恋は求め合うもの、愛は許し合うもの。
穏やかな春の昼下がり。
冬の名残で朝晩は空気が冷え込むが、日中は暖かく過ごしやすい陽気となるこの季節が、左近は好きだった。
秋よりも草木の生命を感じ取ることができて、自然と人を前向きにしてくれる。
佐和山に構えられた屋敷の縁側で、書簡整理を早々に終わらせてのんびりと寛ぐ。
誰に構うことなく茶を啜るこの時間の、なんと儚く貴重なことか。
その何物にも変え難い憩いのひと時を、よく知った遠慮のない足音がぶち壊しにきた。
無意識に溜息を落としつつも、さてなんの茶菓子を用意しようかなどと条件反射のように思考を巡らせている己に気づき、内心げんなりする。
「やあ、島殿。」
程なくして柳生宗矩が廊下から顔を出し、さも当然のように隣に腰を下ろしてきた。
何やら芥子色の風呂敷包みを持っており、にこやかな笑みを称えた顔の高さまでそれをひょいと持ち上げて見せるので、自然と目がそちらに吸い寄せられてしまう。
「今日は手土産つきだよォ」
「へえ…珍しい。どういう風の吹き回しですか?」
素直に喜ばずに真っ先に他意を疑うあたり、自分も大概かもしれないが相手が相手なのだから仕方ない。
一瞥するのみで受け取ろうとしないこちらなどお構いなく、宗矩は両者の間に包みを置いて風呂敷の結び目を解いた。
中から覗いたのは笹の葉。別段焦らすわけでもなく宗矩が笹の葉を開いていくと、薄い緑色の大福のようなものが五つ現れた。
「じゃーん!見てこれ島殿!」
細い目を更に細くして、楽しそうに五つのそれをずいと左近の眼前へと差し出してくる。
僅かに仰け反ることで気持ちだけの距離をとりつつ、喜色満面な相手の顔とそれを見比べて小声で訊ねた。
「……腐ってません?」
「ッ、腐ってません!!」
かっと目を見開いて全力で否定してくる宗矩だが、仮にこれが大福だとしても己が知っている大福は真っ白なはず。
カビは表面に付着するから、このように生地に色が付いているということは腐った米を使用して形成された大福である可能性が非常に高いわけで。
「…まあ、とりあえず茶を淹れてくるんで」
疑いの眼差しを注ぎながら腰を上げるこちらに、「いつも悪いね」と宗矩は片手を挙げて応じた。
その後。
左近がついでに自分の茶も淹れ直して戻ってみると、宗矩は縁側から足を投げ出して仰向けに転がり、長い両腕を惜しみなく広げて目を閉じ、床の一部と化していた。
歩み寄るとぱっと開眼し、背後に肘を突いて上体を起き上がらせる。
「ありがと。早かったじゃない」
「湯は沸いてたんでね」
「へェ?…さてはおじさんが来るの、待ってたのかな?」
「顔面にかけていいですか?」
「冗談だよ…って、あっつ!!」
少しだけ湯呑みを傾けて、相手の顔に少量のお茶を上から落としてやると、天下に轟く大剣豪といえどさすがに飛び起きた。
「大丈夫ですか?」
「ほ、本当にやるかな普通!?」
面の皮が厚い剣の達人も、淹れたてのお茶には敵わないらしい。
真っ赤になった顔を袖で拭い、すごすごと座り直した。
左近も腰を下ろし、湯呑みをひとつ相手のほうに寄せて自分の冷めてしまったものを交換する。
「あー、顔がヒリヒリする…。痕が残ったらどうしてくれるのさ」
「向こう傷がある時点で人相悪いんで、問題ありませんよ」
「いやいや、これは責任とって人生の面倒見てもらわないと」
「俺なんて必要ないでしょ。逞しく生きてください」
軽口の応酬をしながら、宗矩が例の大福もどきをひとつ摘む。笹の葉ごとこちらに寄せてくるので、左近はそれを横目で見遣った。
「…で。これは?」
「いいから食べてみてよ。騙されたと思って」
騙されているとわかっていたら、尚更警戒するのが普通だと思うのだが。
顔面を火傷したことなどもう忘れてしまったかのように、上機嫌で宗矩はそれにかぶりついた。
もっちりとした食感らしいそれは、やはり大福のようにみょーんと生地を伸ばしている。噛み切ったあとに覗いた断面からは、粒餡と思しきものが確認できた。
「ん。うまい」
…本当に、幸せそうな顔で食べる御仁だ。
いったいどれだけ甘いものが好きなのだろう。
じとっとした目で観察していた左近だったが、あまりに幸せそうに咀嚼をする宗矩の姿に疑うのが馬鹿らしく思えてきて、笹の葉からひとつ取り上げた。
成程。においは特にない。…いや、うっすら草の香りがするだろうか。
作品名:恋は求め合うもの、愛は許し合うもの。 作家名:緋鴉