いのちみじかし 中編
獣舎が建ち並んでいるせいか、花屋敷には獣特有の臭いが薄く漂っている。
きっと家畜の世話や畑仕事とは無縁な暮らしなのだろう、獣臭やときおり混じる糞尿の臭いを厭い、あからさまに顔をしかめている女性はそこここで見受けられた。だが、子供たちは平然としたものだ。キャアキャアとはしゃいだ声をあげ走りだそうとする子を叱る親たちの姿は、義勇が幼い時分となんら変わりがない。
晴れて爽やかな五月の空はまぶしく、行楽には最適な日和であった。平日とはいえ観光客の数はそれなりだ。行き交う客には、就学前の幼子連れないかにも上流と知れる家族や、交際中らしき若い男女が多い。若い男性同士で連れ立っている姿は稀だ。当然のことながら、手をつなぎ合って歩く者など、幼子以外にはとんと見かけることはない。
周囲の目に自分たちはどう見えているのだろう。ふと思い、義勇は煉獄とつなぎあったままの手に、ためらいを多分に含む視線をちらりと向けた。
血縁には見えぬだろうし、揃いの隊服からなにがしかの仲間だろうと見当をつけたとしても、つないだ手には疑問が残るに違いない。よしんば刎頸の友と呼びあう仲であっても、幼子でもあるまいし手をつないで歩くのはいきすぎた親密さではなかろうか。
屋内にいるうちは出し物に集まっていた注目も、屋外ではそうもいかない。不躾な視線を感じ取るたび気になって、何度も煉獄の横顔をうかがい見てしまう。
大の男が手をつなぎあって歩く姿は、傍からすれば奇異に映るだろう。自身はさておき、煉獄の器量を下げるわけにはいかない。たびたび義勇は胸中でハラハラと気をもんだ。
けれども義勇の不安をよそに、煉獄の顔から笑みが消えることはなく、他人の視線を気に留めるそぶりだって微塵もない。
あんまり煉獄が堂々としているものだから、気にする自分こそがおかしいのかもしれないとすら思えてくる。そもそも義勇は人目を気にする質《たち》でもない。花々やらめずらしい動物たちを見て回るうちに、煉獄の無邪気ともいえる朗らかさにつられ、周章や戸惑いは次第に薄れていった。
虎の檻についたときには、すっかり義勇は穏やかな心持ちになっていた。姉と来演した折に一番印象深かったのが虎だったこともあり、少なからず義勇もワクワクと胸弾ませもした。だが。
幼い時分に訪れたときには、物珍しさに人だかりができていて、義勇の目に虎はどこか苛立って見えた。けれども今、視線の先にいる虎は、あのころとはだいぶ様子が異なる。
義勇が知るかぎり、虎が花屋敷に展示され出してからずいぶんと経っているはずだ。虎の寿命など皆目わからないけれど、当時と同じ虎ならば、ずいぶんと老齢なのかもしれない。幼いころに義勇が感じた猛々しさなどどこにもなく、虎は怠惰に寝こけていた。
煉獄と虎の瞳はなんとなく似ていると思っていただけに、煉獄に対して心なし申しわけない気にもなったし、落胆にわずかばかり眉が下がる。
人々の視線などどこ吹く風と、虎は目覚める気配がない。客もみな雄々しい姿を期待していたものか、怠惰な虎には義勇同様に拍子抜けした体《てい》だ。立ち止まり檻に向かって身を乗り出す客などほとんどいなかった。
とはいえ皆無ではない。喜色をあらわに食いつくように凝視する者だって、わずかながらいる。ほかでもない煉獄だ。
「おぉ! 虎を見るのも初めてだ! 炎の呼吸には虎を冠した技があるが、実物を見たことはなかったんだ」
少しばかり落胆した義勇と違い、煉獄には屈託がなかった。
「そうなのか?」
檻のなかでのそりと寝そべる虎を見るなり目を輝かせた煉獄に、義勇は小さく問いかけた。
初めてがこれではさぞガッカリするだろうと思いきや、煉獄はまったく落胆した様子など見せなかった。興奮をあらわに身を乗り出すさまと笑顔は、いかにも稚気にあふれ、威風堂々たる男だというのになんとも微笑ましい。自然、義勇の声音も和らぐ。
「うむ! そもそも、任務以外でこういった娯楽場に来たことなど一度もない。幼いころから話には聞いていたが、本当に楽しい場所だ。見るもの聞くものすべて心弾んでしまうな! 花屋敷は、いつか行けたらいいとずっと思っていた場所なんだ……君とこられてよかった」
だらしない姿で眠る虎をまっすぐ見つめ言う煉獄の顔は、鬱屈も寂寥も見受けられぬ笑みだけが浮かんでいる。だがその言に、義勇の胸はふたたびツキンと痛んだ。
屈託のない笑顔にくらべ、噛みしめるような煉獄の声音は静かで、子供時分から抑えてきただろう憂いがほんの少し顔をのぞかせた気がする。
自分の勝手な思い込みだとしても、煉獄がなにがしか悲しさを抱えているのなら、わずかなりと和らげる手伝いがしたい。そんな衝動に突き動かされ、義勇は思わずつないだままの手に力を込めた。
「冨岡?」
「もう二度と、来ることはないだろうと思っていた。俺も、煉獄が誘ってくれてうれしい」
今の煉獄が真実寂しい思いをしていたとしても、義勇にはそれを払う術《すべ》など思いつかない。煉獄の心に少しでも寄り添えるのを願うばかりだ。
幼いころからそばにいられたならと悔しがったところで意味はない。よしんば幼少期をともに過ごしたとしても、自分のような者が煉獄を救えるはずもないし、時を戻す術だって無いのだ。それでも義勇は、幼い煉獄へと思いを馳せずにはいられなかった。
俺も花屋敷に連れて行って。子供なら口にして当然のそんな願いを飲み込むたびに、幼い煉獄は暗い部屋で能楽を舞ったんだろう。きっと物心がついたころから我を抑えることを知る子供だったに違いない。己の命よりも他者を優先する鬼狩りに、柱にと、生まれたときから望まれ教育をうけたのは、想像に難くなかった。
生まれついての覚悟を求められる立場であろうとも、夜を駆け鬼を狩る日々に、悲しみや後悔を抱えたこともあるだろう。義勇も刀を振るい鬼を斬る月日のなかで、幾度も自分の不甲斐なさにうつむき唇を噛みしめたものだ。煉獄の生い立ちが特別であろうと、その経験と悔恨はきっと義勇と変わらずあったに違いない。
力およばず目の前で命を失った仲間の躯《むくろ》。間に合わなかった己に向けられる、罪なき人の光を失っていく目と血にまみれた顔。義勇の心に突き刺さり、抜けぬ棘となったそんないくつもの光景を、煉獄も目にしてきたはずだ。
棘は楔となり、義勇を生につなぎとめる。無惨を斃せ鬼を滅せよ。生あるかぎり戦え。楔は絶えることなく命じる。儚く命が散るその日まで、鼓動が完全に途絶えるまで、刀を振るい鬼を斬れと。だから義勇は、鬼狩りとしての歩みを止めずにいる。
煉獄も同じだろうか。思い、義勇はじっと煉獄の目を見つめた。
そんな楔を打ち込まれた日にも、煉獄は能楽を舞ってきた。そんな気がしてならない。ほんの束の間、嘆きに足を止めるときですら、全力で動いたままでいるために。落胆や悲哀に歩みを止めぬよう、煉獄は一人舞うのだろうと。
煉獄がどのようなときに弟の目さえ避けて舞い、土蜘蛛の糸を投げていたのか。本当のところはわかりはしない。義勇は煉獄の言葉の端々から想像するしかない。同じ柱ではあっても、肝胆相照《かんたんあいて》らすとは言い難いのが正直なところだ。
きっと家畜の世話や畑仕事とは無縁な暮らしなのだろう、獣臭やときおり混じる糞尿の臭いを厭い、あからさまに顔をしかめている女性はそこここで見受けられた。だが、子供たちは平然としたものだ。キャアキャアとはしゃいだ声をあげ走りだそうとする子を叱る親たちの姿は、義勇が幼い時分となんら変わりがない。
晴れて爽やかな五月の空はまぶしく、行楽には最適な日和であった。平日とはいえ観光客の数はそれなりだ。行き交う客には、就学前の幼子連れないかにも上流と知れる家族や、交際中らしき若い男女が多い。若い男性同士で連れ立っている姿は稀だ。当然のことながら、手をつなぎ合って歩く者など、幼子以外にはとんと見かけることはない。
周囲の目に自分たちはどう見えているのだろう。ふと思い、義勇は煉獄とつなぎあったままの手に、ためらいを多分に含む視線をちらりと向けた。
血縁には見えぬだろうし、揃いの隊服からなにがしかの仲間だろうと見当をつけたとしても、つないだ手には疑問が残るに違いない。よしんば刎頸の友と呼びあう仲であっても、幼子でもあるまいし手をつないで歩くのはいきすぎた親密さではなかろうか。
屋内にいるうちは出し物に集まっていた注目も、屋外ではそうもいかない。不躾な視線を感じ取るたび気になって、何度も煉獄の横顔をうかがい見てしまう。
大の男が手をつなぎあって歩く姿は、傍からすれば奇異に映るだろう。自身はさておき、煉獄の器量を下げるわけにはいかない。たびたび義勇は胸中でハラハラと気をもんだ。
けれども義勇の不安をよそに、煉獄の顔から笑みが消えることはなく、他人の視線を気に留めるそぶりだって微塵もない。
あんまり煉獄が堂々としているものだから、気にする自分こそがおかしいのかもしれないとすら思えてくる。そもそも義勇は人目を気にする質《たち》でもない。花々やらめずらしい動物たちを見て回るうちに、煉獄の無邪気ともいえる朗らかさにつられ、周章や戸惑いは次第に薄れていった。
虎の檻についたときには、すっかり義勇は穏やかな心持ちになっていた。姉と来演した折に一番印象深かったのが虎だったこともあり、少なからず義勇もワクワクと胸弾ませもした。だが。
幼い時分に訪れたときには、物珍しさに人だかりができていて、義勇の目に虎はどこか苛立って見えた。けれども今、視線の先にいる虎は、あのころとはだいぶ様子が異なる。
義勇が知るかぎり、虎が花屋敷に展示され出してからずいぶんと経っているはずだ。虎の寿命など皆目わからないけれど、当時と同じ虎ならば、ずいぶんと老齢なのかもしれない。幼いころに義勇が感じた猛々しさなどどこにもなく、虎は怠惰に寝こけていた。
煉獄と虎の瞳はなんとなく似ていると思っていただけに、煉獄に対して心なし申しわけない気にもなったし、落胆にわずかばかり眉が下がる。
人々の視線などどこ吹く風と、虎は目覚める気配がない。客もみな雄々しい姿を期待していたものか、怠惰な虎には義勇同様に拍子抜けした体《てい》だ。立ち止まり檻に向かって身を乗り出す客などほとんどいなかった。
とはいえ皆無ではない。喜色をあらわに食いつくように凝視する者だって、わずかながらいる。ほかでもない煉獄だ。
「おぉ! 虎を見るのも初めてだ! 炎の呼吸には虎を冠した技があるが、実物を見たことはなかったんだ」
少しばかり落胆した義勇と違い、煉獄には屈託がなかった。
「そうなのか?」
檻のなかでのそりと寝そべる虎を見るなり目を輝かせた煉獄に、義勇は小さく問いかけた。
初めてがこれではさぞガッカリするだろうと思いきや、煉獄はまったく落胆した様子など見せなかった。興奮をあらわに身を乗り出すさまと笑顔は、いかにも稚気にあふれ、威風堂々たる男だというのになんとも微笑ましい。自然、義勇の声音も和らぐ。
「うむ! そもそも、任務以外でこういった娯楽場に来たことなど一度もない。幼いころから話には聞いていたが、本当に楽しい場所だ。見るもの聞くものすべて心弾んでしまうな! 花屋敷は、いつか行けたらいいとずっと思っていた場所なんだ……君とこられてよかった」
だらしない姿で眠る虎をまっすぐ見つめ言う煉獄の顔は、鬱屈も寂寥も見受けられぬ笑みだけが浮かんでいる。だがその言に、義勇の胸はふたたびツキンと痛んだ。
屈託のない笑顔にくらべ、噛みしめるような煉獄の声音は静かで、子供時分から抑えてきただろう憂いがほんの少し顔をのぞかせた気がする。
自分の勝手な思い込みだとしても、煉獄がなにがしか悲しさを抱えているのなら、わずかなりと和らげる手伝いがしたい。そんな衝動に突き動かされ、義勇は思わずつないだままの手に力を込めた。
「冨岡?」
「もう二度と、来ることはないだろうと思っていた。俺も、煉獄が誘ってくれてうれしい」
今の煉獄が真実寂しい思いをしていたとしても、義勇にはそれを払う術《すべ》など思いつかない。煉獄の心に少しでも寄り添えるのを願うばかりだ。
幼いころからそばにいられたならと悔しがったところで意味はない。よしんば幼少期をともに過ごしたとしても、自分のような者が煉獄を救えるはずもないし、時を戻す術だって無いのだ。それでも義勇は、幼い煉獄へと思いを馳せずにはいられなかった。
俺も花屋敷に連れて行って。子供なら口にして当然のそんな願いを飲み込むたびに、幼い煉獄は暗い部屋で能楽を舞ったんだろう。きっと物心がついたころから我を抑えることを知る子供だったに違いない。己の命よりも他者を優先する鬼狩りに、柱にと、生まれたときから望まれ教育をうけたのは、想像に難くなかった。
生まれついての覚悟を求められる立場であろうとも、夜を駆け鬼を狩る日々に、悲しみや後悔を抱えたこともあるだろう。義勇も刀を振るい鬼を斬る月日のなかで、幾度も自分の不甲斐なさにうつむき唇を噛みしめたものだ。煉獄の生い立ちが特別であろうと、その経験と悔恨はきっと義勇と変わらずあったに違いない。
力およばず目の前で命を失った仲間の躯《むくろ》。間に合わなかった己に向けられる、罪なき人の光を失っていく目と血にまみれた顔。義勇の心に突き刺さり、抜けぬ棘となったそんないくつもの光景を、煉獄も目にしてきたはずだ。
棘は楔となり、義勇を生につなぎとめる。無惨を斃せ鬼を滅せよ。生あるかぎり戦え。楔は絶えることなく命じる。儚く命が散るその日まで、鼓動が完全に途絶えるまで、刀を振るい鬼を斬れと。だから義勇は、鬼狩りとしての歩みを止めずにいる。
煉獄も同じだろうか。思い、義勇はじっと煉獄の目を見つめた。
そんな楔を打ち込まれた日にも、煉獄は能楽を舞ってきた。そんな気がしてならない。ほんの束の間、嘆きに足を止めるときですら、全力で動いたままでいるために。落胆や悲哀に歩みを止めぬよう、煉獄は一人舞うのだろうと。
煉獄がどのようなときに弟の目さえ避けて舞い、土蜘蛛の糸を投げていたのか。本当のところはわかりはしない。義勇は煉獄の言葉の端々から想像するしかない。同じ柱ではあっても、肝胆相照《かんたんあいて》らすとは言い難いのが正直なところだ。
作品名:いのちみじかし 中編 作家名:オバ/OBA