天空天河 七
「ふふ、、分かっている。
それから実はな、飛流が、嘉興関にいる魏奇を、夏江の『魔』手から守ってる。」
「何だと?!、飛流が魏奇の所にいる?だと?。
なぜ飛流を側に置いておかないのだ!。」
「景琰がそうやって怒ると思ったからだ。」
長蘇は吊り上がった靖王の眉尻を、無理矢理指で下げる。。
そして頬を寄せ、靖王に耳打ちした。
「景琰が嘉興関に行き、魏奇の身柄を金陵に連行出来次第、飛流は私の元に戻ってくる手筈だ。」
魏奇もまた『魔』に冒されていた。
江左盟が接触をし、飛流が『魔』を抜くと、罪悪感から、赤焔事案再審の為に、『証言をしたい』と、願い出たのだ。
赤焔軍に、魏奇の友がいたのだ。
──だが今は、この事は言うまい。
今、何よりも大切な事は、魏奇の身柄を保護し、陛下の御前に出るまで、死なせない事だ。──
靖王は、抱き寄せた長蘇の体を離し、あっけに取られた顔で、長蘇を見た。
「飛流は今、金陵に居ないというのか?。
一体誰が、小殊を守ると?。
私が魏奇を保護せねば、飛流は小殊の元に来られぬと?。」
「まぁ、そういう事だ。
景琰、今日も頭が冴えているな。」
したり顔で、靖王に言った。
靖王の眉が吊り上がる。
「小殊ッッ!。
こんな大事な事はもっと早く言えッッッッッ!!。」
「あははは、、、。」
「笑い事では無いッッッッ!。」
靖王は踵を返して、慌ただしく地下通路の方へ駆けていった。
「ふふふ、、、。」
長蘇は眩しそうに、靖王の後姿を見送った。
地下通路から響く、靖王の足音が聞こえなくなると、長蘇はきりりとした面持ちになり、覚悟をする。
「さぁ、、行こう。」
配下の返事は無く、静かに頭を下げた。
配下もまた、長蘇が懸鏡司に行く事を、納得していない。
項垂れる配下の頭は、長蘇を引き止める気持ちでいっぱいだった。
「心配するな。
夏江と、茶を飲み、少々、世間話をしてくるだけだ。
魏奇の方は、手筈通りだな?。」
「は。
先々、難に遭わぬよう、飛流が『魔』を払い、その後、江左盟を配置して、靖王殿下の邪魔にならぬよう邪魔だてする者は、排除する手筈で、、。
靖王が通る街道で、飛流は待機をしています。」
配下が、長蘇に報告をした。
「うむ、、頼むぞ、、、、プッ。」
長蘇は、今にも泣きそうな配下の顔に、苦笑した。
「そう、心配そうな顔をするな。
藺晨が、特別に送ってきた薬も飲んだ。
私の事よりも、私が行った後の事を、しっかりと頼むぞ。
其方等の働き無くして、金陵は支えられぬ。」
長蘇のその言葉を聞き、配下達は言葉も無く、ただただその場に平服した。
「さて、、、頃合いだ。」
そう言って、厳しい顔で前を向き、長蘇は一歩一歩、歩を進め、書房を出る。
いつもならば、飛流が長蘇の身体を支えるが、今日、側には誰も居ない。
前もって渡されていた藺晨の薬を飲んでいた為か、長蘇の足取りは、普段よりもしっかりしている。
長蘇はゆっくりと、蘇宅の門へと向かった。
蘇宅に住まい、まだ日も浅いが、浅いなりに様々な思い出も。
──縁起でもない。
飛流や藺晨や、景琰との思い出が、止めどなく心に、、。
懸鏡司に、死にに行く訳でもないのに。──
門への回廊が、長く長く思えた。
長蘇は、酷く感傷的になっていた。
──それもそうか、、ふふ、、。
懸鏡司が、怖くない訳が無い。
懸鏡司から、まともに帰ってきた者など、いはしない。──
長い長い回廊が終わり、視界に門が見え始める。
閉じられた門の内には、二人の従者が立つ。
長蘇は門からは、まだ、だいぶ離れていたが、二人は拱手して長蘇に挨拶し、ゆっくりと顔を上げた。
長蘇は門の前で止まり、門番二人に微笑みかけ、こくりと頷く。
従者達は互いに目で合図をして、ゆっくりと門を開いた。
表門と違い、蘇宅の通用門は、さほど大きな門ではない。
開いた門の外には、物々しい黒い鎧を着た、十余名の掌鏡司が、小走りに門の両脇に並んだ。
只者では無い江湖の名士を、逃さぬ為なのだろう。
並んだ掌鏡司の奥、長蘇の正面には、夏江。
夏江とは離れているのに、卑下た笑いを浮かべる夏江の表情が、はっきりと見える。
長蘇の両の腕と背中に、鳥肌が立つ。
──懸鏡司なぞ、何でもない。
景琰が、助けてくれる。
私はやるべき事を、ただこなすだけ。──
眼窩の深い、夏江の顔立ち。日に焼けて、白髪の混じる髪を、懸鏡司の官帽の中に収め。
仁王立ちになり、刺すような視線で、長蘇の姿を舐めるように見ていた。
さすがに長蘇でも、懸鏡司を束ねる夏江の風貌に、怖気付いていた。
恐れる心を鼓舞して、長蘇は、一歩一歩、進む。
──謝玉の『魔』力は、夏江が与えたもの。
謝玉の『魔』力などとは、比較にならぬ程、強大な筈。
だがやはり、夏江に『魔』力は感じない。
一体、どうやって、、、。──
長蘇は探るように、観察しながら、、長蘇は夏江に近づいていく。
──謝玉には、割に容易く、江左盟から間者を送り込めた。
しかし、、、。
懸鏡司に、雑務をする人夫として、幾人か送ったが、連絡を取るどころか、消息さえ分からなくなった。
只事では無い、と、その後は、外部から監視はすれども、内部に間者を送る事は、止めている。
近付いてはならぬ組織。
一体、裏では、懸鏡司は、何をしているのか。
内部の事は、時間が経ってから、ほんの少し漏れ聞く程度で、懸鏡司の内部は、一切の謎だ。──
不気味な夏江の表情が、『あの梅長蘇を捕えた』と、喜びを顕にしている。
長蘇の身体も心も、凍りそうだ。
──、、、、怖い、?、、、。
私が怖がっている?だと??。
、、、あぁ、、、確かに、、、、怖い、、、。
、、、、、、、、、景琰、、、、。──
じわり、と、長蘇は珍しく、手に汗を感じた。
「梅長蘇殿。懸鏡司まで、御足労願おうか。」
笑みを浮かべながら、夏江が言う。
長蘇は冷笑した。
これが長蘇の返答だった。
──恐怖を悟られなかっただろうか。
私は上手く笑えたか?。
、、、、、、、景琰、、私を守ってくれ。
恐怖で、私が無様に振る舞わないように。───
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一方、靖王は馬を駆り、今まさに、金陵の門を抜けようとしていた。
南門は封鎖されるに違いないと踏んで、西門を突破しようとしていた。
靖王の配下を二人従え、閉じかけた門を目の前にした時、わらわらと、十数人の掌鏡司が、靖王の目の前に出てきたのだ。
「どけぃ!!。」
靖王が声を張る。
掌鏡司達は、刀を抜き、靖王に斬りかかる。
その時、一陣の風と共に、笠を被った武者が一人、靖王の前に躍り出て、靖王を襲う掌鏡司を、刀で倒していった。
刀を逆手に持ち、刀身を隠しながら、風迅のように斬り倒す技は、靖王でも惚れ惚れとする見事なものだった。
その者は、掌鏡司をあっという間に、片付けてしまったのだ。
「甄平!!!、助かった。」
靖王が言うと、甄平が頷く。