秘密兵器
ある昼下がり。
春のうららかな日差しに誘われて、ガウェインがなんの気なしに騎空艇の甲板に出ると、帆柱に背を預けて座り込む先客がいた。
「…こんなところにいたのか、ネツァワルピリ。団長が探していたぞ。」
普段の鷲を象った物々しい戦装束ではなく、簡素な平服姿の男に声をかけるが、俯いたまま反応はない。
「……?」
まさか寝ているのかとガウェインが相手の正面に回り込んで軽く身を屈めると、案の定目を閉じて穏やかな寝息を立てていて。
開きっぱなしの本を持ったままの右手が胡座をかいた膝の上に落ちているのを見るに、読書の最中に睡魔に抗えず眠ってしまったといったところか。
「……」
穏やかな陽光に包まれて幸せそうにすやすや眠っているところを起こすのも忍びない。
グランが彼を探していたのは事実だが、それほど慌てていた様子でもなかったことから急ぎの用事ではないのだろう。
ネツァワルピリの鳶色の髪は春の陽気を蓄えており、まるで暖をとっている雛鳥の羽毛のように柔らかそうで、なんだか無性に触りたくなってしまう。
この男との触れ合いは、甘ったるい時間の中であってもほとんどない。まあこちらがこんな不便な身体をしているのが原因なのだが。
手甲を嵌めているということもあって、感触も体温も感じることはできないが、それでもすごく、ぬくぬくと陽だまりを内包したこの髪に触れたくて堪らない。
「……」
ちらりと周囲に人がいないことを確認し、ガウェインは膝を折ってネツァワルピリの側頭部に唇を寄せた。
相手に直接触れることができるのは、鎧に包まれていない顔から下のみ。
もどかしさと羞恥と後ろめたさを感じつつも、唇が拾い上げた髪の予想以上の温もりに驚くとともに感動してしまう。
次いで鼻先を僅かに潜らせ、深呼吸をひとつ。太陽に匂いがあるかは知らないが、きっとこの匂いがそうなのだろう。
相手の様子を窺うが、下手に身体に触れないよう気をつけているおかげか未だ眠っている。
今度は、長い髪を一房そっと手に掬い上げてみた。
一見して癖っ毛であるネツァワルピリの髪質だが、近くで改めて見るとしなやかでさらさらしている。それでいて風を受けると軽く翻るその質感に好奇心が勝り、手のひらに乗る彼の髪に再び唇を滑らせた。
途端、強烈な視線を感じてガウェインは石像のように全身を強張らせ、きっかり3秒後にばっと顔を上げる。
ネツァワルピリが、唇を固く引き結んで眉根を寄せ、朱を刷いた顔を気まずそうに顰めてこちらを凝視していた。
「ッ、違っ…!これはっ!」
弾かれたようにガウェインは後方に飛びすさり、必死に弁明を試みるが上手い口上が見つからない。
「き、ききき貴様っ、起きていたなら声をかけろ馬鹿が!!」
その場凌ぎに罵声を浴びせてみるが、それに堪えた様子もなくネツァワルピリは居心地悪そうにぽりぽりと指先で頬を掻いて苦笑する。
「…すまぬな。あまりにお主が綺麗だったもので、つい魅入ってしまった」
「……綺麗だと…?俺が…?」
この男は、上っ面の世辞など口にしない。
それがわかっているからこそ、ガウェインの体温は上昇して狼狽えるように半歩下がってしまう。
「うむ。加えて、髪への口付けは思慕の意があるという。普段あまり言葉を募らせることのないガウェイン殿の想い、有り難く頂こう」
「か、勝手な解釈をするな!俺は別にっ……手で触れることができないから……いやっ、だから触りたかったとかではなくて…!」
「我の思い上がりでも構わぬ。真実はどうあれ、そうであったら良いと、思わずにはおれぬのだ」
知るか本当に思い上がりも甚だしいわと喉まで出かけたが、相手がひどく愛おしそうに相好を崩す為、勢いに任せて否定してしまうことが幼稚に思えて言葉を飲み込んだ。
…なんだか、奴は大人で自分は子どもだと突きつけられた気がして面白くない。まあ確かに5つばかり年長ではあるが、どうにか同じ土俵に立ちたくて。
「……」
そういえば、奴は嘘を吐かない。
いつだって己の気持ちを言葉に乗せ、相対する者に不安を与えることはない。
俺も少し素直さを見せれば、或いはその余裕に近づくことも叶うだろうか。
「……」
「さて、すっかり居眠りしてしまったが、そろそろ我は引き上げ…」
沈黙するこちらに優しく笑い、立ちあがろうとするネツァワルピリの肩を掴んでぐっと押し留めた。
意表を突かれたように見開かれる赤褐色の双眸を見返すことができなくて、仮面越しの視線を下に逃しながらガウェインは精一杯の本音を胸の内から引っ張り出す。
「……貴様の髪が、暖かそうだったから、触れてみたくなっただけだ。…大きな声を出して悪かったな」
「ガウェイン殿…」