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笑顔幾歳、願いはひとつ

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 土埃が舞う道を、義勇は一人トボトボと歩いていた。
 はじめはせっせと走れた足も、今はもうズキズキと痛みだしている。早春を迎えたばかりの空気は冷たくて、義勇の細い指先も鼻の頭も真っ赤に染まっていた。
 ほんの三月ほど前、七五三参りにみんなで行ったときには、人力車に乗って三十分ほどかかった。今日もそれぐらいで着くと思ったのに、歩いても歩いても神社の鳥居は見えてこない。
 数え五歳(満四歳)の義勇の小さな足は、マメがつぶれて草履に血がにじんでいた。泣きべそをかきながら義勇は歩いていく。歩みは遅いが足は止めない。
 散歩に出るときはいつも姉か母が、ときどきは父が手を繋いでくれる。疲れたと言えば、抱き上げてもらえた。けれども今日は一人きりだ。抱っこしてくれる優しい腕も、ほぉら高いだろうと担いでくれる肩もない。
 坊ちゃんどうしたのと声をかけてくれる人がいないわけではなかったが、引っ込み思案で人見知りな義勇は、大丈夫と答えて首を振るのが精いっぱいだ。知らない人に抱っこしてもらうのはなんだか怖いし、ましてや家に連れ帰されてはたまらない。今日はどうしてもお参りしなければならないのだ。

 歩いて歩いてようやく神社の灯篭が見えたときには、家を出てから二時間ほども経っていた。乳母日傘で育てられている義勇の体は、健康だけれども体力が乏しい。すっかり熱を持った足はズキンズキンと痛み、昼飯を食べていないお腹もずいぶん前からくぅくぅと鳴いている。寒さに足も手もブルブルと震えた。
 それでも灯篭のわき、見上げた階段の先にある鳥居が目に入った瞬間に、義勇の顔にはパァッと笑みが浮かんだ。
 着飾らされ母に抱っこされてくぐった鳥居と同じだ。間違いない。達成感と期待に義勇の小さな胸がはち切れそうにふくらむ。
 よし行くぞと足を踏み出した階段は、一段上るたび、ズキンと痛みが脳天まで走り思わず立ち止まる。
 以前は父に抱っこされてのぼった階段だ。あのときはワクワクとした期待と喜びだけがあった。不安や痛みなど、これっぽっちもなかった。けれど今日はひとり。父はもちろん、母も姉も、甘やかしてくれる婆やもいない。よろめく足で義勇は一段一段ゆっくり階段をのぼっていく。すがる手はないままに、一歩一歩、ゆっくりと。
 ようやく上りきり、ホッと安堵の息を吐く。草履は義勇の血で濡れ、鼻緒が切れかけていた。
 おぼろげな記憶を頼りに、義勇はぺこりとお辞儀して鳥居をくぐった。狛犬をなでるのも忘れない。
 境内に人影はなかった。手水舎で身を切る冷たさに震えつつ、胸元や袖口を濡らしながら手や口をすすぐ。乾いた喉が水を求め、思わずごくりと飲み込みたがるけれど、我慢だ。

 えっとそれからと記憶をたどりながらきょろきょろと見回す神域は、静謐で厳粛な空気が満ちているように感じられた。
 ここの神様ならきっとなんでも叶えてくれるだろう。義勇は神妙な顔をして参道を歩んだ。
 幼い目には神々しく映る拝殿の前に進み出て、鈴の綱に手を伸ばすが届かない。また泣きそうになりながら、痛む足でぴょんぴょんと飛び上がること数分。ようやくガランと音がして、よかったと胸をなでおろす。
 参拝の正しい所作など義勇は知らない。覚えてはいなかった。けれども鈴を鳴らした後に手を合わせお辞儀したのは記憶にある。
 深く深く頭を下げ手をあわせ、目を閉じた義勇は懸命に言葉を紡いだ。

「お願いします、とぉさんとかぁさんの病気を治してください」

 最初は乳母だった。しわくちゃな顔いっぱいに笑みを浮かべ、坊ちゃん、坊ちゃんと義勇を呼びやさしくしてくれた、両親や姉と同じくらい義勇にとっては大好きで大切な人だ。
 そんな乳母が倒れ伏してから、にわかに家じゅうが騒がしくなり、義勇は姉の蔦子とともに離れに連れていかれた。
 父や母にも会えぬまま、時間ばかりが過ぎる。婆やはどうしたの大丈夫なのと案じる義勇を抱きしめ、きっと大丈夫と姉は笑ってくれたけれど、いつもの嫋やかで穏やかな笑みとは違っていた。手も微笑む唇も震えていて、義勇の不安はふくらむばかりだった。
 まもなくして乳母の訃報が告げられ、泣き崩れる姉の姿に、義勇の不安は体からあふれ出しそうになった。
 もう会えないのだと知り、悲しみが弾けた。いやだ婆やに会うとわんわん泣いて、姉を困らせてから、まだいくらも経っていない。父や母にも会えぬままだ。

 乳母と同じペストとやらいう病気に父と母もかかったのだと姉に告げたのは、父の同僚医師だった。いつでも陽気で義勇や姉をかわいがってくれていた人の、悲嘆をこらえる粛々とした顔に、義勇の不安はいや増した。
 父は立派なお医者様なのだと、母も乳母も義勇が知る大人はみんな、口をそろえて言っていたはずだ。聞くたびいつも、とても誇らしくて、うれしくて。とぉさんすごいと義勇が笑うたび、父もうれしそうに笑い返し義勇も立派な男になれよと言ってくれた。
 そんな父が乳母を助けられなかったことが信じられず、父や母までもが病魔に侵されたなど信じたくなくて。

「お願いします、とぉさんとかぁさんにまた笑ってもらいたいです」

 笑顔がいいのだ。みんな、みんな、笑っていてほしい。
 乳母が苦しんでいるとき、義勇はなにもできなかった。なにもできず怯えているうちに、やさしい乳母にはもう二度と会えなくなった。
 だから義勇はここまで来た。この神社の狛犬をなでたから義勇は安産だったのよと、家族そろってお参りに来たあの日、母は笑っていた。境内にある願いの三本松にお願いしたから、蔦子と義勇に会えたと父も笑った。
 だから義勇はひとりでここまで来た。

 昼前には家を出たのに、もうお天道様は空のてっぺんを過ぎている。
 おはよう今日もお寝坊さんねと笑って義勇を起こしてくれた姉は、迎えがきて義勇を残し病院へ行ってしまった。ひどく青ざめた姉の顔。思い浮かべただけで義勇の小さな体はがくがくと震える。
 義勇の食事すら忘れた姉は、それでも、いい子で待ってるのよと震える声で笑ってくれた。その笑顔さえもが怖かった。
 婆やが倒れた日からずっと続く恐怖は否応なしに増し、さりとて行かないでとすがることもできない。
 朝に「義勇は明日で満五歳ね。ひとつお兄ちゃんになるんだから、明日からはちゃんと一人で起きるのよ」と笑ってくれた顔は、とてもやさしく温かかったのに。
 冷えた離れの座敷で膝をかかえてひとり過ごすのに耐えられず、思い出した楽しかった日の記憶を頼りに、義勇は家を飛び出した。
 駆けて、歩いて、痛みにしゃがみ込んでも、歩いて、歩いて、ただ歩いて。
 神様どうかお願いしますと、必死に祈った。

 手をあわせ、懸命に両親の快癒を願うこと十数分。乳母のことを願いにこれずにいた詫びも、泣きながら告げた。お願いしたら、婆やもまた笑ってくれたかもしれない。思えば涙は止まらず、父や母も同じように二度と会えなくなったらと不安と恐怖に震えて、ただひたすらに義勇は願った。
 七五三のときは、お参りしてから三本松を触りに行った。思い出し、義勇は顔をあげた。
『悪しきことは“スギ”去れ、願い叶うを“マツ”』
 厄除を願う杉、幸福を願う松と教えられたのを、義勇はちゃんと覚えている。