天空天河 八
『なんだと!。』
長蘇は靖王の言葉に、そんな顔になったが、それすらも、靖王には林殊を思い起こさせる。
━━あ、、、あぁ、、、、。
小殊、、、小殊、、、。━━
──あぁ、、、また、失敗だ。
今日という日は、璇璣公主といい、景琰といい、ままならぬ日だな。
若い時は、掌の上に転がせたのに。──
長蘇は困った顔になったが、靖王はそれを見る余裕が無い。
靖王の涙は止まらない。
──景琰は、傷付いているのだ。
、、、たまには泣くのもいいさ。
景琰は我慢のし過ぎだ。
気持ちが落ち着けば、いつも、私のくだらない一言で、笑顔を取り戻すんだ。──
靖王は、幾らか涙がおさまって、そして長蘇を見た。
━━失いたくない。━━
じっと見つめる靖王の眼から、また大粒の涙が零れた。
──あぁ、、、そうか、、、。
景琰は私との別れを怖がっているのだ。
景琰は、何かを、察してしまったのかも知れない。
、、、だが、、、。──
どんなに言葉を尽くしても、靖王の恐れは拭えない、長蘇はそう思った。
──別れを怖がっていては、越えられない。
『魔』には勝てぬ。
しっかりしろ、景琰。──
長蘇は指に力を込めて、ぎゅっと靖王の頬を抓った。
頑張って力を込めても、力が入らず、起き上がる事も出来ぬ長蘇の身体では、摘んだうちにもはいらなかった。
「、、小、、、殊、?。」
靖王は始め、長蘇が何をしているのか分からなかったが、自分の頬を抓っているのだと、暫くして気がついた。
長蘇は必死に、思いっきり抓っているが、必死な顔の割には、指に力が入らない。
「、、ン、、、。」
「、、ぁ、?」
抓ろうとして、抓る事が出来ないという事に、漸く靖王が気がついた。
「、、、、ぇ、、、と、、、。」
頑張って抓ろうとしているのに、頬を掴めもしない長蘇を、笑って良いのか、力が入らないのを気の毒に思って、気遣った方が良いのか、非常に靖王は困った。
──力が、、、力が、、、入ら、、、。
くーッ、景琰の頬なんて、掴み放題、抓り放題、だったのに、、。(大して痛くはなかっただろうが)──
次の瞬間、靖王は、酷く柔らかな眼差しになった。
「『しっかりしろ』と、私を励ましてくれたのだろう?。」
靖王は、長蘇の掴めない手を、そっと取り、その手に口付けた。
──ぁ、、、。──
長蘇はじわりとした、擽(くすぐ)ったさと、靖王の優しさに包まれる心地の良さと。
『、、、幸せ、、だ。』
長蘇の言葉にならない声を、靖王が聞き取ったのか。
「私もだ。」
靖王はそう言って、また優しく微笑む。
靖王の涙は、いつの間にか止まっていた。
「疲れただろう?。眠ると良い。
私は、小殊が眠るまで、ずっと側にいる。」
靖王は布団を長蘇にそっと掛ける。
長蘇の手を、そっと握り、目を瞑ったのを見ると、靖王は長蘇の冷たい手を両手で包み、温めるように息をかけた。
──いつだって、景琰はこうやって、私を護ってくれる。──
靖王と、間近で視線を交わすと、身体の奥から甘やかなものが溢れてくる。
嫌ではなく、ずっと浸っていたいと思う。
ふと靖王は、温めていた右手を外し、外した手で、布団に広がる長蘇の髪を一束、くるくると弄りだした。
「、、、、?」
靖王は、暫く髪を弄んでいたかと思うと、時折、ふるふると頭を振り、長蘇の手と髪を持ったまま、自分の頬に当て、、、、自分の頭を支えて、、、。
「、、、、グゥ、、、。」
──、、は?、、、景琰?、、、
、、、寝てしまった?。──
あっという間の出来事だったが。
──あははは、、。
眠るまいと、私の髪を弄っていたのか。
私の髪を弄り出すとは、珍しいとは思ったが。
、、、無理も無い。
、、、、無休で駆け続けたのだ。
景琰は疲れ切ったのだ。──
心の中で飛流を呼ぶと、忽ち姿を現した。
『飛流、景琰の身体に、何かを掛けてやってくれ。
風邪を引いてしまう。
そこの衝立にかかっている、厚手の衣が良い。』
飛流は頷くと、衣を取り、鎧を着けている靖王に、そのまま掛けた。
靖王は、『苦虫を潰したように、笑いもしない』と、世間のもっぱらの評価だったが。
──こんな、昔と変わらない、景琰の無防備な寝顔は可愛らしい。
小さい頃から、たった二つ年上なだけで、兄貴面をされて、腹が立った事もあったが、結局、いつも護ってくれているのは、景琰だったのだ。
心から、全てを預けられる知音が、側にいる事が、こんなにも心強い。
景琰、、、
来てくれて、心から嬉しかった。
側にいてくれて、、、、、ありがとう。──
長蘇は、側で眠る靖王の顔を見ながら、この幸せを噛み締めていた。
──────十三 安息 糸冬─────