「きゅうか」2
テラスから外に出てしまえば、すぐ目の前に波打ち際が広がっている。昨晩テロリストを追った海とは思えぬほどに、静かに澄んだ海だった。クラウドは打ち寄せる波の際に立った。足元の砂が波に崩される感触が面白く、ぽちゃぽちゃとサンダルの足先を浸した。海遊びというには消極的なその様子をセフィロスは一歩後ろで眺めている。
「泳がないのか」
「水着、持って来てないし」
「あっただろう、ホテルに頼んで一通り用意させたはずだが」
「女物だっただろうが!それともあんたが着るか?」
「お前のサイズに合わせて用意したものだ、俺が着られるわけないだろう」
クラウドは用意された衣服の品揃えを思い出した。クラウドが姪だという、敵を謀るための方便がいまだにまかり通っているのだろうか。客室のクロゼットの中の衣服はユニセックスなデザインのものが並んでいたが、下着は女性用だった。水着もトップウェアにはしっかりと胸パットが入っていた。ショートパンツデザインだったので下だけ穿けば問題ないのではと思い試着しても、裾の脇が丸く削られたショートパンツは見た目よりも短く露出面が多い。鏡に映るクラウドの姿は自分の目からもトップレスの少女のように見えてしまった。自分のことを雄々しい外見だと自負していたわけではないが、女物の服を着るだけでそう見えてしまうなんて、気づきたくはなかった。おまけに胸元を押えがっくりと落ち込んでいるところをセフィロスに見られ、クラウドは更に居たたまれなくなってしまったのだった。
クラウドの複雑な心境などさて置いて、セフィロスは事もなげに言った。
「プライベートビーチなのだから覗き見される心配などない。女物だろうが裸だろうが、どんな格好をしても問題ない」
「あんたさ……泳げないからって、俺にだけあんなの着させるのは不公平だろ」
「俺は泳げる。泳いでいるうちに沈んでいくだけだ」
「そういうの、おぼれるって言うんだぞ」
クラウドは打ち寄せた波をセフィロスへ向けて蹴り上げた。高く上がった水しぶきを、セフィロスはあえて避けなかった。ぱらぱらと雨粒のようなそれを身に受けながら、得心いったように口角を上げた。
「なるほど、これが海遊びか」
セフィロスは雑に裾を捲り、浅瀬に足を踏み入れた。つま先がぱん、と小気味よい音を立てて海面を蹴り上げる。高々と水柱が上がった。
「あんたがやると海面が割れそう」
クラウドの軽口に、セフィロスは頷いた。
「試したことはないが、力加減によってはそうなるかもな」
なるほど、だから自分に向かって水をかけなかったのかとクラウドは納得した。その脚力で蹴り上げられた海水は直に足で蹴られるよりもよほどダメージが大きそうだと、クラウドは内心ぞっとしながらセフィロスの足元を見た。白い踝が海の薄青に染まっている。水の重さを感じさせない動作で持ち上がった足首が海水を蹴り飛ばした。十分に加減したのだろう、今度は水柱ではなく霧状の細かな飛沫がさっと広がり、その先に虹が浮かんだ。
「あ」
クラウドは思わず声を上げて見入った。特段珍しい現象ではないけれど、英雄と讃えられるセフィロスが作る虹は今ここでしか見られない貴重な光景だろう。
実際に触れられるわけではないけれど、クラウドは虹に手を伸ばした。
「わ!」
いつの間にか波は膝の高さまで迫っていた。それに足をとられ、クラウドの体が傾く。踏ん張ろうとする間もなく、クラウドは水面へ尻餅をついた。
「ふ……ック、くく」
虹を追って転ぶなど、まるで子供の仕草だ。セフィロスの目にはさぞや滑稽に映っただろう。セフィロスがくつくつと堪えきれない笑い声を上げている。
「笑ってないで助けろよ……」
降ってくる遠慮のない笑い声を見上げ、クラウドは瞠目した。
セフィロスは笑っていた。頬を緩め、無邪気に。まるで少年のように。
クラウドの知るセフィロスはどこか憂いのある笑い方をする男だった。個人的な付き合いをするようになった今もそれは変わらない。そもそも感情の機微が分かりやすい男ではなかった。メディアの前でも端厳とした印象を崩さない、冷ややかな美貌。それが今、屈託のない笑みを浮かべている。
起き上がらずぽかんと見上げてくるクラウドをさすがに怪訝に思ったのか、セフィロスは身をかがめて手を差し伸べた。
「どこか打ったか?」
「……ううん、別に、平気だ」
遠慮なく差し伸べられた手を借り、クラウドは立ち上がった。腰から下は完全に海水に浸かっていて、ハーフパンツからぼたぼたと水が滴り落ちる。当然ながら下着までびっしょりと濡れて、肌に張り付く感触はひんやりと重く心地が悪い。だが今はそれがありがたかった。血が上った頬が熱い。日差しのせいだけではなく、頬に、あらぬところに熱が灯っていた。
「……シャワー浴びて着替えてくる」
顔を伏せ言葉少なにそう言ったクラウドを拗ねたとでも思ったのか、セフィロスがくしゃりと俯いている金髪をかき混ぜた。あの無垢な微笑みはなりを潜め、代わりに含みのある笑みが浮かんでいる。クラウドにとっては馴染みのある、意地の悪いことを考えているときの表情だった。
「一緒に入ってやろうか?溺れては困るからな」
クラウドは思わず見とれてしまったことに気づかれないように、拗ねた声を上げた。
「ひとりで入る!」