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その先。

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「……ま、死に損なっちまったら…そうですね。坊さんにでもなりましょうかね」


取り繕うように軽い調子でそう付け足すこちらに、恨めしげな視線を投げてくる宗矩。


「…絶対死なせてやらないから、今から読経の練習でもしたらどうだい?」

「やれやれ…。今日は随分突っかかりますね。」


苦笑しつつ酒を脇に追いやり、宗矩の手の杯も取り上げて互いの膝が触れ合うほどに距離を詰める。
左近は顔を寄せ、相手の耳朶を甘く叩いた。


「…悪い子は、寝かしつけてあげましょうか?」

「……。是非にも願いたい」

「くく…。承知」


真剣に頷き返してくるものだから思わず笑ってしまう。
左近は胡座をかいて宗矩の首に腕を引っ掛けると、自分のほうへと引き倒した。
後頭部で括った彼の長い黒髪がふわりと弧を描いたかと思うと、直後には頭をこちらの膝に強かに打ち付けて「痛っ!」と下から濁声があがる。


「はい、おやすみなさい」

「…思ってたのと違うんだけど」

「あれ、そうでした?」

「こんなゴツい枕、拙者無理。まず愛がない。せめて太股でしょ。石のほうがマシ。打ちどころが悪かったら死んじゃうよ?」


ひっくり返った大男の矢継ぎ早な文句に、左近はおかしそうに笑って上体を沈めた。

今度は深く、口付ける。
すぐに相手の舌が伸びてきて、口腔内を荒々しくなぞり上げられた。
舌を吸われ、口淫のようにくちゅくちゅと扱かれる。
上顎を舌先で擽られると、ぞくぞくと危険な劣情が腹に溜まっていく。


「……ふ、」

「はっ…」


どちらのものともつかない甘い吐息。
与え、奪い、貪り合う。

余計なことは口にしないぶん想いを分け合ってきた自分たちだったが、酔いが回っているせいか今日の宗矩は言葉が多い。
彼は賢い男だ。だからこそ、破滅の運命を歩もうとするこちらを引き留めることが不可能であることも、理解できてしまうのだろう。
損得で動くことができれば、どれほどわかりやすいか。我ながら難儀な生き方をしていると思う。

まるで自分と繋ぎ止めようとしているかのように、宗矩の腕が下から伸びてきてこちらの髪を優しく梳いてきた。
不安を感じて欲しくなくて、その腕にするりと指を辿らせる。

正直、彼の気持ちに応えたいと心は叫んでいる。
一度として言葉にしたことはないが、特別な存在であることには違いないのだ。
愛情や恋情とは異なる。かといって友情などでもなくて。
誰かに殺されてやるつもりなど毛頭ないが、この人になら首をやってもいいかな、と思う唯一の人物。

まあ、頼んだところでこの御仁は己に不殺を課している。どんな状況であろうと刀を抜いてはくれないだろう。……死に際なら、あるいは介錯くらいしてくれるだろうか。

ぼんやりと思考を巡らせていた左近だったが、じとっとした垂れ目がちな視線を感じて我に返った。


「……今、つまらないこと考えてたでしょ」

「ええまあ。お経ってどんなだったかな、と」

「うわ、もう少しまともな嘘にしてよ」

「じゃあ、昨日の夕飯なんだったかな、で」

「急に浅くないっ?」


律儀に反応してくれる大剣豪に相好を崩す。
この他愛のない時間が、あとどれほど赦されているのか。

宗矩の言うとおり、徳川についてしまえばこの先の人生を選択する余地が出るほど、穏やかなものになるかもしれない。
ともすれば気の置けないこの男と何気ない会話を交わして、笑い合う日常を得られるのだろう。

しかし、既に進むべき道は選んだ。
たとえそれが修羅の道であろうとも、その志を支えて行く末を見届けたい。

そう思えばこそ、仏頂面でこちらを見上げてくる男が愛しく思えて。


「好きですよ。柳生さん」


言うだけ言ってみた。
おそらく間違ってはいない。が、口にしたことのないそのひと言は酷く違和感を伴って響く。

対する宗矩は、まるで信じていない様子で口元に笑みを浮かべた。


「拙者もだよ。」


それだけ言って一度目を閉じると、諦観のため息を落としてごろりと寝返りをうち起き上がる。


「さてと…。島殿の膝は寝心地最悪だし、そろそろ戻ろうかな」

「それは残念。枕は好みがそれぞれですからね」

「ちなみに愛さえあれば、どんなに硬質でも極上の枕になると思うんだけど」

「へえそうですか。ここにそういったものはないんで、諦めましょ」


その応酬は普段の調子に戻っており、夜が明けたら天下統一の総仕上げたる戦がはじまるとは思えないほど緊張感に欠けたものだ。


「それじゃ」


短くそれだけ言って片手を挙げ、宗矩は陣幕から出ていった。

ほぼ確定した明日の勝利の先に、どのような未来が待っているかなど誰にもわからない。
ある程度の予測はたつものの、それを左右するのは人なのだ。不確定要素の塊である。


「…とはいえ、まずは天下統一を成さないとね」


どれだけ先を見越したって、今が崩れ落ちれば何も残されず。
どれだけ緻密に策を巡らせたって、たった一人気まぐれを起こせばたちまち覆る。

己が主と道を共にすると誓ったところで、本当にそれが叶うかもわからないのだ。


「……」


手のひらを見つめ、ぐっと握り込んでみる。
この手に収まる未来なんて、ほんのひと握りだ。

数え切れないほどの思惑に四方八方から引っ張られながら、運命は静かに、着実に進んでいく。

天下統一。その先へ。


fin.
作品名:その先。 作家名:緋鴉