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#14

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この人はいつだって変わらない。
 新羅は父の横顔――ガスマスクに覆われたその奥のもの、を見つめて思う。自分と全く同じ分、彼も歳を取っただろうにどうしてこうも変化がないのだろう。おそらくそのマスクの下にはいくぶんか老いたそれが隠されているのだろうけれど、確認する機会はしばらく巡ってはこないだろうなあ。
 代わりに新羅は記憶に残るかぎりの父の顔を思い出す。笑っていたか、怒っていたか。無表情で思案にふけるそれを扉のすきまから覗き見ていたのか。これではいつか、この記憶をとどめておくことさえ難しくなるかもしれない。健在する親の顔を忘れるなんて、子としてどうしたものかと我ながら首をすくめてしまうけれど、それくらいどうしたっていうんだ、と胸をはってそれらに立ち向かう勇者のような気持ちも、彼の中に誰かを愛する気持ちと並んで存在している。
 少なくとも、あと数分もしないうちにここを立ち去ってしまうであろう父に、親不孝者、なんて言われたくはない。それは、新羅が彼を止めなければ成立してしまう未来でもあるのだけれど。
「僕が父さんを取り押さえるって可能性は考えないの?」
 あまりにも無防備な、ぼんやりとエレベータを待つ父へと新羅はたまらず話しかける。まだいたのか、とでもいうように息子を見やる、その視線はけして見えないものだけれど、新羅にはそれが手に取るようにわかる。あ、今こういう表情をしているな、だとか。その表情自体が存在しない彼女をずうっと愛してきたのだから、存在するものを想像する方がいくぶんも易しいのだ。
「何だ、新羅。その気があるのか?」
 くぐもった声が言う。わかっているのに聞くなんて、ずるいなあ、と新羅は思う。
「まさか」
 7、8、9階。順々に数字が点灯しては消え、最後に軽やかな音を鳴らし四角い箱が森厳の前へぴたりと止まる。そうか、と相づちを打った彼は、ほほえむこともせずにそれへ乗り込んでゆく。
 しばらく会えなくなるというのに、と新羅は寂しさの類いを通り過ぎむしろ呆れてしまう。父のこういうところも昔から変わらない。いってらっしゃい、の一言だって、言う機会を与えてはくれないのだ。他の、両手にありあまるような経験は本人の意志に関係なく投げつけてきたというのに。
 それでも、自分が現在の職業を選んだことが答えであるように新羅は思う。多少のスパイスはあるにせよ、父が変わらずに父であることを、彼はきっと心の何処かで望んでいるのだろう、おそらく。
「父さん、」
 そういえば、まだ伝えていなかった言葉がある。振り返る森厳は、扉を閉めようとボタンに触れようとしていた手をぴたりと止める。遅くなったけど、と新羅は言う。
「おかえりなさい、」
「…ああ、ただいま。新羅」
 そして、扉が何の余韻も残さずにふたりの間を埋める。新羅はその扉をしばらく眺め続けていたけれど、ふいに視線を外へずらす。彼女がさきほど飛び出していった、その空は、ゆったりと薄い紺をまとい左右へゆれている。
 玄関前の明かりがいつのまにか影をつくっていることに気付く。
 ごめん、。新羅は影に向かい言葉を落とすけれど、かの街を走る彼女にはもちろん届かずそれは消えてゆく。




親子/森厳と新羅
(秤にかけることを拒む新羅)

作品名:#14 作家名:よここ