鷲王の挑戦
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後日。
昼食の人波がひと段落した頃を見計らって、ネツァワルピリは食堂に足を運んだ。
後片付けも終わり、厨房組の食事も済んだ頃合いである。
献立は初心者ということを自負して、塩むすび。
これは先日ファスティバから勧められたものだ。何においてもまずは基本が大切で、米の旨さを知ることから始めるといいのだとか。
炊飯器と米の場所はローアインから聞き及んでいた為、すぐに見つけることができた。
一番小さな炊飯器を手に取ってみる。蓋を開けると窯の中に線が引いてあった。
確か男二人分は二合あれば足りると言っていたか。
ネツァワルピリは米櫃から釜へざらざらと米を移し、線を確認すると少し考えてから釜を待って水道に移動する。
「…研ぐと言っていたが、洗うと同義であろうな。……ふむ。このままでは洗えぬぞ」
洗うということは水で濯ぐというだ。釜で炊くのだから釜の中で洗うのは如何なものか。というか、水捌けが良くないと洗うに洗えない気がする。
…つまり、移し替えなくてはいけないのか?
ネツァワルピリは周囲を見渡し、壁に引っ掛けてあったザルを手に取って米を入れた。移してすぐ、ザルの目から米が落ちてしまわないかとぎくりとしたが、選んだものが偶然目の細かいものだったようで救われた。
そのまま水道から水を出し、ザルに入った米をがしゃがしゃと洗っていく。あまりきちんと洗えている気がしないが、これであっているのだろうか。そもそもこの米は汚れているのか?
次々に疑問が湧き出てくる。どのくらい洗えばいいのかもわからず、とりあえず水を止めてみた。
見た目は洗う前となんら変わりはない。
果たして綺麗になったのか、ザルに顔を寄せてじっと観察していると、不意に声がかかった。
「…何を睨みつけているんだ」
「ん……おお、ガウェイン殿!」
ぱっと顔を上げると馴染みの人物が歩み寄ってくるところで、ネツァワルピリはぱっと破顔した。
「我に何か用であろうか」
「いや、用事はないが…なんとなくどこにいるのかと思って……何をしているんだ?」
ガウェインは訝しげな表情でこちらの横に来ると、ひょいと手元を覗き込んでくる。
用もないのに自分を探して歩いていたのかと思うとこそばゆい気分になってきて、ネツァワルピリは衝動のままに隣にきた頭に口付けを落とした。
「塩むすびを作っているのだ。実は米を炊いたことがなくてな、ファスティバ殿に炊飯器ならスイッチひとつだと聞いて、挑戦しているところだ」
「へえ…。……後学のために言っておくが、ザルよりボウルで研いだほうがいい」
「ほう!…何故?」
「やってみればわかる」
ガウェインはテーブル上で釜を両手で支え、米を移すよう視線で指示してくる。
意図を汲みかねつつネツァワルピリが釜の上でザルをひっくり返すが、ザルの目に米がいくつも挟まってしまい、なかなか綺麗にすべてを移すことができない。
ザルの底をぺしぺしと叩いていると、ガウェインが小さく笑って補足してくれた。
「ボウルの中で研いで、水はゆっくり傾けて流せばいい」
「なるほど!どのくらい洗えば良いのだ?」
「水が完全に綺麗になるまで研いでいたら日が暮れるからな。適当に二、三回やれば十分だろ。…ところでお前、」
ガウェインが釜に視線を落として首を傾げた。
「これ、何合あるんだ?」
「二合である」
「…それはさすがに嘘だろ」
「む。確かに少し減ったやも知れぬな…」
流しに置いたザルに取り残された米粒たちに、なんともやるせない眼差しを向けるネツァワルピリ。
ガウェインは逡巡してからなるほどな、と一人頷いて米櫃から計量カップを拾い上げた。
「…わかったぞ。貴様あれだろう、釜の2の線まで米を入れたんだろう」
「うむ。しかし水をどこまで入れれば良いのかわからなくてな」
「ひとつ、重大な事実を伝えておく。」
そう言ってガウェインは米櫃をカップでさらい、米を縁にすり切りにして見せた。
「これが一合だ」
「……、…たったこれだけで、一合…?」
「そうだ」
「…衝撃であるな」
ガウェインは、信じ難いとばかりに眉を潜めるネツァワルピリに空にしたカップを渡し、「計り直すぞ」と隣にボウルを置いてやる。
水に濡れてしまった米は戻すことができないため、研いだ米の量に見合った水を知る必要があると説明を受け、ネツァワルピリはカップで計りながら釜からボウルに米を再び移していく。
その後、適切な量の水を入れて無事にネツァワルピリは炊飯のスイッチを押すことができたのだった。
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「うーむ。米くらい炊けぬようではならぬと思いやってみたが、なかなか奥が深いのだな」
「知らなかったのならあんなものだ。これで覚えれば問題ない」
「はっはっは!ガウェイン殿がきてくれて助かった!しかし八合近く研いでしまうとは大失態であるな!」
「余ったところで誰かがすぐ食うだろ。俺も貰うぞ」
「無論!元はと言えば、お主に振る舞いたくて始めたのだからな」
「……そうなのか?」
炊けるまでの間、カフェスペースでコーヒーを飲みながら言うとガウェインはきょとんとして目を瞬かせた。
「これまで我は一人であったが、今はガウェイン殿がいる。これからは初めてのものはお主と共有したいと思っている」
「そ、それは……その、つまり…」
「如何かな?」
「え……と…、」
ネツァワルピリが真っ直ぐにぶつけてきた言葉の意味を噛み砕くようにガウェインは数秒固まっていたが、じわじわと赤面していき俯いてしまう。
「おお、これがプロポーズ、というものですか」
「……こういうときは口を挟まないことを強くお勧めする」
カウンターに肘をついて興味津々に身を乗り出すルシオに、一歩下がったところでカップを磨くサンダルフォンがぼそりと釘を刺した。
そのやり取りが耳に届いて居た堪れなくなり、ガウェインは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。
「そっ、そろそろ炊けただろう!!行くぞっ!」
「まだ随分早いようだが…」
「準備だ準備!早くしろ!」
湯気が出んばかりに首まで真っ赤になってガウェインが急かすと、ネツァワルピリはぱっと嬉しそうに顔を綻ばせて腰を上げた。
「握り飯もガウェイン殿と一緒に作れるとは、まさに幸甚の極みであるな!我は果報者ぞ!」
「うううう煩い黙ってついて来い阿呆っ!」
ネツァワルピリの手首を掴んでバタバタとカフェスペースを後にするガウェインの耳には、「初めての共同作業というやつですね」と悪気のないルシオの声がばっちり聞こえていた。
その後。
当然まだ米は炊き上がっておらず、厨房では挙動不審なガウェインと幸せそうなネツァワルピリが、塩を手に炊飯器の前に並んで立つ姿が団員たちに目撃されたのだった。
fin.