彼方から 第四部 第十話
彼方から 第四部 第十話
激しい戦闘の『気』が大地から……
膨大なエネルギーの波動が大気から、伝わってくる。
降り注ぐ木漏れ日の中、未だ、自分の腕一つ持ち上げることすら出来ぬことに、エイジュは唇を噛み締めていた。
自分の身体に何が起こっているのか……おおよその見当はつく。
……一ヶ月ほど前――
エンナマルナへと向かう『彼ら』の護衛を務めた。
あの戦いの中で使い過ぎた、『癒しの雫』の能力。
体内に吸い込んだ『毒』を、彼らを守り『背に受けた傷』を癒す為に、連続で使用せざるを得なかった……
……限界近くまで、『能力』を高めて。
それに――――
チチッ……
「……カ、ル――」
短い鳴き声と共に、頬に身を摺り寄せる黒チモの『名』を口にする。
――この子の力を同時に使ったのも……
――きっと、いけなかったのね
『能力』の制御範囲を、越えてしまった。
『無情』に、引き込まれてしまいそうだった……
…………あの時、『彼』が来てくれてなければ、カイダールを殺し『あの頃』の自分に戻ってしまっていたかもしれない。
『情』を持たなかった頃の自分に……
…………皆の面影が、脳裏に浮かぶ。
この数年の間に多くの人と繋がり、自分も随分と変わったと感じる。
あの頃は、『人の死』など気にも留めなかった。
眼前で誰かの命が失われようとも、自分の手でその命を奪おうとも……同等に気に留める必要のないことだった。
【天上鬼】を見守り続ける内に『何か』が――胸の内に溜まってゆくのを自覚してからだろうか……
『情』というものが、自分の中にもあるのだと分かったのは……
……鬱屈とした想いを、少なからず抱くようになったのは――
傀儡であるとはいえ……あまりにも『都合良く』使われていると、そう思える。
ある程度の『自由』があるだけに余計に、『制限』があることに理不尽さを覚えてしまう。
…………そう――――
人間らしい『思考』や『感情』などの一切を…………与えられなければ良かったのにとさえ、思えるほどに……
どうせ、『傀儡』なのだから――――と……
『あちら側』が、何を意図しているのか解することが出来ず、苛立ちが募る。
それに今、あの『二人』に起こっている出来事に介入することが叶わぬこの身も、恨めしくてならない。
――…………いえ……
溜め息と共に、思い直す。
――仮にこの状態でなかったとしても
――彼らを手助けすることは、許されなかったでしょうね……
恐らく『今』が『イザーク』にとって、とても重要でとても大切な『場』で、あるはずだから……
自分が『彼らの未来』の『鍵』となることは、あってはならないのだから――
――あたしにはあたしの役割が……
――……初めから決められている役割が、ある
未だに明かされぬその『役割』を果たす為に、『彼ら』を必要な時に必要なだけ、『命』を受け、助けているだけ…………
……『彼ら』を助けることが、どうして『本当の役割』へと繋がるのかも、分からぬままに――
禍々しい気配が、移動してゆく。
――イルクたちは……
――もう、向かってくれているのね
森からイルクの気配も、『森の住人たち』の気配も無くなっている。
自由に身体を動かせるようになるには、まだもう少し、時間が掛かる。
エイジュは、この世界の全ての気を探るかのように遠くを見やり、やがてゆっくりと、瞼を閉じていた。
**********
「――二匹のチモは残してある」
網に捕らわれ、強い精神に抑え込まれ、優しさの欠片もない扱われ方をされ……二匹のチモが眼前に、投げ置かれた。
ラチェフの、何の感情もない冷たい声音と、チモの甲高く、短い鳴き声を耳にし――――
遺跡の床に力なく座り込み、ドロスは零れる涙もそのままにただ茫然と、残された小さき生き物を見やっていた。
「今回のことで、他のすべてのチモを失った。おまえにまた、増やしてもらわねばならん」
勝手で――それでいて、『至極当然』かのようなラチェフの言葉。
「なにしろ、それの飼育にかけては天才的なおまえだ。一時、ここを出て行った間等、なかなか増えずに困っていた」
ラチェフの精神に因って抑え込まれ、網から逃れることも出来ず小さな鳴き声を漏らしながら……二匹のチモが懸命に這い寄ってくる。
雇い主である彼の言葉が、まるで雑音でも聞いているかのように、耳には入ってくるが頭の中で『意味』を成さない。
……以前の自分なら、今のラチェフの言葉を喜んだかもしれない。
だが今は分かる。
『そこだけは認めてやっている』と見下した、嘲りの籠められた押しつけがましい『誉め言葉』なのだと……
慕うように……助けを求めるように、膝に掛かるチモの小さな『手』。
両の手で優しく掬い上げ、ドロスは涙の絶えぬ瞳で、残されたチモを見詰めていた。
***
「わたしに退けと言ったの? ゴーリヤ!」
自然界の奏でる音が、『何も』聞こえぬ遺跡の中……
「――どういうつもりっ!?」
苛立ちの籠った声音が一際、良く響く。
「わたしだから、彼らの居場所をこうも『正確に』、把握して誘導できたのよ!? あのイザークとノリコの『気』に! 直接出会った『わたし』だからこそ!!」
美しき女占者、タザシーナの高慢でヒステリックな物言いを耳に留め、ラチェフは眉一つ動かすことなく、静かに彼女を見やっていた。
「いかにも、ご苦労だった。おかげで彼らの『気』を、わたしもつかむことが出来た」
幾十匹ものチモの命と引き換えに開かれた、異空間への入り口を前に向かい合い立つ、二人の占者。
己よりも背の高いタザシーナを見上げ、老占者ゴーリヤは、彼女の功績を『一応』認める言葉を口にはしたが……
「もはやノリコを見つけるぐらいは、わたし一人でできる。おまえは雑念が多くて、一緒ではかえってやり難い」
続けて発せられた言葉は、彼女に対し『占者として未熟だ』と…………
そう指摘しているようにしか聞こえない台詞だった。
「なっ……!!」
『占者』として見下された言葉に、思わず眉根を寄せる。
美しきその面を歪め、タザシーナは苛立ちも露に、老占者を睨み、見据えていた。
「……さがれ。タザシーナ」
――……っ!!
ラチェフの命に、言葉を失う。
それは明らかに、『ゴーリヤ』の方に重きを置いている言葉……
……彼に、ラチェフにどれだけ尽くし、仕え、功績を上げようとも――
優先されるのは自分ではない…………
その『事』が、嫌というほど分かる、言葉――――
だが、それでも……
あからさまな処遇の差に、苦虫を噛み潰すような想いを抱えながらも――
タザシーナは唇を噛み締め、ラチェフの言葉に従うしかなかった。
***
青白い光を放つ苔が生す石の床を踏み締め……
こちらに一瞥もくれることなく、煌めくような金髪を靡かせ、彼女が直ぐ横を通り過ぎてゆく。
作品名:彼方から 第四部 第十話 作家名:自分らしく