扉
夏の風物詩といえば、人は何を思い浮かべるだろう。
花火、氷菓子、浴衣、西瓜、風鈴…
それぞれ思い入れやそのときの心持ちによって、脳裏に浮かぶものは異なるかもしれない。
そして、順逆の差はあれど多くの者が挙げるであろうもののひとつが、祭りではなかろうか。
猗窩座は、並び建つ露天から少し離れた木に腕を組んで寄りかかり、通りを行き交う人々を無感動に眺めていた。
…否。
無感動というのは、傍目に見て、という意であって正確には視覚情報を処理できる余裕がないほど本人の胸中が荒れに荒れているが為に、表情にのせる感情が消え失せているだけなのだが。
どこからともなく響いてくる笛と太鼓によるお囃子を聴覚の表層で聞き流しながら、頭の中ではぐるぐると数日前の煉獄とのやり取りを反芻させていた。
『君、祭りに興味はないか?』
『祭り?』
『そうだ。今度俺の担当する地区で祭りがある。ちょうど非番になったから、良かったら共にどうかと思ってな』
『行く』
正直、祭りになぞ興味はない。
弱者が何を祈願してどんちゃん騒ぎをしようがどうでも良い。
しかしあの杏寿郎に誘われたのだ。
それも非番だと言っていた。つまり任務のついでではなく、私的に約束を取り付けて同じ時を共有しようと提案してくれたのだ。
断る道理がないだろう。
おかげでここ数日は浮き足立ってしまい、人に擬態するにしても祭りとなればそれなりの身なりでなければとあれこれ考え、甚平まで買ってしまった。
少しばかり抵抗はあったが、杏寿郎と並んで祭りを巡ることができるのであればこのくらい余興と割り切ってやる。
ここはやはり、俺が主導権を握って男らしく先導するべきだろう。綿密に計画を立て、杏寿郎に飽きる隙をつくらせないことが肝要だ。
「……」
…いや、だが待て。
祭りって、何が楽しいんだ?
杏寿郎には今夜は楽しかった、また行きたいと思ってほしい。
が、そもそも祭りには何が目的で人が集まっている?
祭りの楽しさを理解できていない己にはひどく難問に感じられ、
猗窩座は通りを埋め尽くしている人々の様子を改めて観察してみた。
誰も彼も笑顔。そして手には総じて食べ物を持っているだろうか。中にはただ歩いているだけの者もいる。
……やはり目当ては屋台の飯か。
そうとも限らないだろうが、杏寿郎なら食いもので十分喜んでくれるはず。
ふむ。となるとまずは飯だな。そのあとは…
「すまない!待たせた!」
まだ計画が立っていないところに、聞き慣れた声が飛んできた。
反射的にぱっと顔をあげて首を巡らせたところで、猗窩座はびしりと固まった。
「すごい人混みだな。少しばかり侮っていた」
「……お前、隊服じゃ…ないのか…」
「ん…あ、ああ。」
呆然とした猗窩座の問いに、煉獄は照れくさそうにはにかんで身につけた着流しの袖を開いてみせた。
「せっかく君とまわる祭りなんだ。少し趣を変えようと思ったんだが…変だろうか」
茶褐色の柄のない生地は、飾り気がないだけに着る者を選びそうなものだったが、煉獄の髪色を抑えるように落ち着きがあって均整がとれている。
髪をひとつに結い上げ、涼やかな首元と裾から覗く素足がなんとも目に毒で。
そこから視線を引っ剥がすように、猗窩座はぶんぶんと思いきり頭を振った。
「へっ、変なものか!似合うぞっ!」
「ありがとう。君も格好良いな。よく似合っている」
「っ……」
軽く首を傾けてにこりと笑顔を向けてくる煉獄。
夜だというのに直視できないほどの、目も眩むような眩しい笑顔。
猗窩座は咄嗟に、自身の心臓部に五指をぐっと突き立てた。
「ど、どうした!」
「いや…気にするな…」
息も絶え絶えに言いながら、血が滲んでいることに気づいて指を皮膚から引き抜き、代わりに胸元の生地を握り締める。
苦しい…。
杏寿郎が今日も可愛い。
俺がもし鬼ではなく悪霊の類だったら、先の一瞬でこの世から祓われていただろう。
この息苦しさを紛らわす際、出血しても周囲にそれとわからないように黒色の甚平を選んだ己はかなり偉いと思う。
「そんなことより杏寿郎、腹は減っていないか?何か食おう」
「それは良い!…しかし君、本当に大丈夫か?」
「問題ない。萌えを拗らせているだけだ」
「それは…大変だな」
萌えという概念は煉獄から教わったというのに、わかっているのかいないのか、神妙な面持ちで頷くと煉獄はこちらに片手を差し出してきた。
その行動が意味することを理解し、猗窩座の全身に衝撃が走る。
手を……手を、繋げと…?
「きょ、杏寿郎…?」
「これだけ人が多いとはぐれてしまうやもしれん。手を繋いでいれば間違いないだろう」
「そ……そうだな。間違いはないが間違いではないか?いや、間違ってはいないのか?間違わないように手を繋ぐのならこれは間違っていないのか?」
「君は何を言っている…?」
「俺は本当に何を言っている?」
心配そうに訊ねてくる煉獄に真顔で返す猗窩座。
煉獄は小さく笑って猗窩座の手をとり、露天が建ち並ぶ大通りへと足を向けた。