芽吹き
「おい、なんだこれは」
ネツァワルピリの部屋を訪れたガウェインは、窓際に置かれた植木鉢に視線を向けて部屋主に訊ねた。
ベッドに腰掛けていたネツァワルピリもそれを見遣り、満足そうに目を細めて笑う。
「うむ。やはり緑があると空気が綺麗になる気がしてな。昨日降りた島で購入したのだ」
「…ほう」
片手で持てる程度の大きさの鉢には、細いながらに丈夫そうな幹を持った木が一本、植えられていた。
葉が五枚に分かれ、買ったばかりということもあってか色もいい。
「モミジという。花はつかないとのことだが、涼しくなる頃には葉の色が紅く色づくのだそうだ」
「屋内でいいのか?」
「店主は日当たりが良ければ問題はないと言っていたが、うまく育ってほしいでな、一日一度は外に出してやろうと思っている」
「ふん…。精々頑張るんだな、植物はデリケートだぞ」
今から楽しみだと、言葉にせずとも全身から伝わってくるような慈愛の眼差しをモミジに注ぐネツァワルピリに、ガウェインは苦笑した。
+++
数日後。
依頼のために艇が島に降り立つと、ネツァワルピリがやや大きめの荷物を背負ってグランに声をかけていた。
「それでは、行ってくる」
「本当に島まで送っていかなくていいの?」
…島に送る?
たまたま通りがかったところで盗み聞きなどするつもりはなかったが、ガウェインは咄嗟に柱の影に隠れて気配を消してしまった。
そうしてから、しまった普通に通り過ぎればよかったと後悔するが、もう遅い。自然と、やりとりも耳に入ってきてしまう。
「我の島までは些か距離があろう。迷惑をかけるわけにもいかぬ」
「別にいいのに…」
「はっはっは。これも我の我儘だと思ってくれ」
「うーん…。帰るときには手紙出してよ。近くまで迎えに行くから」
「それは助かる。二、三日で済むであろう」
「わかった。気をつけてね」
いってらっしゃーい、とグランが見送りの言葉を投げ、足音が遠ざかっていく。
少しして、グランがその場から去ろうとした頃を見計らって、ガウェインは柱から顔を出した。
「団長」
「あっ、ガウェイン。ネツァならもう行っちゃったよ」
こちらを振り返り、別段驚くでもなくそう言って随分と小さくなった鷲王の背中を指さす少年に、訊ねる。
「あいつが国に帰るなど余程のことだろう。何かあったのか?」
「え、聞いてないの?」
きょとんとして訊き返してくるグランだが、自分たちは互いに己のことをあまり語らない。
奴が翼の一族の王であるというだけで、故郷の話など聞いたこともなかった。
首肯を返すとグランが口を開く。
「後継ぎの話をするために、一族の長老たちから呼ばれたんだって」
「…後継ぎ……?」
「結構前から何回も手紙が届いてて……杞憂も尤もだから行ってくるって言ってたけど」
王様って大変なんだね、と難しい顔をするグランの声が、片耳の表層を滑っていく。
後継ぎ…
つまり、嫁を娶り、子をつくる。
鈍器で頭を殴られたような衝撃に、ガウェインは立ち尽くす。
グランがまだ何か言っているが、聞こえない。
…いや、王である以上、後継ぎ問題は向き合うべき重大な急務だろう。
二、三日で済むと言っていたか。
きっと小柄で愛らしい娘と籍を入れ、初夜を過ごして戻ってくるつもりなのだ。
「……」
…思えば、知らないことばかりだ。
家族はいるのか?食べ物の好みは?幼少の頃はどんな子どもだった?
俺と奴は、身体だけの関係。
余計な詮索はしないのが暗黙の了解になっていて。
…いや、違う。訊けば答えは返ってくるのだろう。
それでもあえて知ろうとしなかったのは、どこかで繋ぎ止めておけると思っていたから。どこにも行かないはずだと、思い込んでいたから。
そんな保証も根拠も、存在しないのに。
「…ガウェイン?聞いてる?」
「っ、」
腕を揺すられ、はっと顔を上げた。
どことなく気遣わしげな表情に、年長者として情けなくなってくる。
「すまん、聞いていた。ありがとう」
短く言い置いて、踵を返す。
「えっ、いや聞いてなかったでしょ!ネツァはお見合いも…」
「団長、」
慌てて言い募るグランの言葉を遮る自分の声が、酷く抑揚のないものに聞こえる。
たぶんそれは気のせいではなくて、拒絶の色が濃い声音であることが自覚できた。
「祝う日取りがわかったら、俺も準備を手伝おう」
「だから…っ」
「そのときは早めに教えてくれ」
一方的に言って、艇内に戻った。
逃げるような歩き方になっていなかっただろうか。
早口になっていなかっただろうか。
胸が痛い。息苦しい。
ああ……俺はいつから、こんなに奴のことを好きになっていた?
「…畜生」
吐き捨てた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
ネツァワルピリの部屋を訪れたガウェインは、窓際に置かれた植木鉢に視線を向けて部屋主に訊ねた。
ベッドに腰掛けていたネツァワルピリもそれを見遣り、満足そうに目を細めて笑う。
「うむ。やはり緑があると空気が綺麗になる気がしてな。昨日降りた島で購入したのだ」
「…ほう」
片手で持てる程度の大きさの鉢には、細いながらに丈夫そうな幹を持った木が一本、植えられていた。
葉が五枚に分かれ、買ったばかりということもあってか色もいい。
「モミジという。花はつかないとのことだが、涼しくなる頃には葉の色が紅く色づくのだそうだ」
「屋内でいいのか?」
「店主は日当たりが良ければ問題はないと言っていたが、うまく育ってほしいでな、一日一度は外に出してやろうと思っている」
「ふん…。精々頑張るんだな、植物はデリケートだぞ」
今から楽しみだと、言葉にせずとも全身から伝わってくるような慈愛の眼差しをモミジに注ぐネツァワルピリに、ガウェインは苦笑した。
+++
数日後。
依頼のために艇が島に降り立つと、ネツァワルピリがやや大きめの荷物を背負ってグランに声をかけていた。
「それでは、行ってくる」
「本当に島まで送っていかなくていいの?」
…島に送る?
たまたま通りがかったところで盗み聞きなどするつもりはなかったが、ガウェインは咄嗟に柱の影に隠れて気配を消してしまった。
そうしてから、しまった普通に通り過ぎればよかったと後悔するが、もう遅い。自然と、やりとりも耳に入ってきてしまう。
「我の島までは些か距離があろう。迷惑をかけるわけにもいかぬ」
「別にいいのに…」
「はっはっは。これも我の我儘だと思ってくれ」
「うーん…。帰るときには手紙出してよ。近くまで迎えに行くから」
「それは助かる。二、三日で済むであろう」
「わかった。気をつけてね」
いってらっしゃーい、とグランが見送りの言葉を投げ、足音が遠ざかっていく。
少しして、グランがその場から去ろうとした頃を見計らって、ガウェインは柱から顔を出した。
「団長」
「あっ、ガウェイン。ネツァならもう行っちゃったよ」
こちらを振り返り、別段驚くでもなくそう言って随分と小さくなった鷲王の背中を指さす少年に、訊ねる。
「あいつが国に帰るなど余程のことだろう。何かあったのか?」
「え、聞いてないの?」
きょとんとして訊き返してくるグランだが、自分たちは互いに己のことをあまり語らない。
奴が翼の一族の王であるというだけで、故郷の話など聞いたこともなかった。
首肯を返すとグランが口を開く。
「後継ぎの話をするために、一族の長老たちから呼ばれたんだって」
「…後継ぎ……?」
「結構前から何回も手紙が届いてて……杞憂も尤もだから行ってくるって言ってたけど」
王様って大変なんだね、と難しい顔をするグランの声が、片耳の表層を滑っていく。
後継ぎ…
つまり、嫁を娶り、子をつくる。
鈍器で頭を殴られたような衝撃に、ガウェインは立ち尽くす。
グランがまだ何か言っているが、聞こえない。
…いや、王である以上、後継ぎ問題は向き合うべき重大な急務だろう。
二、三日で済むと言っていたか。
きっと小柄で愛らしい娘と籍を入れ、初夜を過ごして戻ってくるつもりなのだ。
「……」
…思えば、知らないことばかりだ。
家族はいるのか?食べ物の好みは?幼少の頃はどんな子どもだった?
俺と奴は、身体だけの関係。
余計な詮索はしないのが暗黙の了解になっていて。
…いや、違う。訊けば答えは返ってくるのだろう。
それでもあえて知ろうとしなかったのは、どこかで繋ぎ止めておけると思っていたから。どこにも行かないはずだと、思い込んでいたから。
そんな保証も根拠も、存在しないのに。
「…ガウェイン?聞いてる?」
「っ、」
腕を揺すられ、はっと顔を上げた。
どことなく気遣わしげな表情に、年長者として情けなくなってくる。
「すまん、聞いていた。ありがとう」
短く言い置いて、踵を返す。
「えっ、いや聞いてなかったでしょ!ネツァはお見合いも…」
「団長、」
慌てて言い募るグランの言葉を遮る自分の声が、酷く抑揚のないものに聞こえる。
たぶんそれは気のせいではなくて、拒絶の色が濃い声音であることが自覚できた。
「祝う日取りがわかったら、俺も準備を手伝おう」
「だから…っ」
「そのときは早めに教えてくれ」
一方的に言って、艇内に戻った。
逃げるような歩き方になっていなかっただろうか。
早口になっていなかっただろうか。
胸が痛い。息苦しい。
ああ……俺はいつから、こんなに奴のことを好きになっていた?
「…畜生」
吐き捨てた言葉は、誰の耳にも届かなかった。