brother
「ところでアルフォンス君はどうしたの?」
一つ目の曲がり角を曲がり、男達の目が消えてから、ホークアイが傍らのエドワードに尋ねた。いつも一緒にいるはずの彼の弟を、司令部内で見かけないのは珍しい。特にこんなに大量の資料が必要ならば、彼がいたほうがいいはずなのに。
「アルはさっき大佐んとこ行ってくるって言って出てったっきり帰ってこねーんだよ」
そう言って、エドワードは眉間を寄せてふくれっつらになった。
「あら、じゃあアルフォンス君も迎えに行かなきゃないのね」
「大佐のとこなんて行きたくないけどね」
顔でも合わせればすぐに嫌味の一つでも言われるに決まっていると、ますます頬を膨らませるエドワードだ。
そんなエドワードの姿に、ホークアイも苦笑した。
やがて2人は目的地、東方司令部司令官室にたどりつく。
エドワードは大きく肩を落として扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。
「アル、お前もよくまあ、あんな兄貴についてけるよな」
それはハボック少尉の声だった。
続いて。
「同感だ。私だったら頼まれてもゴメンだな。あんな豆についていくのは」
はっはっはと、いかにもさわやかな笑い声を立てるのが、ロイ=マスタング大佐の声。
ピシっと、エドワードの頭の上で何かにひびが入る音がしたような。
「あのやろぉ〜〜〜っ」
ドアノブを握るエドワードの手が震える。額には青筋。
さて、どうやって中に入って、どうやって奴らの軽口を後悔させるか。エドワードの頭の中ではめまぐるしく報復の案が飛び交う。そのせいで力が入りすぎるのか、ドアノブがぎしぎしと嫌な音を立て始めた。
「大佐、それ兄さんが聞いたら怒りますよ」
ちょうど兄の現在の心境を察知したかのように、そこでアルフォンスの声が割って入った。
鎧の奥から響いてくる声だけに、扉の向こうにいると少々聞き取りにくい。そのためエドワードは愛する弟のフォローに耳をでっかくして扉に近づけながら、内心小躍りした。
えらい、アル!もっと言ってやれ!
心の中での弟への応援にも熱が篭る。
だが、彼の最愛の弟が続けた言葉は。
「そりゃ、兄さんは確かに豆って言われてもおかしくないくらい小さいとは思いますけど」
ピシっ。
ひびが更に刻まれた。
「それに、兄さんは面倒ごとすぐぼくに押し付けるし、何度注意してもおなか出して寝るし、小さいって言われるとそこまでしなくてもっていうくらい反応するし、意地っ張りだし、ぼくがいないと何もできないし、口は悪いし、性格も悪いし……」
他にもと、次々と軽快に出てくるアルフォンスのエドワードに対する感想が、ますますエドワードに亀裂を刻み込む。ああ、吊り上った目は一層凶悪に歪められて、顔も真っ赤で噴火寸前の火山そのものだ。
「ア〜〜ルゥ〜〜〜ッッ!!」
「エドワード君……」
隣でホークアイがどうにかフォローをいれようとするが、怒りに狂ったエドワードにその声は届かない。
また更に、ミシミシと扉が奇怪な音を立てた。
「でも」
ふと、ぽんぽんと悪口雑言を述べ立てていたアルフォンスの口調が、穏やかなものに変わった。
「そんな兄さんだからこそ、ぼくが支えてあげなくちゃって思うんですよ」
兄さんってなにか一つのことに夢中になると回り見えなくなっちゃうし、口悪いから敵作りやすいし、それなのにだーって全力疾走しちゃうようなときあるから。もしそれが崖の上の細い道で、足を踏み外しておっこちたらって思うと危なっかしくって。そんなときは、ぼくがやっぱりちゃんと支えて、引っ張り戻してあげなきゃなって思うんですよね。
少し照れたような声でアルフォンスは語る。
「いい弟さんね」
ホークアイが、傍らでうずくまる少年に率直な感想を伝えた。
エドワードは頭を腕で覆って、うめくような声を上げている。さっきとは違う意味で真っ赤になっているのを隠そうとしているが、まったくもって隠せていない。
それがまた愛らしさを誘って、ホークアイは苦笑した。
「ほんとに、いい弟さんですねぇ」
そのときだ。いきなり背後に現れた声に、エドワードはぎょっとして振り返った。
そこには腕に抱いた子犬と共に、うるうると目に涙を滲ませる青年の姿があった。
「フュリー曹長!!」
反射的にエドワードが立ち上がった。同時に扉にぶつかって、がたんと大きな音が上がった。
「何やってんだ、大将」
立ち上がった勢いが残る中、急に扉が引かれた。当然エドワードは勢いよく後ろにひっくり返り、部屋の中にしりもちをついた。
「兄さん!」
突然転がり込んできた兄の姿を見て、鎧が赤く染まったようにすら見えるほど、アルフォンスはうろたえた。
「まさか聞いてたの……?」
僅かに首を上下させる兄の反応を見ると、アルフォンスはやだなとか、恥ずかしいなとか、大きな図体をひたすら縮めて照れ隠し。
上からと部屋の奥からの、にやついたからかうような視線がエドワードに突き刺さる。
「ほんと、恥ずかしいやつ」
でも、ありがとうな。
アルフォンスを見ないまま、エドワードは小声で呟いた。
聞きつけた弟は兄の真っ赤になった耳を見て、にっこりと笑った。
周囲もほっと和まされる、麗しい兄弟愛。
でも、この恩恵に与らない人物が約1名いた。
「ところでさぁ、大佐ぁ」
くるりとゆっくり振り返るエドワードの顔。
それはついさっきまで真っ赤になってうずくまっていた名残などなく、むしろそれ以前の火山大噴火の形相が再び蘇っていた。
大佐の顔が、さわやかな笑顔のまま凍りついた。
「だれが豆粒よりもちっさいかー!!!」
パン! バチン! どがっしゃーーん!
「なぜ私だけが――――!!」
哀れロイ=マスタング。享年29歳。2階級特進で地位は少将。
絶叫が司令部中に響き渡り、アルフォンスだけがすまなそうに縮こまる中、
「自業自得ですね」
と、部下一同、うんうんと大きくホークアイの言葉に賛同した。