いのちみじかし 中編
もちろん、嫌われてはいないだろう。気安く接してもくれる。こうして連れ立ち、手をつなぎさえするのだ。煉獄はいつでも嬉しそうに義勇に笑いかけてくれる。
それでも、煉獄が胸襟を開き赤裸々に悩みを打ち明けてくれるなどと、思い上がれるはずもなかった。
そもそもが自分の勘違いかもしれない、煉獄のことを理解し尽くしているとはとうてい言えぬ身なのだからと、楽観と悲嘆が入り交じって心に浮かぶ。
義勇は煉獄を見つめたままわずかに瞳を揺らせた。真実、煉獄が寂寥や苦悩を抱えていたとしても、自分ごときが力になれるはずもない。きっと役立たずだ。
それでも、目をそらしてしまうのは嫌だった。
「うれしいと、思ってくれるのか……。俺のほうこそ光栄だ! 君が誰かとここで逢い引きしたことがあるのかもしれないと思ったときには、いささか慌てたが、姉上でよかった!」
滲んでいた憂いがきれいに消え失せ、いつもの笑みを見せてくれたのはいいが、なにやら聞き捨てならぬ文言だ。義勇の眉根が知らず寄る。
「逢い引き?」
「す、すまん! とんでもない勘違いをしてしまって申し訳なかった! 花屋敷は、その、父上と母上が、初めて二人で訪れた場所らしくてな。奥山閣《おうざんかく》が移築されたから話の種にぜひと、父上に誘っていただいたのだと……幼いころに母上から聞いたことがあるんだ。それで、つい……」
なるほど、逢い引きという言葉が出てきたのはそのせいか。納得がいったと、義勇はうなずきで応えた。
おそらくは、煉獄にとって印象的な場所だったのだろう。憧れと置き換えてもいいかもしれない。だが、それならば。
「俺も、すまない」
我知らずうつむき言った義勇の謝罪は、煉獄にしてみればよほど思いがけぬものだったらしい。めずらしくも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、しきりと目をしばたかせている。責める色などまるでない目で見つめられ、なおのこと義勇はいたたまれなくなった。
「なぜ君が謝るのか、さっぱりわからないのだが」
「俺と出くわさなければ、煉獄が初めてここにくるのは、好いた女性とだったはずだ。思い出の場所に同行したのが俺では、煉獄の母上にも申し訳がない」
煉獄と手をつなぎ物めずらしさに歓声を上げたり、可憐な花々の前で顔を見合わせ微笑みあうなら、もっとふさわしい人がいるはずだ。こんな無骨で固い手の自分などではなく、たおやかで柔らかな手の女性であるべきだろう。
罪悪感と同時にまた不可解な痛みが胸を襲い、義勇は小さく唇を噛んだ。
手をつないでいることが、無性に恥ずかしくなった。煉獄のやさしさに甘え、子供のように手をつないだままでいるなんて、厚かましいにもほどがある。なにが祝いだ。祝う心があるのなら、煉獄の貴重な時間を奪うような真似をすべきじゃなかった。思い至らずにいた自分が情けない。
けれど、それでも義勇は、煉獄の手を振りほどくことができなかった。
煉獄の熱い手は、記憶にある錆兎の手よりずっと大きく固い。錆兎と同じぐらい安心するのに、錆兎とは違ってなぜだか心が騒ぐ。
理由はいまだつかめない。姉と一緒に歩いた場所である花屋敷も、演目は違えど記憶と大差はないはずだ。なのに隣りにいるのが煉獄であるだけで、以前よりもずっと、心弾む場所に思えてくる。
もしも煉獄が嫌でなければ、もう少しだけこのまま手をつないでいてもいいだろうか。さもしいと思いながらも、どうにも手を離し難い。心優しい煉獄ならば快諾してくれるのではないかとの期待は消えず、けれども、もう少しだけこのままでと口に出すことは叶わなかった。
「俺は君と来たかった! ずっと前から願っていたんだ。冨岡、父上たちと同じように君と手をつなぎ花屋敷をめぐる日を、何度も思い描いていた。心から好いている人とこられたのだ、こんなに幸せなことはない! 母上だってきっと喜んでくださっているはずだ!」
煉獄の声はいつでも大きい。ただでさえ地声が大きいのに加え、こんなにも声を張り上げられれば、至近距離で聞く義勇の鼓膜には大打撃だ。
驚いたのは義勇ばかりではない。木々に止まっていた鳥は一斉に飛び去り、惰眠を貪っていた虎も野生を取り戻したか、飛び起き威嚇の咆哮を上げる始末である。ほかの獣舎でも草食動物が逃げ出そうとでもしているのか、あちらこちらから騒ぐ動物と人の声が聞こえてくる。
キーンと耳鳴りがして目を回しかけた義勇を、煉獄は、顔を真赤にして見つめている。手を離すどころか、義勇は、空いていた手まで取られて力いっぱい握りしめられた。
体ごと向き直らされ、強い眼差しを真っ向から受け止める。飼いならされ日がな檻のなかで眠る虎よりも、煉獄の金と朱に彩られた瞳はずっと猛々しく、焼き尽くされそうに熱い。けれどもそこには、隠しようのない誠実さと途方もないやさしさもまた、溺れんばかりにあふれていた。
『目は心の窓なのだそうですよ』
耳鳴りにまぎれ義勇の頭の片隅をよぎったのは、そんな言葉だ。
ほんの少し愉快げな声で言ったのは誰だったか。時を置かず記憶の底から浮かび上がった顔は、けれどもすぐに消えた。心に打ち込まれた楔の一つとなったその人には申し訳ないが、義勇の思考が他事《ほかごと》にとらわれるのを、射抜くようにまっすぐな煉獄の視線が許してくれない。
「好いている人……」
ようやく呟いた義勇に、煉獄の顔がますます赤みを増した。目はいっそう見開かれ、眼力で顔に穴でも開けられそうだ。グッと引き結ばれた唇は、ともすれば怒りをたたえているようにも見える。
だが、義勇が怯むより早く開かれた煉獄の唇が紡いだ言葉は、ただ静かで、どこまでも真摯な響きをしていた。
「君だ。俺が一緒にここへ来たかった人も、父上と母上のように寄り添い合いたい人も、ただひとり、君だけだ。心の底から好いていると世界中に胸を張って言える人など、君以外どこにもいない、冨岡」
檻のなかをウロウロと歩き回る虎は、まだ唸り声をあげている。周囲の行楽客はきっと遠巻きに、けれども下卑た好奇心を隠さず、うかがい見ていることだろう。
色恋にうといことは、義勇とて自覚している。鬼殺の道に恋情など必要がなく、おそらくは情を交わし合う相手など、命果てるその日まで縁なきものと思ってもいた。ましてやそれが誰の目にも柱にふさわしい煉獄にだなどと、誰が思うものか。
公衆の面前で男同士が惚れた腫れたと告白するなんて、場末の三文芝居と変わらぬくだらなさに違いない。誰が見ても雄偉とした煉獄にとっては、面目をつぶす状況だ。冗談はよせと手を払い、聞かなかったことにすると告げるのが、とるべき反応としては最善に決まっている。
それでも。
じわじわと、義勇の頬に血が昇っていく。やけに顔が熱い。きっと自分の顔は猿のごとくに赤く染まっているだろうと、義勇は燃えるような頬の熱さに戸惑い思う。
煉獄の視線はいっこうに外されることがなく、まっすぐに義勇を見据えている。熱い手はなおいっそう熱を増し、握りしめられる義勇の手も汗ばんできていた。それがなぜだか妙に恥ずかしい。
作品名:いのちみじかし 中編 作家名:オバ/OBA