鷲王の挑戦
夜。
グランサイファーの艇内の一角には、大人の時間が訪れる。
ラードゥガという看板を掲げたそこは、ファスティバが主人を勤める小料理屋だ。
単純に酒を嗜みたい者から愚痴や悩みを誰かに聞いてほしい者まで、来店の目的は人それぞれである。
ネツァワルピリも酒を飲むだけなら自室で済ませるが、小腹が空いているときはここをよく使っている。
つまみが美味であるというのはもちろんだが、ファスティバの人柄が足をここに向けさせるのだ。
そして本日、珍しい客がいた。
アグロヴァル。
ウェールズに立ち寄ったグランが、いつも招かれてばかりでは公平ではないと言い、この国の王である彼を艇に招待したのだ。
夕食を共に済ませたグラン本人は既に自室で休んでいるが、アグロヴァルは弟のパーシヴァルとジークフリートに連れられてラードゥガの席に着いていた。
「なんだか緊張しちゃうわ。王様のお口に合えばいいのだけれど」
そう言いながらも嬉しそうに顔を綻ばせ、ファスティバが小鉢を並べていく。
ジークフリートがグラスを傾けつつ小さく笑った。
「同じ王であるネツァワルピリ殿が美味いと太鼓判を押しているんだ。ファスティバ殿の腕は間違いないだろう」
「はっはっは!然り。すっかり我はここの虜である」
ぐびぐびとネツァワルピリが喉を鳴らしてジョッキを空けると、ファスティバは自然な動きでエールを注ぎ足す。
「あら嬉しい!それね、鷲王さんが大好きなのよ。トマトとチーズを軽くオイルで和えて、少しだけ胡椒を効かせてあるの」
「ほう。シンプルだが、ただのチーズではないな?キメが細かい」
フォークで軽く持ち上げ、説明を受けたアグロヴァルが興味深そうに目を細める。
「わかるなんて、さすがだわ!王様が飲んでるワインと合うと思うから、どうぞ召し上がって」
屈強な身体でしなをつくり喜ぶファスティバに微笑みかけ、アグロヴァルはトマトとチーズを一緒に口に入れた。
味わってからグラスのワインに口をつけ、納得したように頷いてみせる。
「確かに美味だ。胡椒の刺激が実に後を引く。他の品も良いか?」
「うふふ、じゃあ今度はお肉を少し出しましょうか」
そんな兄の様子を眺めて安堵の息を吐くパーシヴァルに、ネツァワルピリがそっと耳打ちする。
「ひと安心、であるな」
「ああ。兄上は世辞など言わんからな。ファスティバの飯は美味いが、文化の違いによる感じ方の差異はどうにもならん」
「うむ、気候や風土に応じて育つ作物も異なる故、必然よな。我の島では野菜よりも果物がよく実る。洒落た料理にはよく果物が添えられていたぞ」
「興味深い。それは貴殿も作れるのか?是非食べてみたいものだ」
「む、料理はからっきしでな!かく言うお主は器用そうだ」
「まあ…月並みなものなら出せると思う」
パーシヴァルはそう言うが、以前彼らがどこかのレストランを手伝い、食通の大人物を唸らせて落ちぶれていたその店を再興させたという話を聞いたことがある。
確かパーシヴァルとランスロット、ヴェイン、そして…
「ジークフリート殿も、料理の腕には覚えが?」
記憶が正しければ、彼を含めた四名の騎士たちが再興を請け負っていたはず。
ネツァワルピリが本人に訊ねると、アルコールのせいかどことなくぼんやりとした眼差しでジークフリートが苦笑した。
「いや、俺は……そうだな、野営向きのものなら色々と作れるぞ」
「こいつは魔物を調理する達人だ」
パーシヴァルが揶揄するように言うが、それはそれで只者ではない。
「あら、お料理の話?」
ひと段落したのか、ファスティバがカウンターに肘をついて片目を瞑ってみせた。
「今時は男の人だって料理くらいできないとね」
「そうなのか?」
「そうよ?女がやればいいなんて思ってると痛い目見るんだから」
問い返すネツァワルピリに頷くファスティバ。
そんな彼女に、アグロヴァルは目を閉じて静かに同意を示す。
「男女の役割は時代とともに混ざり合ってきている。女が稼ぎに出て、男が家を守る家庭もあろう」
「で、お前は料理するのか?」
「やめろジークフリート。兄上は米すら炊けん」
酔いのまわったジークフリートからの他意のない質問に、パーシヴァルが苦虫を噛み潰したような顔で切り返した。
するとファスティバがくすくすと笑みをこぼしながら優しく言う。
「お米くらいは炊けたほうがいいわね。大丈夫、今は炊飯器が全部やってくれるわ」
米も炊けないと暴露されたにも関わらず尊大な態度を崩さないアグロヴァルの隣で、ネツァワルピリは顎に指を当ててファスティバに訊ねた。
「ふむ。我も米を炊いたことはないぞ。炊飯器には米を入れるだけで良いのか?」
「綺麗に研いだお米と、お水が必要ね。あとはスイッチを押すだけよ」
「米と水…。大人二人分となると、どのくらいの米が必要であろう?」
「そうねぇ。その人たちの食べる量にもよるけど、女性なら一合、よく食べる男性なら二合あればそれぞれ十分じゃないかしら」
「ほう。勉強になる」
ふむふむと頷いてみせるネツァワルピリに、ジークフリートが首を傾げる。
「なんだネツァワルピリ殿、やってみるのか?」
「うむ。スイッチひとつならば間違えようもない」
「白米に似た食感の内臓をもった魔物もいるが、今度試してみるか?」
「興味深いが遠慮しよう。米があるならば我は魔物よりも米を食すぞ」
ネツァワルピリが澱みなく答えると、ファスティバが皆の空いたグラスに酒を注ぎ足しながら楽しそうに笑った。
「今は炊飯器で色々作れるそうよ。ケーキだって出来ちゃうとか」
「ケーキだと?炊飯器だぞ?」
整った眉をぴくりと跳ねさせて訊き返すパーシヴァルに説明を始めるファスティバ。料理の話となると彼女は非常に生き生きとしている。
ジョッキを傾けながら、ネツァワルピリは炊飯器の有能性についてラードゥガで学ぶのだった。