天空天河 九
靖王が東海へ旅立つ前に、林殊は靖王府を訪れた。
悪戯めいた表情で、林殊は若き靖王に、土産を強請ったのだ。
『東海は真珠が有名だろう?、鶏の卵位のを頼む!。』
『は?、そんな大きな真珠、ある訳が、、、。』
『じゃぁ、鳩の卵位ので我慢するか。』
いつもの誂(からか)いだ、と、靖王が苦笑した。
『、、分かった、鳩の卵だな。』
『約束だぞ。』
鳩卵程もある大真珠は、大梁のどこを探しても、皇后か越貴妃位しか持ってない。
たぶんどうせ、良くても砂粒より大き目の普通の真珠を持ってくる、林殊はそう思っていた。
だが真面目な靖王は、林殊の為に鳩の卵位の真珠を求めて、あちこち探し回るだろう。
靖王は、軍務と言われれば軍務の事しか頭に無い。
頭の硬い靖王に世の中を見せてやろう、と、林殊はそう思った。
二人で金陵の皇都を回った事は何度もあるが、ほぼ林殊に連れ回されるばかりで、靖王自身が一人で街を見て回った事は無い。
靖王の興味の範囲は狭く、一緒に見て回った物も、どれだけ心に残っているだろうか。
齢(よわい)十代半ばを過ぎると林殊も軍務で忙しくなり、二人連れ立って遊びに出る事など皆無になった。
靖王の事だ、林殊から強請られた土産ならば、配下に任せたりせず、軍務の合間に自ら探して回るだろう。
一人で世の中を歩き回る良い機会だ、と林殊は思った。
そしてその日、靖王府の門で別れたのを最後に、林殊は靖王と見(まみ)える事は無かった。
靖王は約束通りに真珠を手に入れ、今日この瞬間まで想いと共に大切に抱いてきたのだ。
林殊は生きて、必ず金陵に戻ると信じ。
『どうだ』と言わんばかりの大粒の真珠に、長蘇は言葉を失っていた。
堰を切ったように溢れ出す想い。
林殊の想い、長蘇の想い、、、
そして林殊を想いこの真珠を探し求め、今、長蘇に手渡した靖王の想い。
押し黙って長蘇は真珠に魅入り、固まってしまっている。
沢山の想いが身体の中を駆け巡り、幾らか靖王の前でも取り繕っていた梅長蘇の薄い仮面も、あっさり外れてしまった。
「、、小殊?。」
何も言わない長蘇が心配になり、顔を覗き込んで靖王が声をかけた。
靖王の声に長蘇は、はっとした。
──、、、まずい。──
何か言わなくてはならない、この場を上手く収められる様な上手い言葉を、、。
そう思えば思う程、気持ちも言葉も纏まらない。
何より涙が零れそうに溢れていた。
──、、、ぁ、、、。──
もう、無理な程に靖王への想いが溢れて。
面と向かって何を言えば良いのか。
はち切れそうな長蘇の心は、顔を上げて靖王の顔を見ただけで、きっと頬を雫が伝うだろう。
「、、、、、。」
長蘇は無言で、ふぃと後を向く。
「小殊!?。」
靖王が幾らか狼狽えた。
──引っ込め引っ込め引っ込め引っ込め!!。──
無理矢理、涙を引っ込めようとする長蘇。
「、、、小、。」
すると長蘇は徐(おもむ)ろに向き直り、靖王を見て言った。
「感謝する。」
「、、、ふぅ、、。」
長蘇が感謝したのを聞いて、靖王は大きく溜息を吐く。
「押し黙ってどうしたのかと、、、気に入らないのかと心配になるではないか。」
「あははは。」
──良かった、泣きかけたのはばれてない。──
形は完璧な球体で、輝きも真珠特有の淡い照りを放っている。
──だが、よくこんな大粒が手に入ったな。
もしかすると、皇族の持ち物以上の品かも知れぬ。
こんな真珠を景琰が買える訳はないし。
、、まさか盗んだり、脅し取ったり、、、?。──
「、、、。」
長蘇は靖王の顔を見る。
──、、、景琰が泥棒する訳が無いな。──
「私がどうやって手に入れたか、気になるか?。」
見透かした様に靖王が問う。
「、、、気に、、、、、ならぬ。」
『知りたいだろう??』という顔をして、覗き込んでくる靖王の視線が気に食わない。
「ぇっ、気にならぬのか?、小殊?。」
長蘇は平静な顔で、にやりと口角が上がった。
「おおかた、東海の貧しい漁村でも助けて、その礼に漁民からでも貰ったのではないのか?。」
長蘇の答えに、目を丸くする靖王。
「、、何故だ、、小殊、、、見ていたのか?。
いや、そんな訳がない。
、、、、、ぁぁぁ、、そうか、、、江左盟の情報網か。」
「そんなものに頼らなくとも、東海の状況や景琰の性格を考えれば、容易に想像がつく。」
長蘇の言葉を聞いて、靖王が目を丸くした。
「??では、私がこれを小殊に渡す為に持っていると、とうに知っていたのか?。」
「あはは、知る訳がない。
皇后や越貴妃位しか持っていない様な真珠を、郡王のお前が買えるわけがない。
ならば奪うか貰うかだ。
奪うのはあり得ない。
都は豊かだが辺境は非常に貧しい。朝廷が用意した救済の金も、殆どが役人に掠(かす)め取られ、災民の手には届かない。
おおかた気の毒な漁民を助け、礼として贈られたのだろう?。」
「本当に見てきた様な事を言うな。」
ふふふ、と長蘇が笑った。
「、、だが小殊?、私が役人から袖の下としてこの真珠を貰った可能性は?。
本当に、どこを探しても無かったのだ。
軍務の終りが近付いて、金陵に戻らねばならない。非常に焦っていた。
そんな時に役人や商人から、大粒の真珠を見せられたら、私はきっと懐に入れていたぞ。」
「あはは、それこそあり得ない。
そんな事になったら、反射的に真珠を持ってきた役人や商人をひっ捕まえて、背景や悪事を徹底的に調べ上げるだろ?。
そうなったら真珠は摂取されて、後宮にいくだろう。あの頃の勢力図を考えたら、陛下は越貴妃に与えるだろう。
せめて功を奏した景琰の母親の静嬪に下賜してくれたなら、景琰の心も報われるのに。
恐らくそうはならない。」
「、、、ぁぁ、、、多分な、、、その通りだ。」
確かにきっとそうなるだろうと靖王も思う。朝廷と役人の構図にうんざりとして、靖王の表情が暗くなる。
「景琰が悪いのだぞ。そんな事を私に聞くからだ。」
「、、、ぁぁ、、、そうだな、私が悪い。」
どよんと萎んでしまった景琰の心。
長蘇に大粒の真珠を渡して、ただ喜ばせようとしていた靖王。
苦労して手に入れた真珠を、折角贈ったのに、気持ちが荒んでしまった。
──私は悪くない。
景琰があんな問いをするからだ。──
靖王の気持ちが落ち込み、空気が重くなる。
──こんな気持ちにさせる筈では無かったのだ。──
子供みたいに友を驚かせようと、長蘇はどんな顔をするのだろうかとわくわくした景琰の、気持ちを噛み殺した様な変な顔を思い出して、長蘇の心がちりちりと傷んだ。
「だが景琰、あんな約束を反故にしないで、果たしてくれて、、嬉しいよ。」
長蘇はじっと靖王を見つめて、丁寧に言った。
「、、、ん、そうか。」
靖王はぶっきらぼうに下を向いて答えた。
長蘇のそんな一言では、気持ちはまだ晴れない。
「景琰に礼を返さねばな。」
「ん?。」
靖王が『珍しい事もあるものだ』という顔をして、長蘇を見た。