天空天河 九
十四 千年梅樹
「景琰、丁度良い所に。」
靖王が蘇宅の地下通路からの扉を開けた。
書房では今、梅長蘇が小さな炉で湯を沸かし、茶を淹れようとしていた。
「、、、は?、、、まさか、、、、。」
長蘇の机の上の茶道具に、靖王はハッとする。
地下通路の扉を開けた時は、茶とは別の香がした。
この香りは、三日三晩、長蘇に飲まされ続けた茶と同じ香りではなかったが、机の上には、あの忌まわしい茶道具が並んでいた。
靖王は練習に自分の淹れた茶を散々飲み。
今、靖王の口の中には、自分の淹れた茶の渋みが蘇り、一気に憂鬱になった。
「珍しい茶が手に入ったのだ。
景琰に飲ませたいと思ってな。
今、試しに淹れているのだが、景琰が来たのなら丁度良い。
西域の更に西のものらしい。
変わった色なのだ。
見てみろ、真っ紅なのだぞ。香りも悪くない。」
長蘇の目の前には、紅い液体の入った茶の器が二つ並んでいる。
━━こんな色の液体は、薬か毒くらいでしか見たことがない。━━
「、、、、、小殊、、、まさかそれを飲む気か?。
お前、それは飲んでも大丈夫なものなのか?。」
「『大丈夫』だとは?。西の民とは言え、同じ人間が飲んでいるのなら、大丈夫だろ?。
景琰、お前は気にならないか?、この色にこの香。
どんな味なのだろう、、。
こちらの茶とは違うな。随分と主張のある、強い香りだ。」
長蘇は興味津々と茶の器を持ち、香っている。
靖王は眉間に深い縦ジワを刻んでいる。
「小殊ッ、、、、得体の知れない茶、香りだけにしておけ、、、
、、、、、、、ぁぁぁぁ!!!。」
長蘇は靖王の心配を気にもかけずに、茶を口に含む。
「なんて奴だ!、いきなり飲むなんて!。」
靖王が長蘇の手首を掴んで、器を取り上げた。
「、、、ンッッ、、、景、、。」
靖王は乱暴に取り上げたので、長蘇の口から茶が零れ、口元を濡らした。
急いで靖王は手巾を出して、長蘇の口元に当てた。
「小殊ッ!、吐き出せ!、そんな紅いの、毒だったらどうするのだ!。」
「もーのんら!、らんともらい。」
口元に手巾を充てられたまま、長蘇は口を動かす。
「、、、飲んでしまっただと?!。
お前はどうしてそこまで無鉄砲なのだ、、、、。
、、、いや、無鉄砲は昔からか、、、。」
靖王が手巾を外すと、そこには愁傷な顔の長蘇がいた。
「、、、景琰、、、随分な良いようだ、、。」
━━ぁぁ、、しまった、、少し怒り過ぎたか、、。━━
たが、長蘇にはそんな靖王の心が、手に取るように分かるのだ。
長蘇は反省した様に潮 (しお)らしく、項垂れた。
「景琰、、、私は好奇心が強いのを分かっているだろう?。
お前が心配しているのは理解していて、有り難いと思っている。
だが既に『魔』に冒されて大概の毒は効かん。
心配は無用というか、心配事態が無駄なのだ。
ま、景琰が心配というなら、共有しようでは無いか。
ほれ。」
長蘇はそう言うと、『飲め』と言わんばかりに靖王の顔の前に、もう一つの器に注がれていた紅い茶を差し出す。
「ぅわ、、、、飲まぬ!!。」
靖王は机越しに差し出された茶を避けて、仰け反る。
「そうか、なら私が飲む。」
長蘇は手に持った茶をぐいと煽る。
「ば、、馬鹿ッッッ。」
仰け反った靖王は長蘇が茶を飲むのを防げず、靖王が器を取り上げようと手を出した時には、長蘇はごくりと飲み下していた。
「小殊、、、何という事を、、、、。」
「プッッ、、、あはははは、、、。」
靖王の呆然とした顔が面白くて、長蘇は笑いが止まらなくなった。
━━私がこれ程心配をしているのに、笑っているだと?!。
人の気も知らないで、、、小殊ときたら、、、。━━
腹の底がむかむかしてくる靖王。
何処か楽しそうな長蘇の様子に、弄ばれていると気が付く靖王。
━━そうだ、昔からこういう奴だった、、、。
忘れていたぞ。━━
「誰か!!!。」
靖王の声が蘇宅に響き渡る。
「『誰か』って誰だ?。
地下通路から、私の屋敷に単身で来て誰を呼ぶと?。」
すると何故か蘇宅の配下が部屋にやって来た。
靖王はその配下に言い付ける。
「この茶道具を片付けよ。
今後、この紅い茶を長蘇に飲ませてはならん!。」
「は??、何を言ってるんだ景琰。
私の配下がお前の言う事を聞くわけがなかろう、、、、、ン??、、、おいッッッ!!!。
黎綱!!、お前一体、誰の配下だ!!!。」
黎綱と呼ばれた配下は静々と二人に近付き、手早く茶道具を片付け始め、あっという間に盆一つに纏めてしまった。
「その紅い茶葉は私が預かる。」
靖王が手を出すと、黎綱は茶葉の入れ物を靖王に差し出した。
「黎綱、お前〜〜〜!!、主は誰だと!!。オボエテロヨ!!」
「小殊、何を言ってる。優秀な配下では無いか。
黎綱、小殊に怒られたら靖王府に来い。歓迎するぞ。」
返事をせずに頭を下げ、黎綱は茶道具を持って下がっていった。
「全く!!。プンプン」
「小殊、皆、小殊の体が心配しているのだ。
だから本来聞くべきではない私の命に従ったのだ。
私と同じで、得体の知れぬ茶なぞ、飲ませたくないのだ。
それなのにお前は、好奇心だけで外から来たものを、無警戒に体内に入れて、、、。
どれだけ気を揉んで小殊のやる事を見ていたか。
私は小殊の配下達の心配は、痛い程分かるぞ。
小殊も主なら、そこは分かってやれ。」
靖王は怒る長蘇を、配下達の為に良い含めてやる。
靖王は言いながら、茶の小箱を懐に入れた。
普通の者ならば、袖の中に入れる所だが。
武人である靖王は、袖が長い衣は動くのに邪魔で、普段は全く着ない。
『物』は懐に入れるしかないのだが、ことりと靖王の懐から音がして、先にもう一つ箱が入っているのが分かる。
「ん?、、景琰?、何か持ってきたのか??。」
長蘇は少し頬が膨らんで不満な顔をしていたが、靖王の懐からの音に興味が向いた。
「あ?、、、ああ、、、これか。」
靖王の顔が、ふふ、と綻んで、ごそごそと懐を漁る。
茶の小箱とは別の箱が、長蘇の目の前に置かれた。
赤い縁取りの黒い小箱。
茶葉の箱よりもかなり小さ目だ。
「何だ?。」
長蘇の問いに靖王が微笑んだ。
靖王は何も言わず、少しの期待に心が躍っている様だ。
嬉しさが隠せていない。
つい緩んでしまう口元を、そっぽを向いて、靖王は自分の拳骨で隠していた。
──何だ?、開けてみろと?。
一体何が入っているのだ。
皇帝の『魔』でも倒す『魔具』でも手に入れたか?。
そんな物があるのなら、今後が幾分楽になるのだが。
いやいやいや、、、景琰がそんな物を持っている筈がない、、、。
虫や変な仰天玩具?、、、いや、私じゃあるまいし。──
暫く小箱を振ったり、匂ったり、弄り回していたが、、、。
長蘇は何も思い当たらず、靖王の顔を見ながらゆっくりと小箱を開けた。
中には、大粒の真珠が淡い照りを纏わせて姿を現した。
長蘇の息が止まる。
「、、、、、ぁッ、。」
「私達は約束をしただろう?。」