天空天河 八
十三 安息 その三
目が覚めると、日はすっかり高くなり。
長蘇は、靖王に抱(いだ)かれて、眠っていた。
靖王が眠った姿を、ずっと見ていたが、いつの間にか、長蘇も眠りに落ちていた。
長蘇は途中、靖王が起きて、武装を解き、着替えて長蘇の夜具に入ってきたのは覚えていた。
横で寝る靖王の温かな身体は、長蘇に心地の良い眠りを齎(もたら)した。
靖王も長蘇の横でうとうとしただけでは、連日不休不眠で駆け抜けた疲労は取れはしない。
ずっと側で、長蘇の身体を温めながら、疲れの為に深く眠ってしまったのだろう。
また一つの大きな山を乗り越えて、安心した事で、心の重荷が降り、この頃には珍しく、深い眠りについていた。
一体、どの位、眠ったのか。
外はすっかり明るい。
気がつけば、靖王の腕に包まれていた。
ぼんやり見える、靖王の面差しには、長蘇の横でうとうとした時の様な、可愛らしさはすっかり消えて、精悍さが満ちている。
全く動かなかった身体に、幾分か、自由が戻っていた。
長蘇の腕が動くようになっている。
緩々と抱(いだ)かれていたので、動かせる。
恐らく、靖王だとて、疲労困憊だったのだ、長蘇は靖王を起こさぬ様に気を使い、ゆっくりと動いた。
精悍な顔立ち。
だが、何処か青年の面影をまた残している。
そっと、眉を指で舐ぞると、瑞々しい靖王との思い出が心を埋め尽くした。
凛々しい眉、正義を通す心の強さを現した目鼻立ち、寡黙な唇。
だが、林殊と共に居れば、双眸を崩し、よく笑い合った。
林殊に負けて、仕方ないと諦めた表情を見せつつ、実は相当悔しがっていて、闘志を燃やしていたり、、、、、。
厳しさと冷徹さで、人を寄せ付けないが、かなり情義に厚く、脆い一面もあった。
──この景琰の姿を、誰が、どれ程、理解しているだろう。──
この先、靖王の真の姿を、そのまま愛せる者に、出会って欲しいと、長蘇は思った。
『魔』を滅ぼした後は、世は混沌とするかも知れない。
靖王を理解する者が側にいたなら、きっとしっかりと生きていける。自分が消えてしまっても、どうか幸せであって欲しいと、願っていた。
──数年は辛いだろうが。
私は、大梁に潜む『魔』を、全て濯うつもりだ。
『魔』の消えた空の下、恨みや憎しみは消え、優しさが満ち溢れる。きっと景琰の真の心は人々に届き、愛される。
これ程、景琰は愛らしいのだ。
きっと皆に愛される。──
長蘇に回された、靖王の手を取る。
長蘇よりもがっしりとした手だが、それでも、屈強の猛者の様な、無骨な手ではなく、何処か文人の様な。
皇族とはこの様な手をしているのか。
そこらの皇子ならば、仕方もないが、武人として、辺境にいる方が多い靖王でも、綺麗な手をしている。血筋なのか。
目を閉じて、靖王の温かな手に頬を擦る。
じわりと心までが温かさに包まれる。
少年の頃の、見覚えのある傷跡や、長蘇の知らない新しい傷の窪み。
一つ一つを心に刷り込むように、触れていった。
だが、目を開けて、長蘇はぎょっとした。
「あ、、、景、、、お前の爪が、、、、。」
靖王の爪の全てが、黒ずんでいた。
──何故!、、、。
まさか、、、、。──
真っ黒だった長蘇の爪は、靖王と同じ黒さに引いていた。
──まさか、、私の『魔』を、景琰は取り込んだとでも?!。──
長蘇の喉元まで鼓動が響く。
「飛流!!。」
長蘇が呼ぶと、直ぐに飛流はやって来た。
「飛流、私を起こしてくれ!。」
飛流に身体を起こされ、長蘇は靖王を起こそうと、靖王の身体を揺すったり、名を呼ぶが、靖王はぴくりとも動かない。
「まさか、、。」
靖王の肌着の合わせは開かれていて、長蘇が璇璣公主の亡霊から、付けられたものと同じ様な鳩尾の痣が、靖王の鳩尾にも浮き上がっていた。
「ぁぁ!、、。」
確認の為、長蘇は自分の胸を見た。
靖王がきちんと着せてくれていた筈だったが、紐は解かれ、肌着は乱れ、胸が露わになっている。
包帯は緩んで、腰の位置にあった。
長蘇の鳩尾の、簪があった穴は綺麗に消えているが、浮き出た痣はそのままだった。
だが盛り上がった痣は、膨らみを無くし、幾らか薄くなった様に見えた。
「まさか、私の『魔』が、景琰に、、。」
──このままではいけない。
景琰の『魔』を綺麗に消さねば。
景琰の身体に、『魔』など、微塵もあってはならない。──
長蘇は少し考え。
「飛流、手伝ってくれ。
景琰の『魔』を、取り除く。」
飛流は首を振る。
「、、何故?、何かあるのか?。」
長蘇が聞くと、飛流は後ろを振り返った。
飛流の視線の方を見れば、部屋の奥には、どうやら靖王を護る赤龍が横たわっていた。
霊体の龍は、部屋の壁をも突き抜けて横たわり、赤銅色の龍の鱗だけが見えた。
龍の身体の一部が、熟々と真っ赤に爛れていた。
身体の動きは、苦しそうな息遣いをしている様にも見えた。
「龍が、、怪我を?、、、。
飛流に治せぬのか?。」
「、、、。」
難しい顔をして、首を振る飛流。
長蘇と靖王が眠る間に、飛流は、龍の『魔』を取り除こうと、幾度も試したが、全く抜く事が出来なかった。
飛流にも初めての事で、戸惑っていたのだ。
──景琰の身体が『魔』に侵されたから、この赤龍が倒れているのか?!!。
景琰から『魔』さえ出せば、きっと赤龍も良くなるに違いない。
やはり、この赤龍は、景琰を守護する者なのか?。
大梁は龍に護られるという伝説があるが。
単なる治世の為の作り話かと、、、。
景琰と共に、龍にもこんな症状が現れたと言う事は、、、景琰は帝位に導かれているのか?。
ならば、尚更の事、『魔』との関わりを匂わせてはいけない。──
「飛流、景琰の身体の『魔』は、私が取り除きたい。
協力をしてくれ。」
飛流は、できるなら、先に龍を治してやりたかった。
渋々という顔で、頷いた。
──飛流は、この景琰の『魔』を取り除けるだろうが、景琰の『魔』の事は、私が取り除いてやりたい。
私が、、、。──
『元々は私の『魔』だったのだし』と、言い訳めかしたが、誰の『魔』だろうと、靖王を誰にも触れさせたく無い。どんな事でも、全て自分がしたかった。
飛流が長蘇の背中に触れて、少しずつ力を注ぎ込む。
『魔』を吸い取るというのは、長蘇にとって初めての事だった。
璇璣公主から、体内に『魔』が入れられ、動かされ、長蘇は何となくやり方を察していた。
ただ、きっかけとなる力が欲しかった。
背中から飛流の『魔』力が入り、長蘇の『魔』力が動く。
長蘇は靖王の痣に触れる。
じわじわと、靖王から邪悪な『魔』が、長蘇の掌へと動く。
長蘇は、丁寧に、丁寧に、靖王の『魔』を、自分の身体に吸い取っていく。
『魔』が長蘇の体内を動き、長蘇は不快感に吐きそうになりながら、耐えている。
飛流が長蘇の身体の中に、『魔』の置き場所を作ってやった。慣れているだけに、飛流の作った場所に、忽ち吸収した『魔』が片付いていった。