彼方から 第四部 第十話
苔生し、木の根や蔦の蔓延る柱や壁に、低く落ち着いた声音が吸い込まれるように響く。
現実とは思えぬような、怪しく異様な雰囲気に満ちた場。
その場で再び捕らえられ……ノリコは青褪めたその面を、空恐ろしい言葉を放つ『ラチェフ』に、向けていた。
「だがそれでは、我々が彼を支配することは出来ない」
彼に仕えているのであろう男たちに、荒々しく掴まれた腕が少し、痛い。
半ば引き摺られるように『黒い渦』へと連れて行かれながら、理解する。
彼らがどんな目的を以って、襲撃して来たのかを……
そして彼らが――得体の知れない何らかの『力』を持っているのだということを……
でなければ……
任意の場へ瞬時に移動することの出来る『歪み』など、作り出すことも使うことも出来るはずがないのだから。
「……君は、その『為』の切り札だ」
全身から……
血の気が引く思いがする。
何よりも考えたくない自分の『価値』を――
この男性は、ラチェフという人は知っているのだと、思い知らされる。
――これは……
――あの向こうに見えるのは……
『黒い渦』の向こう……
まるで透けているかのように『向こう側』の景色が見える。
見たことのない部屋と、見知らぬ人たち。
そして……
確かに見覚えのある二人。
――……あぁ……
二人の姿に、得心する。
彼らが、『何処かの国』や『他の誰か』の依頼を受けた訳ではないことを……
あの日……
自分が【目覚め】だと、イザークが【天上鬼】だと知ったあの日。
あの日の因果が、『今』なのだと――――
***
「殺す必要はない。ただ消えてもらう」
冷酷な言葉を、穏やかな口調で繰りながら……
ラチェフが『黒い渦』へと歩みを進める。
その歩調に合わせるかのように、ノリコを捕らえている男たちも『黒い渦』へと進んでゆく。
「彼の――」
『黒い渦』が在る壁へと、自らの手を添えるラチェフ。
青褪め、表情の硬い彼女を一瞥し、そのまま男たちへ目配せをする。
「あ……」
「――目の前から……」
溶け込むように、渦の中へと連れて行かれるノリコ。
完全に、彼らが渦の向こうへと姿を消したのを見計らい、ラチェフは壁を撫でるように、添えた手で『黒い渦』を払っていた。
初めから、『何も』無かったかのように――『黒い渦』は跡形もなく消えてゆく。
『能力者』ではないはずの、ラチェフの手に因って…………
もう一つの異空間への入り口、『歪み』から、『気配』がする。
そう、それは『何か』が、『歪み』を通る気配。
勢いよく飛び出し、現れ出でた人物を見やる。
少し、青みを帯びた肌……ブルーグレイの髪を靡かせ、瞳の色を水色へと変容させた【天上鬼】――
…………『イザーク』の姿を。
即座に、迎え撃つかのように対峙し、
「……来たね――」
姿を変容させた彼の者に、満足げに薄笑みを浮かべるラチェフ。
その言葉に、その表情に、焦りも動揺も有りはしない。
ただ、待っていた。
情報を集め、準備を整え、『力』を蓄え――
待っていたのだ。
今、この『時』を。
望みを叶える為に必要な『力』を手に入れる……
この『時』を――――
彼方から 第四部 第十話 終
第四部 第十一話に続く
作品名:彼方から 第四部 第十話 作家名:自分らしく