天空天河 七
十二 懸鏡司 その一
年始の行事も終わり、金陵の都は、落ち着きを取り戻していた。
長蘇と靖王は、蘇宅と靖王府を、地下通路で毎日の様に行き来していたが。
それは旧情を取り戻す為だけでは無かった。
金陵の、、、大梁の未来を、語り合った。
靖王が、辺境の任務から得た状況と、長蘇が江湖から見た、草民の状況と、潜伏させている密偵からの報告と。
話は尽きる事がなかった。
離れていた、十二年の歳月など、全く感じない程。
謝玉を倒した事で、こちらが夏江と敵対する事は、明らかになった。
『夏江』をどう倒すか、そこに最も重点が絞られる。
『魔を倒す』、という掴みどころのない話に、靖王は必死に付いてきた。
得体の知れない、『魔』の存在とその力。
謝玉など、小物に過ぎない事。
夏江はどれ程の力を持つのか。
飛流は対抗出来るのか、、、、等、、、。
「夏江の力は未知だ。
飛流が『魔』を吸収する事に、長けているように、夏江も突出した『魔』の力を待っている。
これ迄の夏江の様子からすると、恐らくそれは、人を操る能力と思われる。
だが、どの様な魔力なのか、、、。」
ぽつりと長蘇が呟く。
長蘇が衣服の裾を、無意識に指で擦りながら、言った。
思案に集中しているのだ。
━━昔から、小殊にはこんな癖があった。━━
どこか空(くう)を見て、ぼんやりしている様子だが、長蘇の眼光は鋭い。
その眼光で、敵の隙を見つけ出すのだ。
昔を思い出しながら、姿は違えど、全く変わらぬ知音に、靖王は、どこかほっとしていた。
「小殊、謝玉と比べて、夏江はどうなのだ?。」
「謝玉となど、、、比較にならぬ。
謝玉の力は、夏江によるもの。
夏江が謝玉に、己よりも多きな力を持たせるとは、考え難い。」
「謝邸で見た、謝玉の力とて、恐ろしい程に強大に見えたのだ、、、。
夏江はそれ以上とは、、、、。
小殊、夏江に抗う術は、あるのか?。」
「あるとも。」
長蘇は力強くそう言うと、目が笑った。
その目に靖王は、少年時代の林殊を思い出した。
「夏江と謝玉の繋がりを掴めさえすれば、夏江も謝玉同様、逆臣となる。
罪人にして、権力を奪ってやるのだ。」
謝玉が起こした様々な悪事の証拠を、謝府に送り込んだ密偵達が、邸宅のあちこちに転がしておいた。
証拠は、刑部が預かっているが、内容は何処からか、世間に漏れ出てしまっており、謝玉が『逆臣』であることは、もはや金陵の人々が周知していた。
そして中には、赤焔事案に関する事柄もいくつかあり、その証拠は陛下が握って、世間に出さないでいる。
陛下は謝玉なぞ、とうに切り捨てるつもりだったが、その妻莅陽長公主は陛下の妹であり、無下に妹の身分を落とせば、世間に『冷酷』と評価される。謝玉の罪状は、陛下の頭痛の種になっていた。
「謝玉と夏江、二人の繋がりか、、、、。」
靖王が唸る。
「景琰、慌てぬように言っておく。
これは打開出来る、絶好の機会と捉えて欲しいのだが。
、、、あと数日もすれば、私は懸鏡司に連行されるだろう。」
突然、何でもない事のように、長蘇は笑顔で言った。
「何だと!、懸鏡司にだと!!。
小殊を懸鏡司になぞ、行かせるものか。」
靖王が、息巻く。
「いや、聞け、景琰。
そこが唯一の機会なのだ。
これは、早くても遅くても効果がない。
いいか、こんな筋書きだ。
『江左盟の梅長蘇が、謝玉の事案で嫌疑をかけられた。懸鏡司に連行される直前に、靖王殿下に魏奇を保護している事を打ち明けた。打ち明けられた靖王殿下は、梅長蘇の冤罪を確信し、謝玉の悪事を知る魏奇を、都に連行する』のだ。
魏奇を連れて来るとは、思っていない筈。
私が捕らえれば、夏江の心に隙が出来、魏奇への注意を逸らせられ、時間稼ぎ出来る。」
「何ッ、魏奇、だと?。」
「証拠を持っているのが、謝玉の元副将の魏奇ならば、その証拠の信憑性が高まるとは思わないか?。」
そう言って長蘇は、にっと笑った。
「魏奇は、行方不明だと言っていたではないか。」
「ああ、昨日、江左盟が保護した。
謝玉と夏江が繋がっているという、証拠を持っている。」
「小殊、お前、どの顔で、、、、。
このッ、、、。前々から準備していたのだろう?。私には黙っておいて。それは余りに白々し過ぎぬか?。
それに証拠だと?。」
「ふふ、、、認める。
確かに、私がついこの間逃がした、謝玉の配下に持たせて、嘉興関にいる魏奇に証拠を流した。
そもそも証拠はあったのだが、私や景琰が証拠を出しても、偽造と言われよう。
世に出す者を選んでこそ、役に立つのだ。」
魏奇とは、嘗て、謝玉の軍の副将を務めた者だが、赤焔事案には無関係なのは知られていた。
だから命を取られずに、まだ生きていられる。
掌鏡司に成りすました者に、魏奇を襲わせ、夏江に命を狙われていると思わせる。そこに同じ様に仕向けた、嘗ての謝玉の配下を合流させた。
あくまで、自然に、、疑わぬ様に、、。
謝玉の配下には、ひょんな成り行きから、証拠を入手させていて、さも、それを狙っているように、偽掌鏡司を仕向ける。
お互いに夏江から狙われていると思えば、二人はこの証拠を共有する。
余りに出来すぎた出来事だが、証拠の内容自体は疑われぬ。
✼••┈┈┈┈••✼
一度蘇宅へ、京兆府が訪れ、事件が刑部に移ったと伝えた。
その日の内に、刑部が聴取に訪れる。
そして、幾日も経たないある日、物々しく、黒い甲冑を着けた数十人の懸鏡司が、蘇宅を囲んだ。
「宗主!、夏江が門前に!!。」
騒々しく配下が、梅長蘇のいる書房に駆け込んで来た。
「落ち着け。分かっている。」
そう言うと、長蘇は配下にニコリと微笑んだ。
側にいた靖王が、心配気に長蘇を見た。
「小殊、、本当に、本当に懸鏡司に行くと?。」
「景琰、何度も話し合ったでは無いか。
私が行かなくては意味が無い事は、納得したはず。
もう、止めるな。
さすがに私の決意が揺らぐ。」
長蘇は、靖王の説得を、ぴしゃりと止めた。
これ以上は、互いに平行線で、意見が合うことは無い。
靖王は心配で、行かせたくないのだが、『長蘇が懸鏡司に行く』以上の策も無い。
「だが、、、。」
それでも、心配気な靖王。
「景琰には景琰の役目が有るのだ。
私よりも危険なのだぞ。
恐らく、要所要所で、掌鏡司の妨害がある筈だ。
夏江の言いなりで、夏江の洗脳のせいで、生命も厭わぬ掌鏡司だ。禁手などは無い。どんな手を使ってでも、景琰を止めるだろう。
、、、、命の危険すらある役目だ。
、、、充分に、充分に気をつけてくれ。」
自分を気遣う長蘇が、愛おしく、靖王は長蘇を引き寄せて、胸に抱き寄せ言った。
「小殊、それは私が小殊に、言わねばわならぬ言葉だ。
魔窟の如き懸鏡司に、出向くなど、、、。
飛流が側に居るとは言え、小殊は無茶をし過ぎる。
、、、、、、それが、心配で堪らぬ。
謝玉の時の様に、夏江の『魔』を引き出そうなどと、ぎりぎりまで待ってはならぬぞ。
良いな、約束だ。」
靖王の胸の中で、クスクスと笑う長蘇。