うたた寝枕はただ一人の特権
冨岡はいつでも少しうつむき気味だ。煉獄はそれがなんだか不満だった。
いや、不満というのは語弊がある。文句を言いたいわけでもないし、苛立ちは欠片も感じないのだ。どちらかといえば焦れたさに似て、ソワソワと落ち着かない心持ちになる。
もっと気安く皆と交流を深めればいいのに。冨岡の為人《ひととなり》をちゃんと知れば、忌避されることなどなくなるだろうに。思っては、ならば先陣きって俺が踏み込むべきだろうと、せっせと声をかけてきた。あまり功を奏しているとは思えぬ現状ではあるが、努力は認めてほしいところである。
ともあれそんな具合で、煉獄が冨岡に声をかけてはつれなくされる光景は、柱合会議では見慣れたものとなっている。
会議のためにお館様の屋敷で足を進める煉獄の胸には、いつものごとくなにがしかの進展を期待し燃えている。無惨については無論のこと、せめて上弦の鬼に関するものでもいい、有力な情報が欲しい。わずかばかりの焦燥とそれを大いに上回る意気軒高とした意気込みには、同等の熱意でもって冨岡は食事の誘いにうなずいてくれるだろうかという、願望が入り混じっていた。
いつも断られてしまうが、今日は悲鳴嶼や甘露寺、胡蝶あたりも一緒に誘うと言ってみようか。彼らは冨岡に対しわだかまりなどないように見えるし、きっと冨岡も楽しめるだろう。煉獄は希望に胸ふくらませ広い庭を進む。
いた。目に入った姿に、煉獄はパッと相好を崩した。半無地半柄の風変わりな羽織、冨岡だ。
だいぶ早い到着になったと思っていたが、冨岡ももう来ていたとは運がいい。冨岡を厭う不死川や伊黒がいる場で誘うよりも、冨岡も了承しやすいだろう。
嬉々として歩みを進める煉獄の視線の先で、冨岡は濡れ縁の柱に背を預け座し、いつもよりもうつむいている。
近づき、いつものように声をかけようとした煉獄は、けれど身じろぎ一つできなくなった。
すぅすぅと静かな寝息が聞こえる。冨岡はどこかあどけない顔をしてうたた寝していた。
季節は春。日差しの暖かさに誘われたのだろうか。たしかに今日はいい陽気だ。煉獄とて自室で書など読んでいたのなら、居眠りの一つもしていただろう。
いつもどおりに声をかければ、冨岡が起きてしまう。いや、もうじきほかの面々も到着するのだ、起こしてやるべきだ。理性はそう促すのだが、煉獄はやっぱり動き出せなかった。
なぜだかひどく嫌なのだ。起こしてしまうのが忍びない。もったいないなどという文言が頭に浮かぶ。
春の陽気につられうたた寝する冨岡は、年上だというのに子供のように見えてなんだかほほえましい。ただそれだけのはずが、やけにドキドキする。冨岡が目を覚ませばきっと、寝顔を見る機会などもうないだろう。それがどうしても惜しかった。
じっと見つめる煉獄の視線にさらされていても、不思議と冨岡は目を覚ます気配がない。柱である冨岡は気配に敏《さと》い。煉獄もたとえ熟睡していたって、気配ひとつで即座に臨戦態勢に入る。もちろん煉獄は決して冨岡の敵になどならないが、これだけ近づいても眠ったままなのは解せない。無防備すぎる。
もしや体調不良か!? よもや血鬼術にかかったのでは……っ。
ふと思ったら矢も楯もたまらず、さりとてやはり無粋な起こし方などしたくはない。
即断即決が生死を分ける鬼殺隊の、ましてや煉獄は柱である。こんなささいなことで逡巡するなど、常ならばあり得ない。万が一、冨岡が血鬼術によっていつにない姿をさらしているのなら、ためらうこの時間が冨岡にとって致命的な事態につながる可能性だってあるのだ。
悩んでいる場合か。起こさなければ。
心定め、煉獄が足を踏み出したと同時に、不意に冨岡がゆらりと揺れた。
気が付けば、煉獄は冨岡の隣にサッと我が身を据えていた。コテンと肩口に落ちてきた冨岡の頭。顔が近い。冨岡はまだ目覚めない。すぅすぅともれる寝息は穏やかだ。
冨岡からは、鬼の気配はみじんも感じられなかった。どうやら本当に寝入っているだけのようだ。
安堵する間もなく、煉獄の鼓動はドッドッとまるで疾走する荒馬のごとくに速まった。ただ寝ているだけならば、起こさずに済んでよかったと思うそばから、このままでは己の大きな鼓動で冨岡を起こしてしまうのではないかと不安になる。そしてまた、むやみやたらと恥ずかしくもなった。
同僚が自分の肩にもたれて眠っている。ただそれだけだ。べつに問題ある行動なわけではない。当たり前とは言い難い事態ではあるが、なにも差し障りなどないはずなのに。
なのになぜ、俺の心臓はこんなにも落ち着きなく騒ぎ立てるのだろう。
騒がしい鼓動を持て余しつつ、煉獄はそろりと冨岡の寝顔を伺い見た。
癖の強い漆黒の髪は艶やかで、ところどころはねている。なんとなし、子供みたいだとまた思う。この髪は、触れたら柔らかいのだろうか。それとも硬質な印象そのままに強《こわ》いのか。そんなことがなぜだかやけに気になってしょうがない。
冷徹にも見られがちな目は伏せられて、豊かなまつ毛が目元に影を落としている。唇はうっすらと開かれていた。
改めて見れば、冨岡という男の容貌はつくづく優れている。涼やかな目元も小ぶりな口も、まるで達人が作り上げた活き人形のように整い美しい。そんな今更の発見に、煉獄の鼓動はますます暴れだす。
無防備そのものな寝顔は、日頃の冨岡よりもずっとやわらかく、あどけなかった。
なんて、麗しい人だろう。
知っていたはずだ。冨岡が容色優れた人であるのも、その強さも、情に厚くまっすぐな心根も。煉獄が炎柱を襲名して以来の付き合いだ。それなりに彼の為人は理解しているつもりだった。むしろ、ほかの者よりずっと理解していると思っていた。
それなのに、今初めて冨岡義勇という人に出会ったかのような気がして、不思議な感慨が煉獄の胸に満ちる。
あぁ、鼓動がうるさい。冨岡にも聞こえてしまいそうだ。けれど冨岡の重みも温もりも、どうにも離れがたくて煉獄は動けない。
もうじき悲鳴嶼たちもやってくる。もう少し寝かせてやりたいと思うけれど、早く起きてくれとも願ってしまう。冨岡の警戒心など露と見えない稚《いとけな》くすらある寝顔。これをほかの者も目にするかもしれないと思うと、妙に胸が焼けてしかたなかった。
人の輪に背を向けがちな冨岡が、もっと好かれるようになればいいと思っている。たしかにそれを願っているのに、なぜだろう。こんな無防備な姿を俺以外には見せないでくれと希《こいねが》ってしまいそうだ。
理由のわからぬ焦燥に煉獄が悶々としていると、冨岡の瞼がピクリと震えた。
スッと開かれた目が、パチリとまばたく。冨岡が現状を認識したのはきっと一瞬だ。寝顔よりもずっとあどけない表情で、白い顔《かんばせ》を朱に染めた冨岡は、飛びのくように離れていった。
残念だと思うと同時に、煉獄はなんだか笑いたくなった。どことなし感動してもいた。
君は、こんなにも愛らしい人でもあったのか。
「……すまない」
「なに、気にするな! この陽気だ、居眠りぐらい誰だってするだろう!」
いや、不満というのは語弊がある。文句を言いたいわけでもないし、苛立ちは欠片も感じないのだ。どちらかといえば焦れたさに似て、ソワソワと落ち着かない心持ちになる。
もっと気安く皆と交流を深めればいいのに。冨岡の為人《ひととなり》をちゃんと知れば、忌避されることなどなくなるだろうに。思っては、ならば先陣きって俺が踏み込むべきだろうと、せっせと声をかけてきた。あまり功を奏しているとは思えぬ現状ではあるが、努力は認めてほしいところである。
ともあれそんな具合で、煉獄が冨岡に声をかけてはつれなくされる光景は、柱合会議では見慣れたものとなっている。
会議のためにお館様の屋敷で足を進める煉獄の胸には、いつものごとくなにがしかの進展を期待し燃えている。無惨については無論のこと、せめて上弦の鬼に関するものでもいい、有力な情報が欲しい。わずかばかりの焦燥とそれを大いに上回る意気軒高とした意気込みには、同等の熱意でもって冨岡は食事の誘いにうなずいてくれるだろうかという、願望が入り混じっていた。
いつも断られてしまうが、今日は悲鳴嶼や甘露寺、胡蝶あたりも一緒に誘うと言ってみようか。彼らは冨岡に対しわだかまりなどないように見えるし、きっと冨岡も楽しめるだろう。煉獄は希望に胸ふくらませ広い庭を進む。
いた。目に入った姿に、煉獄はパッと相好を崩した。半無地半柄の風変わりな羽織、冨岡だ。
だいぶ早い到着になったと思っていたが、冨岡ももう来ていたとは運がいい。冨岡を厭う不死川や伊黒がいる場で誘うよりも、冨岡も了承しやすいだろう。
嬉々として歩みを進める煉獄の視線の先で、冨岡は濡れ縁の柱に背を預け座し、いつもよりもうつむいている。
近づき、いつものように声をかけようとした煉獄は、けれど身じろぎ一つできなくなった。
すぅすぅと静かな寝息が聞こえる。冨岡はどこかあどけない顔をしてうたた寝していた。
季節は春。日差しの暖かさに誘われたのだろうか。たしかに今日はいい陽気だ。煉獄とて自室で書など読んでいたのなら、居眠りの一つもしていただろう。
いつもどおりに声をかければ、冨岡が起きてしまう。いや、もうじきほかの面々も到着するのだ、起こしてやるべきだ。理性はそう促すのだが、煉獄はやっぱり動き出せなかった。
なぜだかひどく嫌なのだ。起こしてしまうのが忍びない。もったいないなどという文言が頭に浮かぶ。
春の陽気につられうたた寝する冨岡は、年上だというのに子供のように見えてなんだかほほえましい。ただそれだけのはずが、やけにドキドキする。冨岡が目を覚ませばきっと、寝顔を見る機会などもうないだろう。それがどうしても惜しかった。
じっと見つめる煉獄の視線にさらされていても、不思議と冨岡は目を覚ます気配がない。柱である冨岡は気配に敏《さと》い。煉獄もたとえ熟睡していたって、気配ひとつで即座に臨戦態勢に入る。もちろん煉獄は決して冨岡の敵になどならないが、これだけ近づいても眠ったままなのは解せない。無防備すぎる。
もしや体調不良か!? よもや血鬼術にかかったのでは……っ。
ふと思ったら矢も楯もたまらず、さりとてやはり無粋な起こし方などしたくはない。
即断即決が生死を分ける鬼殺隊の、ましてや煉獄は柱である。こんなささいなことで逡巡するなど、常ならばあり得ない。万が一、冨岡が血鬼術によっていつにない姿をさらしているのなら、ためらうこの時間が冨岡にとって致命的な事態につながる可能性だってあるのだ。
悩んでいる場合か。起こさなければ。
心定め、煉獄が足を踏み出したと同時に、不意に冨岡がゆらりと揺れた。
気が付けば、煉獄は冨岡の隣にサッと我が身を据えていた。コテンと肩口に落ちてきた冨岡の頭。顔が近い。冨岡はまだ目覚めない。すぅすぅともれる寝息は穏やかだ。
冨岡からは、鬼の気配はみじんも感じられなかった。どうやら本当に寝入っているだけのようだ。
安堵する間もなく、煉獄の鼓動はドッドッとまるで疾走する荒馬のごとくに速まった。ただ寝ているだけならば、起こさずに済んでよかったと思うそばから、このままでは己の大きな鼓動で冨岡を起こしてしまうのではないかと不安になる。そしてまた、むやみやたらと恥ずかしくもなった。
同僚が自分の肩にもたれて眠っている。ただそれだけだ。べつに問題ある行動なわけではない。当たり前とは言い難い事態ではあるが、なにも差し障りなどないはずなのに。
なのになぜ、俺の心臓はこんなにも落ち着きなく騒ぎ立てるのだろう。
騒がしい鼓動を持て余しつつ、煉獄はそろりと冨岡の寝顔を伺い見た。
癖の強い漆黒の髪は艶やかで、ところどころはねている。なんとなし、子供みたいだとまた思う。この髪は、触れたら柔らかいのだろうか。それとも硬質な印象そのままに強《こわ》いのか。そんなことがなぜだかやけに気になってしょうがない。
冷徹にも見られがちな目は伏せられて、豊かなまつ毛が目元に影を落としている。唇はうっすらと開かれていた。
改めて見れば、冨岡という男の容貌はつくづく優れている。涼やかな目元も小ぶりな口も、まるで達人が作り上げた活き人形のように整い美しい。そんな今更の発見に、煉獄の鼓動はますます暴れだす。
無防備そのものな寝顔は、日頃の冨岡よりもずっとやわらかく、あどけなかった。
なんて、麗しい人だろう。
知っていたはずだ。冨岡が容色優れた人であるのも、その強さも、情に厚くまっすぐな心根も。煉獄が炎柱を襲名して以来の付き合いだ。それなりに彼の為人は理解しているつもりだった。むしろ、ほかの者よりずっと理解していると思っていた。
それなのに、今初めて冨岡義勇という人に出会ったかのような気がして、不思議な感慨が煉獄の胸に満ちる。
あぁ、鼓動がうるさい。冨岡にも聞こえてしまいそうだ。けれど冨岡の重みも温もりも、どうにも離れがたくて煉獄は動けない。
もうじき悲鳴嶼たちもやってくる。もう少し寝かせてやりたいと思うけれど、早く起きてくれとも願ってしまう。冨岡の警戒心など露と見えない稚《いとけな》くすらある寝顔。これをほかの者も目にするかもしれないと思うと、妙に胸が焼けてしかたなかった。
人の輪に背を向けがちな冨岡が、もっと好かれるようになればいいと思っている。たしかにそれを願っているのに、なぜだろう。こんな無防備な姿を俺以外には見せないでくれと希《こいねが》ってしまいそうだ。
理由のわからぬ焦燥に煉獄が悶々としていると、冨岡の瞼がピクリと震えた。
スッと開かれた目が、パチリとまばたく。冨岡が現状を認識したのはきっと一瞬だ。寝顔よりもずっとあどけない表情で、白い顔《かんばせ》を朱に染めた冨岡は、飛びのくように離れていった。
残念だと思うと同時に、煉獄はなんだか笑いたくなった。どことなし感動してもいた。
君は、こんなにも愛らしい人でもあったのか。
「……すまない」
「なに、気にするな! この陽気だ、居眠りぐらい誰だってするだろう!」
作品名:うたた寝枕はただ一人の特権 作家名:オバ/OBA