいかない。
薄暗い店内に足を踏み入れた伊黒の決意は固く、だが足はほんの少し震えていた。もしも、あの日の自分の行動が誤っていて、それが二人の別離に繋がったのだとしたら。後悔と煩悶は、伊黒の心の片隅に、剥がしそこねたシールの跡みたいにぺたりと張り付いている。
大丈夫。俺は強い。強くなった。なにを言われようと、今度は間違えない。臆病風に吹かれなどするものか。もう、二度と。
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ6-1 作家名:オバ/OBA